楽しかったことを共有し損ねたかもしれない。
#20240531-406
2024年5月31日(金)
学校から帰ったノコ(娘小5)がいそいそと荷物をまとめている。漢字ドリルや計算ドリル、ノートなどをランドセルからリュックへ移し、水筒を入れては出し、持っていくか悩んでいる。
今日は、隣の公園で友だちと宿題をするという。
小学4年生の頃からだろか、同学年の友だちが公園へ来ることが激減した。ノコが遊ぶ相手はもっぱら低学年の男子女子となり、ときに泥まみれになりながら鬼ごっこや追いかけっこをしている。
同じ5年生の友だちと宿題をするなんて、はじめてだ。
「なにちゃんだっけ?」
「Sちゃん!」
聞き覚えのない名前だ。
「5年生になって、はじめて同じクラスになった子?」
「違うよ、4年生のときも一緒だったよ」
Sちゃんが来るのをノコは待っていられないようだ。リュックを背負うと玄関へ向かった。
「公園に行ってる!」
玄関ドアが音を立てて閉まった。
まぁ、隣の公園だ。Sちゃんとすれ違うことはないだろう。
Sちゃん、Sちゃん、Sちゃん・・・・・・
思い巡らせるがノコの口から出た記憶がない。
どんな子なのだろう。
なぁんにも知らない。
17時になり、ノコが機嫌よく帰ってきた。
「ママママ、ママママ、宿題終わったよ!」
「Sちゃんは?」
「帰った!」
「ねえ、宿題終わったからTV見ていい?」
ノコはリモコンを手にどっかとソファーに座った。
「ノコさん、Sちゃんのお家ってこのへんなの?」
「違う」
「じゃあ、小学校の向こう?」
「そー」
通学エリアが違うから、今まで名前があがらなかったのだろうか。
「学校ではよく遊ぶの?」
「んー」
TV大好きっ子のノコは、番組に夢中で返事の中身が空っぽだ。
「Sちゃんは、キツイこといったりしないの?」
「んー」
聞いているような、いないような声だ。これ以上、Sちゃんのことを聞き出すのは無理か。
ノコが機嫌よく下校する日は、まれだ。
大抵靴を脱ぐのももどかしげに玄関に立ったまま、今日あった嫌なことを並べはじめる。
「ママママ、ママママ、ヒドイんだよ。今日ね、学校でね」
だれそれにキツイ言葉をいわれた。先生がこんなヒドイことをした。○○ちゃんが喋りかけたのに返事してくれなかった。△△君の手が私の顔の近くをブンッてなって怖かった。体育の時間に足首がガクッとなって痛かった。先生が私がいったときは強くいうのに、□□ちゃんがいうと何もいわない。ずるい。ひどい。
どれもノコが感じたことなので、嘘とはいわないが、かなりノコ寄りの視点だと思って聞いている。相手の言い分または第三者が見たら、状況は違うかもしれない。
「そうなの。○○だったね」
話半分と思いつつも、ノコに寄り添った言葉を私は掛ける。
ときにはノコを膝にのせ、その背を撫でる。
ひとしきり、吐き出さないとノコは次のことをはじめられない。
――楽しい話をすることがないなぁ。
それだけ学校でノコなりに我慢しているのだろうが、嬉しそうに帰宅し、楽しい話が次から次へと出てくることがない。
いいことは覚えていないのだろうか。悪いことがあっても、いいことがあれば、ノコのなかでバランスが取れるかもしれないのに。悪いことばかり抱えて帰ってくる。
悪いことならば、ずいぶん前のことでもしっかり覚えている。いいことに気付く力、いいことを覚えている力が弱いのだろうか。
それがノコの生きづらさの一因になりそうだ。
聞いたことのないSちゃんの名前を繰り返すうちに、ふとあることに思い当たる。
ノコにとって、一番どうにかしたいことは「嫌なこと」でそれが解消されれば、次なる欲求は遊ぶことに大好きなTVや本。「楽しいこと」「嬉しいこと」の話をママやパパにして共有することに重きがないのかもしれない。
我が家に委託された直後。
まだ一緒に布団に横になり、寝かしつけをしていた頃。
オレンジ色の小さな豆明かりが灯る薄暗い寝室で、今日あった「嬉しかったこと」「楽しかったこと」「よかったこと」を互いに挙げる。そんなひとときを持てばよかった。
――今日、こんなことあったね。
――あぁ、あんなこともあったね。
――楽しかったね。いい一日だったね。明日も楽しみだね。
そんなことを話すうちに、だんだん瞼が重くなる。
他愛もないことこそが大事で。
私は大きなウサギを逃した気持ちになり、しょぼくれてしまう。
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