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人を描くことで垣間見えた、日本の教育で大切なこと

こんにちは。
田中令です。
ワークショップや研究会を開催しながら
小学校、保育園、幼稚園で芸術(図工)指導をしています。

今日は、先日の保育園の授業についてと
そこでのある出来事について。

1.顔を描く

保育園や幼稚園での授業でよくある活動の一つ、自画像
自分の顔をクレヨンなどで描く活動です。
しかし、この活動のあるあるスタイルは
目、鼻、口の描き方を先生が教えるというやり方。

肌色(と今は言わなかったりする)のクレヨンで
画面いっぱいに楕円を描き
黒いクレヨンでどら焼き型の形を2つ描き、その中を丸く塗る。
鼻は肌色の線と黒い穴が二つ、口は赤で、髪の毛は黒で...
言わずもがな、みんな同じような顔の作品が完成します。

観察ぬきで概念で描いていいのか?
みんな、顔、全然ちがうぞ?
わたしはこのやり方が、ずーーーっと疑問でした。

そこで考えたのが
自分の顔をデッサン的にアプローチする方法。
noteでも以前書いたように
こどもたちにひたすら観察を促すデッサンは
本当におもしろい作品ができあがります。

このモチーフを人の顔にして
こどもたちの観察と解釈に委ねたら
どんな自画像ができるのか?


いざ授業スタート!


2.制作タイム

鏡を見ながら、動く自分の顔を捉えるというのは
いらん自意識が生まれたりして
なかなか集中できず
おとなでも苦労するもの。

そこで授業を二回構成にし
最初の授業では
人物がうつった雑誌の切り抜きを見ながら描くことに。
この世界には様々な人がいること
人はみんな違うことを知ってほしい
という思いから
さまざまな年齢層、性、人種のほか
めがねやひげの有無など
バリエーションのある切り抜きを集めました。

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こどもたちに描きたいページを選んでもらい
「見えたものを見えたまま、ぜーんぶ描く」と伝え
まずは観察タイム。
目はどんなかたち?何色?
あいてる?つむってる?
髪の毛はどうなってる?
笑ってる?怒ってる?
手はどこにある?
お洋服は?
などなど
たくさん質問を重ねます。


そして、いざ制作へ!
どこから描き始めるかも子どもたちの自由。
顔の輪郭から描く子もいれば
服の端から描き始める子もいます。

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まずは鉛筆で形を描き
後半に色鉛筆で色をつける
という流れを組んでいましたが
中には、対象を形ではなく色で捉える子もいて
鉛筆を、色鉛筆に変えた瞬間
すいすい描き出す子もいました。

本当にみんないろんな方法で世界を捉えているんだなあ。


色鉛筆も、観察をそのまま表現しやすいよう
24色以上のものを用意して
いろんな色を重ねたり
力を抜いて薄く色付けする方法などを伝え
様々な色の表現を提案しました。

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成長にともなって
「うまく描けない!」
「しっぱいだ!」
「へただ!!」
という声もしこたま聞こえてきましたが
モチーフへの質問を繰り返し
時に並走し
捉えられたものを認めて
形にできた!!
すごい似てるじゃん!!!

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3.鑑賞タイム

最後は出来上がった作品を壁にならべて
みんなで鑑賞会。

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「すてきだなと思う作品と
その理由をおしえて」
というと

「○○ちゃんの絵の、顔がいけめん」
「△△くんの絵の、服が本物みたい」
などなど
見事にみんなバラバラの答えがかえってきました。

「自分は下手だから〜〜〜」
と言っていた子も
結局楽しくなって
何枚も描くほど自信をもてたようです。
途中、「うまい」ってなんやねん!!!
と説法を始めそうになったけど
ぐっとこらえてよかった。
言葉じゃないよね、経験だよね。

しかし本当にそれぞれ特徴をよーーーく捉えていて
わたしも担任の先生も感動する活動でした。

これが自分の顔になったらどうなる!?
次回の自画像が、どう発展するのか楽しみです。


4.「違い」に触れたときの反応

さて。
制作はこんな感じで
なんやかんやありつつもスムーズに進んだのですが
この授業の中で、とても印象的な出来事がありました。

授業の冒頭、活動の説明をする際
雑誌の切り抜きをみんなに見せながら
人にはいろんな種類(人種)があること
色やかたちはみんなちがうこと
を話しました。
そのなかで
黒人モデルさんの切り抜きを見せた時
多くのこどもたちの中に笑いが起こりました。

目に映るものが、とても面白いものだったときに起こるような
「わははは!」という笑いです。
(見せた切り抜きは、かっこいいモデルさんの姿が映ったもので
私は面白いと感じるようなものではありませんでした。)

はっきり言うと、差別的に見えるこの笑い。
え?ほんとに?
もう一回見せて確認しても、また笑いが起こる。

でも
こどもたちも、その家族も、もちろん保育士さんも
差別主義者であるとは思えません。
目の前にいる人が困っていたら
手を差し伸べるような子たちだし
おとなも差別的な教育をしているとも思えません。

なので、とても衝撃的でした。
正直、怒りのような不快な感情も生まれました。
でも、ここで怒るのはきっとちがう。
BLMの話をするのもなんかちがう。
きっと本人は、自分の反応が人を傷つけることを知らない。
その反応に悪意はなく、とても自然なものだったから。

その場ではまず
いろんな種類の人が
この地球には生きていること
飛行機にのって移動すれば
わたしたちのような肌の色の人が
ほとんどいない地域もあること
そしてオリンピックをはじめ
おとなになっていくなかで
これから自分とは違う様々な人に
出会うであろうということを話しました。



帰宅後、もやもやが止まらず
この出来事をずっと咀嚼し続けました。
教育関係の友人とも話してみました。
ここからは個人的な見解です。


多くの日本人がそうであるように
わたしが担当している子たちも
普段の生活のなかで
自分と異なる人種のかたに
出会う機会は少ないと思います。

もしかしたら
見慣れないもの、自分とは違うものを目にしたとき
残念ながら人は
自然とそういう反応をしてしまうのかもしれません。

おとなの私たちでも
その場の空気を覆すような意見が出ると
とっさに笑って対応してしまったりします。
自分の中にある戸惑いや恐怖を隠すための
ある種の虚勢のような、見栄のような。

でもそれは、本人にそのつもりがなくても
誰かを傷つけてしまったり
他者からみれば差別的行動に映ってしまう。

差別はだめだ!
やめよう!
と差別を咎めることももちろん大事だけど
自分の当たり前の行動のなかに
差別の要素がないか?と
客観的に見ようとする必要

同じくらいあるんだ。

差別は本当に、根が深い。


5.では、教育は何をすべきか?

ひとつの仮説として
人の自然な反応の一つにそういうものがあるとしたら
圧倒的な人種の偏りがあるこの国で生きる私たちは
どんな教育をしたらいいんだろう?

差別はいけない
人に優劣などない

それを指導していくことは
とても大切なことだけど
それはあくまで外的なものにすぎない。
本当は他者からの言葉より
環境の中で経験を通して
自分で感じ、自然に学んで行くほうが
しっかり自分の中に意識が根付くと思う


そう考えると
人種、障害、性をはじめ
一人一人の個性まで
幼少期から様々な違いに触れる環境をつくることは
本当に大切なこと。
違いをなくす、なんて幻想で
同じ日本人でも、たとえ双子でも
そこにある違いを五感で感じること。

さまざまな課題はあれど
この環境づくりは急務で
ほんの少しの違いで
環境を分けてしまうような
違いをないものにしようとする今の制度は全然あかん。

けれど、教育現場に関わっていると
長い間「みんな同じ」が良いとされてきたこの国で
多様性豊かな環境を作る難しさもすごく感じる。
意識や常識がみるみる形成していく幼少期に
どれだけ多様性に触れられるだろう。

そんな環境で
教育が伝えていくべきことは
「違いを前にして起こる自分の反応を、どう扱うか」
なんじゃないか?

自分と違う容姿、生活、思想の人と出会った時
相手を蔑むのか、敬うのか
拒絶するのか、興味をもつのか。
自分の中に自然と生まれる反応を
メタ認知的にどう扱うか。
その上で
どんなアプローチをして
どんな対話が生まれて
どんな学びを
互いに得られるのか。
それがどんな環境を形成していくのか。

それを伝えられる教育をつくりたいと思う。


6.自戒を込めて

まだまだこの出来事について咀嚼中で
うまく言葉にならない部分もたくさんあります。
齟齬なく伝わるといいな...

でもこの体験によって
みんな同じ顔を描く自画像などをはじめ
いままで当たり前に行われてきた教育と
日本のSNSの傾向や政治への態度など
いろんなものがピーンとつながって
自分の目指す教育が、少し見えた気がします。

思えば自分も幼少期
身体的な違いをきっかけに
差別やいじめを受けていた一方
自分自身も他者に対して
差別的な見方をもっていた気がする。

もしかしたら今も、自分の気づかないところで
そういう態度をしているかもしれない。
差別をなくすことは
自分を知ることから始まるのかもしれない。
だから、自戒を込めて。

このトピックは
これからもいろんな方と対話していきたいです。




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