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幸福日和 #074「見えない美しさ」

美しいものが好きです。

なかでも直接目にする美しさよりも、
何が美しいのかはっきりとわからないのだけれど、
少しずつじわりと心に訴えかけてくる、そうした美しさを感じると、
思わずその世界に引き込まれてしまいます。

美は細部に宿ると言うけれど、
そうした目に見えないところにある微細な美しさが
全体的なものをささえて、その印象を美しいものとしてうつし、
人々に訴えかけてゆくということがあるのだと思うんです。

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あるお茶会に招かれた時のお話です。



台風が続く秋の時期だったように思います。

その日は晴れてはいましたが、
荒れた風が道沿いの木々を揺らし、そんな光景を眺めながら、
招かれたお茶会に向かっていたんです。



前日までの雨や度重なる台風の影響からか、
街の街路樹は葉が散り荒れ果ててた状態で、葉には砂埃が。
そんな光景を眺めながらお茶会に向かう足取りは
決して軽いものではありませんでした。


お茶会の時間の間くらいは心を落ちつかせる時間を過ごせられたら。。。


次の日に迫っていた仕事の締め切りも頭の隅にありました。
そんな気持ち落ち着かない状態でお茶会へと向かっていたんですね。


お茶会の会場は、その辺りでもよく知られるお屋敷でした。

その大きな母屋の奥のほうに茶室はあって、
そこへ向かうには、お屋敷の門をくぐり露地の石畳を歩きながら
5分ほど奥へと歩かなければいけません。

街中にあるお屋敷でしたが、現実からは遮断されたかのように
奥へ奥へと歩みを進めていくのでした。



そんな緑豊かな露地へ足を踏み入れたときのことでした。

空気が「ふっ」と切りかわったかのような思いがしたんです。


具体的に言葉にはできないのだけれど、
露地やその庭園全体が凛とした美しい空気に包まれているのを感じたんですね。

空気の新鮮さ、透明感、言葉では表現できない何かがそこにはあった。
一歩踏み入れた後と前では世界が切り替わったかのような、
そんな印象を感じたんです。

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あの感覚はなんだったのだろう。

お茶会が終わった数日間、
僕の頭の片隅には、あの時の印象がいつまでも頭の中に残り続けていたんですね。

そんな想いを頭の片隅に残しながら、
ある時、茶道の古典書を開いて読みふけっていた時のこと。
文献の中の意外な言葉に引き込まれてしまったんです。

「庭の葉は一枚一枚、想いを込めて拭き浄めること」

それが秘密のもてなしなのだと。

ふと、あの時、庭に足を踏み入れた時の感動を思い出したんです。

そういえば、あれだけ不安定な天気が続いた日々の中で、
あの庭の木漏れ日だけは違う輝きを放っていたし、
木々の緑も砂ぼこりに濁ることなく、深みと鮮やかさをその空気に織り込んでいるようでもありました。

おそらくあの時、茶会に招いてくれたご亭主は、お茶会に備えて、
庭の木々の葉一枚一枚を丁寧に優しく、布で拭き清めてくれていたのでしょう。だからこそ、その一つ一つの葉が輝き、
庭全体として美しさを感じられたのだと思ったんです。

古典を紐解いて知ったことですが、
実は戦国時代、あの茶人・千利休さんも同じようにしていたそうなんです。
茶会の前日には一日がかりで、庭の葉を一枚一枚丹念に磨き上げていたらしいんですね。

見えないところにここまで想いを注ぐ人がいるものか。

そんな出来事があって以来、
見た目だけでは気づくことのできない美しさに
僕は惹かれてゆくようになったんです。

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よくよく日常を見渡してみれば、
見えないところに感じる美しさというものは
たくさんあるように思います。

例えば、料理屋さんで食事をいただく時、
手に持った器自体が温かいということがあります。
それは料理の熱が器に伝わった暖かさではなく、あらかじめお湯で温めた器に、料理を盛り付けた細やかな心遣いだったりするんですね。そこに料理人さんの想いが込められているし、華やかな盛り付け以上の美しさを感じる。
そうしたもてなしに触れる時、その一品をいただきながら涙が溢れそうになることもあります。

また、仕立ててもらったばかりの新しいジャケットを羽織った時、
見た目の佇まいだけでは感じなかった、生地の肌触りや、体に寄り添うような感触を感じることもあります。心にも沿ってくれたかのような想いのこもった縫製に優しさを感じ、見た目ではわからない洋服の美しさを感じます。

本当に美しいものというのは、
目に見えないところにこそあるのではないか。

そう思うと、日常はそうした美しさで満たされ、溢れているようでもあり、一日一日とより深く向きあってゆきたいとも思うんです。

最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。