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ソーシャルワーク人生を続けるかどうか葛藤したこと

ソーシャルワーカーとして活動を始めてからは「葛藤の毎日」というのが正直、正しいと思います。しかしながら「葛藤」というのは、決してネガティブなことではないと私は考えています。

この記事では、「葛藤」の経験をいくつか共有するとともに、その解決や解決に役立ったもの、その「葛藤」が今はどうなっているのか?などについてまとめておきたいと思います。

※ちなみに、このイラスト…かっこいいな♪素敵だな♪と思って使用しました。私個人とは全く違うタイプのイラストです(笑)


1 ソーシャルワーカーとしての「葛藤」とは何か?

「葛藤」という言葉を辞書で調べたり、インターネットで検索などすると、以下の様に説明されています。以下はgoo辞典を引用(一部省略)

人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと。

心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。

私自身は、葛藤の正体をどのように捉えているかというと、「ソーシャルワーカー自身の心/自分自身の心と向き合う大切な時間」として定義しています。しかしながら、最初はとても嫌な時間でした。というのも自分自身の見たくない部分を見ることだったり、見ると気持ちがぞわぞわしてしまう感じがあったりしたからです。当時はなぜこんな苦痛な時間を過ごさなければならないのだろうと考えていたこともよく覚えています。しかし、当時の私の上司は「葛藤」することの意味についてもきちんと説明してくれると同時に、私の「葛藤」に一緒に向き合ってくれていたからこそ、安心して仕事ができていたのだと思います。

「葛藤」は支援においてはつきものであると考えています。それは支援のやり方に関すること、自分の成長に関すること、クライエントとの関りによって自分の心が揺らいだことなど…様々です。ただ、どの「葛藤」においてもそこでその「葛藤」を感じた意味が存在するものと思います。


2 経験した「葛藤」とその解決

私はソーシャルワーカーを「辞めよう」と考えたことは2回ほどあります。1回目は医療ソーシャルワーカーになって2年目、2回目は7年目です。具体的に何があったのかという事実をここで明記することは出来ませんが、私にとっては、自分自身の価値が揺らぐ出来事がありました。

<本当に自分はソーシャルワーカーに向いているのか?>

これが一つ目の葛藤でした。完全に自負ですが、私はソーシャルワーカーに向いていると信じて社会人1年目を迎えました。しかしながら、一生懸命、自分自身で出来る限りの能力で仕事には取り組んでいましたが、同じチームの中での合意形成が上手くいかず、担当しているクライエントや家族の人生を狂わせてしまうような出来事がありました。その時の私は、「これは完全に自分のミスだ」「あの時に〇〇をしておけば…」「ソーシャルワークの価値を自分が全う出来ていれば…」などなど、自分を責めることばかりをしていました。その後、心療内科医師に診察してもらったり、カウンセリングを受けに行ったり…仕事を休みがちになったりでした。

この「葛藤」の解決に役に立ったことが、人との出会いとその時にかけていただいた言葉でした。自分はソーシャルワーカーに向いているのか?という自分に対しての問いは、「自分はソーシャルワーカー(専門職)として出来る限りのことはしたが、よい結果が残せなかった=向いていない」になっていたのです。今思い返せば、いやいやそうゆうこともあるよ。と当時の自分に言ってあげたいところですが(笑)当時は本気でそのことについて悩んでいました。自分自身の心のどこかで「失敗=向いていない」だったのだと思います。

<Tetsuyaはソーシャルワーカーを辞めた方がいい>

7年目の「葛藤」はこれを信頼している人たちから言われた時でした。それまでのソーシャルワーク人生は上記の経験の様に大変なこともたくさんあったのですが、自分とクライエントの関係性の中で、所謂、支援への自分自身の立ち位置で悩むことが多かったのですが、これは、同職種、それも信頼している方々からの言葉だったのが心を打ちました。信頼している人たちからの言葉だったので…本当にそうなのかもしれないと思った自分がいたのも事実です。

この「葛藤」の解決は、その時まで一緒に活動してきてくれた仲間/同僚等に助けられました。今でもその時に助けてくれた仲間は心からの親友と思っています。素敵なソーシャルワーカー仲間です。私自身の葛藤の正体が何だったのか…その時に改めて考えた結果は「万人に好かれるソーシャルワーカーにならなければならない」だったのだと思います。今思えば、そんなの無理に決まっていると言われそうですが、人から嫌われることってとても勇気がいるのだと思います。今は「嫌われる=自己否定」ではなく、「嫌われる=万人に好かれる人はいない。意見として受け止めよう。」になっています。


3 「葛藤」の所在 今はいずこへ

今、その「葛藤」がどこにいっているのか…正直分かりません(笑)。しかし、その時に感じた「葛藤」ときちんと向き合っていなかったら…と考えると今の自分はないな…と思うのです。もう少し突っ込んでお話すると、「葛藤」と真摯に一人で向き合えていたのかどうかと言われると、一人では難しかったと言えます。上述にもあるように、必ず「葛藤」の場面では人に助けられています。

対人援助職であるソーシャルワーカーは、「葛藤」が多い職種だからこそ、スーパービジョンが必須であると言われることもあるのだろうな…と感じています。

「葛藤」は、経験年数、経験値とともに内容や悩み方も違ってくるものと思います。しかし、きちんと「葛藤」の正体と向き合ってこそ新しい自分に出会えるのだと信じています。

勝手な紹介ですが…私はGreeeenの「扉」という歌にも助けられました。

「意味がないとただ決めつけて扉閉めてるんだ。見えない様に聞こえないようにしてるだけ。明日何ができるかなんて君がきめるだけ。恐れずに次の一歩ほら踏み出せ!!君の扉を開ける鍵はいつも君のポケットのなか。今開けばほら目の前にきっと待ってる。『次の自分』が。」


4 まとめ

「葛藤」があることは確かに苦しい事だったと言えます。教員になった今も自分はソーシャルワーカーであり、教員であり続けたいと考えています。その中で「葛藤」と日々戦いながら前に進もうとしています。

大人になってくると段々と言えなくなる言葉の一つに「助けて」があるのではないかと思っています。自分を大切に、そして、「葛藤」と向き合う時には誰かと一緒にが良いです。

苦しい時は一緒に助け合いましょう!

助けてくれる仲間はたくさんいます!

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