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映画『マトリックス』のメタファー(暗喩) 残像としての世界

昔、『マトリックス』という三部作の映画がありました。封切り当時は、ユニークな世界観や映像表現でインパクトをもち、ヒット作となった映画でした(近年、二十年ぶりに、第四作目が出ました)。
 この映画については、その世界観について多様な解釈や議論がなされましたが、ここでは、少し違う切り口で、この映画が創り出している表現の興味深さや豊かさについて考えてみたいと思います。

 というのも、この映画が生々しく表現できている「現実世界」の感覚(仮想現実の表象)は、変性意識状態(ASC)サイケデリック状態、または、シャーマニズムなどを研究し、実践している者にとっては、「体感的に」とてもしっくりくるメタファー(暗喩)となっているからです。
 実際のところ、映画で描かれているマトリックスの世界と、私たちの現に今生きているこの「現実世界」とは、さほど事情が違っているわけではないからです。
 ただし、ここで解説する話は、よくエンタメ動画解説や科学動画解説にあるような、「そう考えることもできる=面白い」的な、ネタ的な、都市伝説的な解釈、それでいて人生を1ミリも変えない話ではなく、もっと実践的に、現実や人生を解放するための実際的なヒントとしての視点になります。
 自分の人生や世界の「虚像性」に、映画の主人公ネオのように圧迫感や焦燥感を感じている人は、この人生を超出するヒントを見出していただけると思います。

 さて、映画『マトリックス』の設定においては、未来の人類が生きていて、「現実」だと思っている世界は、実は、機械によって作られた「仮想世界(仮想現実)」であるということになっています。
 つまり、その人類は生まれてからこのかた、ありありと見えて感じられいる世界のすべてが、「虚像」であるというわけなのです。そして、そのトリックに気づかぬまま、機械によって映し出された世界を「現実」だと思って、一生を終えるというわけなのです。
 機械は、人間から放たれる生体エネルギー(おそらく感情的電荷)を得て、都市を運営しているというわけです。
 そこでは、人類は、カプセルの中で、一生幻想(幻覚)を見て、電力を放出しているだけの電池(家畜)という設定になっているのです。
 そして、このように、実際にリアルに体感されている「あらゆる現実」が、すべてニセモノであるという設定が、私たちに薄気味悪いリアリティを感じさせることにもなっているのです。
 なぜなら、私たちの今生きている「この現実」も、さほど事情が違っているわけではないからです。

 では、実際に、私たちが、普段、この「現実世界」を見るときには、何が起こっているでしょうか?

 私たちは、自分の五感で世界をとらえ、他人と交流しながら、生活を営んでいます。
 そして、その際、この生きている世界を、普通のもの、自明の事柄と考えて、なんの疑念も抱かずに過ごしています。
 しかし、私たちの「意識状態」には、さまざまなものが、並行して、併存して存在していることについて、別の記事で見てみました。
 実は、意識は、多次元的に存在しているのです。
 →【概説 その2】「私」とさまざまな意識状態 ―変性意識・サイケデリック体験・体験的心理療法
 そして、さまざまな意識状態(変性意識)が教えてくれることは、私たちのこの「日常生活」の風景は、私たちの「日常意識」が創り出しているに過ぎないということなのです。少し何かの機会があれば、私たちは、この現実とは違う、「さまざまな現実」を体験することが可能になっているのです。

 また、例えば、ユング心理学系(プロセスワーク)のミンデル博士が使う言葉の中に、「合意的現実 consensus reality 」というものがあります。この言葉の意味は、人々の「合意」によって作られている「リアリティ(現実性)」という考えです。
 というのも、私たちが、この「現実世界」と感じているものは、決して客観的な実在としてあるのではなく、実際のところ、まわりの人々との情報や価値の共有によって、出来上がっているものだからです。
 「まわりの人々が合意している価値観」「まわりの人々が合意している判断基準」「まわりの人々の集合的な信念体系(ビリーフ・システム)」を取り込む( introjection )ことによって作られているからです。
 そして、それらにフィルタリング(濾過)された結果のものを「現実世界」として、私たちは見ているからです。

 そして、その価値判断に合わないものに触れた際は、それを「現実世界」とせず、その体験を無意識のうちに素早く削除してしまうという体制(システム)を、心の中に作っているのです。
 「まわりの皆が『現実である』と見なしている(合意している)もの」を、私たちは「現実世界」と見るように、無意識的に体制化されてしまっているということです。

 これは、私たちの「心の発達」の歴史を考えても、容易に想像がつきます。

 まず、私たちは、幼少期に、「親が現実と見なしていること」を、私たちは心の中に取り込み、「これが『現実世界』だ」という感覚をつくっていきます。そこで、親との「合意」がなければ、欲しいものを得ることや、嫌なことを避けることができないからです。
 そのうえで、「友達たちが現実としていること」「学校の先生が現実と教えていること」「テレビやメディアが現実としていること」など、幼い子どもが信じざるを得ない、従わざるを得ない社会的権威を取り込んでいくことで、「現実世界」というものを、心の中に構築してきたのです。まわりの「空気を読む」ことで、「現実世界」を確かめてきたのです。

 私たちは、この目の前の現実を、自明の、「ありのままの現実」だと思い込んでいますが、実際は、「人間たちが作った情報世界」を見ているだけなのです。それが、「合意的現実」です。
 たとえば、今、目の前に「コップ」があるとします。これを「コップ」と見るのは、その情報を知る人間だけです。
 犬や猫や宇宙人が、その「コップ」を見ても「コップ」とは思いません。或る物体があるだけです。物体という知覚もないかもしれません。
 人間によって、「コップ」という情報(文明的意味)が作られ共有され、潜在意識にそのシステムが埋め込まれており、そのフィルターで「意味」が自動的に生成してくるので、私たちは、この物質みたいなものを「コップ」と信じ込んでいるだけです。
 それは、宇宙的な剥き出しの現実の水準(地平)から見れば、現実のほんの任意の一部、人間たちのゲーム、「仮想現実」に過ぎないのです。

「合意的現実 consensus reality 」の由来の多くは、社会やその手先である親やその他の「信念体系(ビリーフ・システム)」です。
「信念体系(ビリーフ・システム)」の特徴は、単なる「意味/情報」だけではなく、そこに価値づけ/価値感情が貼り付いているということです。
「これが現実だ」の裏には、「そんなのは現実ではない」が強力に貼り付いて、私たちの中で、瞬間瞬間、判断/審判(ジャッジメント)が行なわれているのです。
 そして、私たちは物心がつく前から、そのシステムによって感情(欲求)的に訓練され、束縛された状態で社会に出されていくのです。
 つまり、実際のところは、この社会環境による、私たちの知覚・感覚・意識への洗脳(束縛)は、映画におけるマトリックス(母体)による支配と、まったく大差がないということがわかるでしょう。
 そのため、私たちは、この映画の閉塞感を、他人事のように見ることはできないのです。

 ところで、このような「合意的現実 consensus reality 」「信念体系(ビリーフ・システム)」のあり方は、上に触れたように、単に思考や認識、情報や知識レベルとしてあるだけではありません。
 もし、そうであるならば、単に「考え方を変える」だけで、「現実世界」が簡単に変わるからです。
 しかし、その手の安易な自己啓発本が唱えているような、そんな安っぽい掛け声だけで、「現実世界」は何も変わりません。

 私たちが「合意的現実」が簡単には変えられないのは、それが「強い感情的な束縛」をともなっているということにあります。
 感情的な拘束が、すべてを覆っているからです。
 そして、さらに「肉体の強い硬化」にも、補強されて成り立っているからです。
 そのため、私たちはなかなかこの「合意的現実」を抜け出したり、相対化することができないのです。

 ところで、筆者は、心理療法であるゲシュタルト療法体験的心理療法を解説する中で、その前提となっている「心身一元論的」な人間のあり様についてさまざまに解説しています。
 それは、私たちの「心理と肉体」とは、深く一つのものであるという考え方です。
 そのため、「抑圧された心(心理)」と「抑圧された肉体(身体)」とは、相互的なフィードバック関係をもって、お互いを抑圧し、硬化した心身状態をつくり出しているのです。

 そのような相互抑圧の結果として、私たちの抑圧的な感情と肉体の牢獄が生まれてしまっているわけですが、同時に、その中には、「合意的現実 consensus reality 」「信念体系(ビリーフ・システム)」も含まれているわけです。
 知覚フィルターそのもののも、「合意的現実 consensus reality 」として体制化されてしまっているわけです。
 そのため、合意的現実としての「現実世界」を、私たちは容易には脱出することができなくなっているのです。

 さて、ところで、映画でもそうですが、この肉体的に硬化した「現実世界」の外に出るには、強度の変性意識状態(ASC)を誘発する「赤いピル(薬物)」のようなものが必要(有効)です。
(アップルの故スティーブ・ジョブズは、自伝の中で自身の(LSD)の体験を人生の最重要事に挙げていました)
 しかし、赤いピルのようなものに頼らずとも、強度の変性意識状態(ASC)を誘発し、この拘束的な知覚世界を超脱していく手法は多様にあります。
 実際のところ、サイケデリック体験だけでは、この牢獄を恒久的に溶解することはできないのです。それは、また、別の重要な問題なので、別の機会に記しましょう。

 そのように、有効な方法論といえば、さきに触れた体験的心理療法などもそのひとつです。
 サイケデリック・セラピーの権威スタニスラフ・グロフ博士が、サイケデリック・セラピーからブリージング(呼吸法)・セラピーに移行したように、そこには、ある側面では、それ以上の効果もあるのです。
(※ちなみに、化学物質(薬物)には、一方で「分裂を生み出す」「自明性を喪失する」「勘違いを起こす」「統合をつくらない」という特有の問題があるので、実は使用には注意が必要なのです。→変性意識状態(ASC)とは何か advanced 編「統合すれば超越する」)

 それぞれの方法論を、コンビネーションで使っていく卓越したプロデュース力が、実は、ここでは必要となるのです。

 さて、実際、筆者自身が使っている、深化/進化型のゲシュタルト療法をはじめ、ある種の体験的心理療法の手法は、強烈な変性意識(ASC)を創りだし、心とからだを内側から解放し、私たちの硬化した信念体系や知覚コードを永久に溶解する効果を持っています。
 そのような方法論の全体像については、拙著にまとめています。
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』

 そのような探求を、実直かつ真摯に進めていくと、心とからだが深いレベルで解放され、エネルギーが流動化されていきます。
 身体の感受性が深いレベルで変わっていくことになるのです。
 知覚力が鋭敏に速度化されてくるのです。
 変性意識(ASC)への移行や、日々の気づき awareness の力も、ずっと流動性と鋭さを高めたものになっていくのです。
 そして、私たちは、旧来の硬化した世界を、まったく別様に見ていることに気づくこととなるのです。

 私たちの見慣れた世界は、単なる世間の信念体系、後づけ的に既存の意味を再構成した「残像としての世界」にすぎないと感じられるのです。
 よりリアルな世界とは、それよりも速く過ぎ去る、刻々まばゆい息吹が奔流するエネルギー世界であると直覚できるようになるのです。

 それは、あたかも映画の中で、主人公ネオが腕を上げていくのにつれて、マトリックスのつくり出す幻想世界(エージェント)よりも「より速く」知覚し、「より速く」動けるようになっていくのと同じことなのです。

 この感覚(体験)についての映像表現は、流動化し、透視力化していく知覚力の変容を、とても見事に表現しています。
 シリーズ一作目の終盤では、あたりの風景やエージェントを「流動するデータ」として透視し、エージェントに立ち向かいはじめるネオの姿が描かれています。
 映画のストーリーとしては、自分の力の可能性を感じはじめるネオという、エキサイティングな目覚めのシーンであるのですが、実際には、たとえ特別な救世主でなくとも、私たち誰もが、この見慣れた表象世界(残像/白黒の世界)を抜け出し、それよりも「速く動いて」、その支配を脱する流動化の力を持っているのです。
 「知覚/信念体系」の「現実世界(牢獄)」を、拡張された透視的な身体として、流れる虹のように超越(超脱)していくことができるのです。

 そして、そのために私たちに必要なことは、単に頭で考えることではなく、心とからだと意識を「実際に高速度に解放していく」こと、そして、その中で新たな知覚力・意識力を訓練し、エネルギーを解放していくということなのです。

そして、それは実際できることなのです。

※変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。

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