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『忠犬ハチ公』から学ぶ『事実』と『真実』

(このnoteは2分で読めます。約1,400文字)
JR渋谷駅のハチ公口に立つ銅像をご存じでしょうか。渋谷駅で待ち合わせをする際、多くの方が集合場所にこのハチ公銅像前を選んでいるのではないでしょうか。

大学進学と同時に長野から上京した私は、ハチ公前集合に憧れていました。初めてハチ公の銅像を見たときは、謎の『東京に来た感』に浸っていました。

私は現在26歳ですが、私より若い方はそもそもハチ公がなぜ有名になったのかご存じではない方も多いのではないでしょうか。このnoteでは、ハチ公がなぜ有名になったのかという背景を振り返りながら、『真実』と『事実』の違いについて考えます。

✅1、そもそも、忠犬ハチ公とは

『忠犬ハチ公について教えてください。』と説明を求められたとき、皆さんはどのように説明しますか?

おそらく私は、『主人がなくなっても、生前通り健気に渋谷駅で帰りを待っていた犬のこと』としか説明できないと思います。

秋田県大館おおだて市観光協会がハチ公の物語をまとめており、非常に分かりやすいので読んでみてください。

ハチ公については、『ハチ公物語』という映画が1987年に公開されています。映画化されるほど当時から有名だったそうです。


✅2、水曜日のダウンタウンの『本物のハチ公を見たことがある人 まだギリこの世にいる説』

2022年4月6日(水)で放送されたバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』では『本物のハチ公を見たことがある人 まだギリこの世にいる説』が登場しました。

その中で、実際ハチ公を見たことがある方にインタビューしたところ、多くの方が『渋谷には屋台の飲み屋が多く、ハチ公は飲み客らから、残り物の焼き鳥などをよくもらって食べていた』と証言していました。

そのことを受けて、そもそもハチ公は亡き主人を迎えに行くために毎日渋谷駅の改札で待っていたのではなく、エサをもらいに渋谷駅に通っていたのではないかという話がダウンタウン浜田さんからありました。


✅3、シンプルな『事実』よりも感動的な『真実』を

さて、亡き主人を待つハチ公とエサをもらいに行っていたハチ公のどちらが『事実』なのでしょうか。

あくまで個人的な意見ですが、ここで『事実』と『真実』の違いについて考えます。『事実』とは、客観的な事象のことです。『真実』とは、事象に対して人が解釈を加えた主観的ものです。

ハチ公における『事実』とは、ハチ公が毎日のように渋谷駅に通ったということです。亡き主人を待つハチ公とエサをもらいに行っていたハチ公はどちらも『解釈』になります。

とても興味深いのは、多くの人がシンプルな『事実』ではなく、『解釈』を求めている点です。ハチ公の場合、亡き主人を待ち続けるという感動的な『解釈』を多くの方が求めているような気がします。

もちろん、それが『事実』である可能性もありますがそれはもはや分かりません。重要なのは、シンプルな『事実』よりも感動的な『真実』を求めやすい傾向を理解することです。それが理解できていると無意識に反応してしまった『真実』に対しても、『あれ、ここにおける『事実』ってなんだっけ。』と一歩立ち止まって考えることができます。


✅4、まとめ

『忠犬ハチ公』を例に、『事実』と『真実』の違いについて考えました。私たちはセンセーショナルな物語に惹かれやすいと思いますので、『事実』はどこにあるのかという視点を持っておくことは重要な気がします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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