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【仕事】『データ』は本当に客観的なのか

(このnoteは3分で読めます。約2,700文字)
売上『データ』から次に何をすべきなのか検討することや、旧システムと新システムでの問い合わせ内容の『データ』を比較して新旧システムどちらが優秀だったか検討するなど、『データ』を使った仕事はさまざま存在します。

私が学生時代に想像した社会人は、パワーポイントを大きいスクリーンに表示させ、プレゼンテーションをするような姿でした。そして、その内容は客観的な『データ』に満ち溢れており、聴衆を納得させるものだと思っていました。

社会人になって仕事をしていると、ふと『『データ』って本当に客観的なのか。』と疑問に思うことがあります。このnoteでは、『データ』は本当に客観的なのか考えます。

✅1、『データ』をまとめて資料にする仕事をした体験

先日、2つのシステムの比較検討を行う仕事をしました。純粋に比較するだけであれば、どちらのシステムが優位かどうかすぐに結果を出すことができます。

しかし、一方のシステムの方が良いことを示すよう資料にまとめるよう依頼を受けました。それもそのはずです。2つのシステムとは、1つは今利用しているシステムで、もう1つはこれから作るシステムです。これから作るシステムの方が良いことを示す資料にしなければ、『じゃあ、今のシステムでいいよね。』という話になってしまいます。これからシステム開発プロジェクトを開始するためにも、次のシステムの方が良いという『データ』を示す必要があるのです。

色々な切り口で2つのシステムを比較し、これから作るシステムの方が良いと言える切り口を見つけます。その切り口を軸に『データ』をまとめ資料にまとめていきました。

今まで、私が触れてきた資料に書かれていた『データ』は客観的に正しいと思えることが多くなんの疑問も持ちませんでしたが、この経験を通して、『データ』には意図的に操作されたものも含まれていることがあることを学びました。

2つのシステム比較に関して、もちろん嘘はついていません。しかし、どう見せたら自分たちが表現したいような姿になるのか調整している点において、『意図的に操作された』と書きました。


✅2、『データ』の定義・『客観的』の定義

そもそも、『データ』とは何なのでしょうか。そして、『データ』とは『客観的』なのでしょうか。また、『客観的』とはなんでしょう。

この点に関して、JX通信社 マーケティングセールス局 マーケティングマネージャーの松本 健太郎さんの記事が大変参考になりました。

特に、『データ』と『数字』の違いに関する内容は勉強になりました。

皆さんも一緒に考えてみてください。

デジタル化が進み、マーケティングとデータは密接となり、切り離せなくなっている。マーケティングにおけるデータ活用の重要性が認識され、数字なくして意思決定は下せなくなった。一方で、「数字だけ」で改善を行う難易度は格段に上がったのではと松本氏は言う。なぜなら、数字はWHAT(何)はわかっても、WHY(なぜ)はわからないからだ。

まず松本氏は、そもそも「数字」とは何か、「データ」とは何が違うのかを問うた。「数字」と「データ」の違いを理解するための例として、松本氏は次のスライドを示し、「いちごは何個あるか?」と問いかけた。

「3個と答える人もいれば4個と答える人、2個という人もいる。問題を出された人が誰であれ、人数が10人であれ100人であれ、全員が一致した答えになることはない」と松本氏。「個数」を聞いているだけなのに、なぜ人によって回答が異なるのだろうか。

松本氏は、「データ」には数学だけでなく国語の要素が含まれているからだという。「情報を表現したもの」が「データ」だ。データとは伝達、解釈または処理に適するよう形式化され、再度、情報として解釈できるものである。

情報、つまり「事実、事象、過程、着想などの対象物に関して知り得たこと」を表現する形式がデータだということだ。私たちは「データ」=「数字」と捉えがちだが、そうではないと松本氏。万国共通で、誰もが認識齟齬のない表現として最適なものの1つが「数字」にすぎないだけなのだ。

前出の「いちごの個数問題」は、引っかけ問題であり、個数を問う数学問題に見えて、実際には「個数の意味」を定義する国語問題になっていた。「個数」とは何かを聞かなければ、答えることができない問題だったのだ。

何らかの「意味」を持たなければ、そもそも数字はデータとは言えない。データは「意味」を理解する必要があり、意味を理解せずにただ数字だけを追いかけていると、「分析疲れ」を引き起こすと松本氏は指摘する。
https://webtan.impress.co.jp/e/2022/01/25/42191

つまり、誰もが共通の認識になる『数字』などが『客観的』と言えるのであり、そこに意味を持たせているものが『データ』だと言えるでしょう。


✅3、『数字』に意味を持たせ『データ』にするのは人間

『数字』に意味を持たせて『データ』にするという点について、意味を持たせる行為をするのは当然私たち人間です。

先ほど私は

『データ』には意図的に操作されたものも含まれていることがあることを学びました。

と書きましたが、人間が『数字』に意味を持たせている時点で『意図的』なのです。

『データ』が意図的に操作されているということは、例えば世界の大学ランキングについても言えるでしょう。

『世界的に見たときに東大が35位』ということが一時期話題になりましたが、この『データ』も意図的に操作されていると言えます。この大学ランキングは、単に学力でランキングがつけられているのではありません。職員数や学生数、大学の収入など様々な評価項目を総合的に評価してランキングがつけられています。

そのため、その算出方法を別のものにした場合ランキングが大きく変化する可能性が高いのです。この評価項目・算出方法はまさに意図的に操作されたものです。


✅4、まとめ

『データ』は本当に客観的なのかについて考えました。誰もが共通認識を持てるということが『客観的』だとすると、『数字』は『客観的』なものの1つです。その『数字』に対して意図的に操作(悪い意味ではなく)した、人の意思が介在したものが『データ』だと言えます。

それが良い・悪いという話ではなく、『データ』に触れる際はそれがどのような意図をもって作られているかに目を向けなければ『データ』に翻弄されてしまいます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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