駆け抜けた日々に#応援したいスポーツ
偶然小学校5年生で陸上に出会い、何回も絶望に突き落とされながらも大学4年生(正確には3年生?)までよく続けたなあ、と。
「走る」ことには、中毒性があるのだ。
小学校の陸上大会で、運よくリレー選手(確か当時は補欠?)に選ばれて、そこから私は、「走る」ことから離れられなくなってしまった。
短距離をしてる人なら少なからず感じたことがある「あの感覚」がある。トップ選手なら常に感じているのかもしれない。
「あの感覚」とは、力を全く入れていないのに、前にぐんぐん進む。どこまでも走っていける気がする。風が味方しているようで心地いい。スーーーーーって、風を感じて止まらないんだ。
そういう感覚を掴むことができる瞬間は、少しずつ生物の息が芽吹くような季節も、ジリジリと肌を焼くような季節も、そして凍えて足も手も動かなくなる季節でさえもたくさん練習に取り組んだそんな日々の中で、あるとき突然やってくるんだ。
スタートラインにたったら、あるだけの集中力と、確かな勝気で臨むだけだ。
号砲がなる。「1番」になることだけを考えて、走りきった。
天高い青空に初夏の薫りを感じて、そよ風でも吹いてしまえば、もううずうずが止まらない。
陸上をやめてしまった今でも、あの頃のように走れる気がして困ってしまう。
3月から4月はシーズンインで、冬季練習の成果を徐々に感じていくときだ。5月にはもう大きな大会が多く迫っている。大事な期間だ。
自分がもし今学生だったらと思うと、悔しくて悔しくて堪らない。今すぐタータンを駆けて自分の実力を試したいだろう。同じ夏は二度とはないのだから。
励ましになるのかわからないけれども、私は1年半のブランクののち、同じくらいまで走力を戻すことができたことがある。もしまだ、続ける機会が絶たれないのなら、まだ走り続けて欲しい。
私は自分の実力に絶望して一度陸上から離れた。今は、環境に機会の損失に絶望している人が多いと思う。将来をかけていた人もいると思う。人の状況は皆ぞれぞれだから、一概に応援することもできない。
でも、好きなら走るのはやめないで欲しい。どんだけ立ち直るのに時間がかかってもいい。飽きるまで走り続けて欲しい。
私の好きな漫画「恋は雨上がりのように」は、短距離が専門の女子高校生アキラが主人公だ。彼女は怪我をしてしまってから、走ることから遠ざかってしまう。トップ選手がゆえの複雑な心境の現れだと思う。
その中で、親友ハルカがアキラに「好きだけじゃ・・・好きだけじゃダメなの?」と聞くシーンがある。
走ってたのは、記録のため?もちろんそうだろう。一番になるため?もちろんそう。誰しもなりたいと思う。でも、一番どうしてここまで頑張ってこれたのか、どうしてこんなにも毎日汗をかいて練習を詰めたのか、思い出して欲しい。
それは、おそらく「走る」ことが好きだから。
「走る」ことは中毒性がある。まだ、きっと風を感じられるよ。
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