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大きく息を吸い込んで

我が家には、推定年齢50歳を越えようかという、ぬか床があります。
なんでも、主人のおばあちゃんの代から受け継がれている逸品とのこと。

主人のおばあちゃん、義母、そして私。
三代に渡って受け継がれ、家庭の味として長く愛されてきました。

ぬか床の主原料は、ぬか、にんにく、鷹の爪、塩。
ちなみに、ここ一年くらいは私が管理するようになりましたが、詳しい作り方はわかりません(笑)

我が家のぬか床は、電気ポットを一回り大きくしたくらいのカメに入っています。
今までは台所の片隅に置いていたのですが、先日、自宅の引っ越しをしてからはパントリーの一番下に置くことになりました。

パントリーと言えばかっこうは良いですが、まあ、単なる扉付きの収納棚です(笑)
今まではオープンスペースに置いていたので気になりませんでしたが、パントリーに入れるようになってから「あれ?」と思うことが。

そう、ぬか床特有の「におい」です。

にんにく、鷹の爪が入っているので、結構、強烈に匂います。
と言っても、カメの蓋はずっしりと重く隙間など無いので、以前は蓋を閉めていれば気になりませんでした。
ところが、パントリーという名の閉鎖空間にあると、パントリーの扉を開けた時にまずぬか床の匂いが鼻をつきます。

鼻をつまみたくなるほどじゃないんですよ。
あのね…ぬか床の香りがする芳香剤を置いているような…さり気なく香る感じですね(笑)

私は細かいことを気にしないほうですが、パントリーには他の食品やお菓子なども入っています。
食品同士のにおい移りは、避けたいところ。
そこで無効タイプの消臭剤をカメの隣に置いてみましたが、あまり効果がない様子。
どう対処すべきか、目下の悩みの種です。

愛すべき義母のこと

実のところ、我が家のぬか床で漬けた漬物を食べるのは、義母だけです。
それでもなんでも、ぬか床を処分することは出来ません。
代々のものだし、何より義母には思い入れのある一品なのです。

一昨年頃から認知症がじわじわ進み、家事も、投薬管理も、金銭管理も、と少しずつ出来ることが狭められてしまった義母。
旦那さんを早くに亡くし、バリバリ働きながら3人の子供を育てた義母は、シャキシャキ者のおばあちゃんでした。

私が嫁いだ時は70代半ばでしたが、掃除以外の家事全般をすべてこなしていました。
玄関を開ければ靴がキレイに整列し、庭に出れば手の行き届いた季節の花々が出迎え、家庭の文化と伝統を何よりも重んじる。
厳しい一面を持ちながら、一方で情に厚く、友達からも慕われていて携帯電話でしょっちゅう話し込んでいました。

今でこそ、足腰も弱くなり一日の大半を家で過ごすようになりましたが、以前はカレンダーにびっしりと予定を書き込み、毎日飛び回って過ごしていたのです。

ところが、今年の2月に急激な腰の痛みに襲われた時から、生活が激変します。

1ヶ月に及ぶ入院。
退院してからの再発。
長引く入院生活に、さらに足腰が弱り、認知症は容赦なく進行。
微熱や倦怠感を訴えるようになって、転院、検査の日々…。

それまで快活に過ごしていただけに、急速に自由を奪われ、もの忘れに苦しめられる様は、本人も家族も直視したくない残酷な現実でした。

もの忘れがひどくなると、同じ会話を繰り返すようになります。
一度聞いたことを、くり返し尋ねるようになります。
また、感情のコントロールが難しくなり、突然怒り出したり、泣き出したりします。

入院期間中、特に家族の顔を見ると安心感からかそのような症状が顕著に現れるようになりました。
当時、週5日ペースで見舞いに行っていた私はその様子をまざまざと見せつけられ、とても虚しく、寂しい気持ちになりました。

だからといって、お見舞いに行かず話す機会がますます減れば、認知症はさらに進行してしまいます。
お見舞いに行くたび、繰り返される感情の爆発、聞き飽きた昔話、執拗に繰り出される同じ質問の数々…。
それらに辟易して、たまに軽く注意すれば声を上げて泣き出す始末。
抜け出せない深い闇にどっぷり浸かってしまったのだと、思わざるを得ませんでした。

今は自宅で過ごしていますが、外出には車椅子が必要になり、一人で出歩くことは出来ません。

そんな変化は、全て今年に入ってからの話。
本人の意志とは関係なく、義母すっかり変わってしまったのです。

記憶に残るもの

通院を除いて、外出する機会がめっきり減った義母は、家で過ごす時間が大きなウェイトを占めるようになりました。
家族との会話、食事、適度な運動…すべて『家族とともに』という、限られた中ではありますが、前向きに暮らしたいという根底的な想いは変わらない様子。

体が訴える不調に耐え、自身の記憶の中に葛藤を覚えながらも、謙虚で前向きな姿勢を保とうとするさまがうかがえます。
一日三回の食事にしても「いつもありがとう」と、感謝の言葉を繰り返し、寝る前には「今日もありがとうございました」と、私に向かって頭を下げるのです。

大人気ない私は、日中、つい「はいはい」とか「良かったですね」と、バカの一つ覚えみたいな相づちばかり多用しているけれど、義母が繰り返す「ありがとう」は、そんな私にひとふりのあたたかさを与えてくれます。

義母の「ありがとう」を受け取るたび、「もっと優しくしてあげなければ」と、忙しさにかまけておざなりな返事をしている、我が身を振り返るのです。

義母にとっての漬物は、欠かせないご飯のお供であると同時に、記憶を呼び覚ます鍵でもあります。
漬物を食べると、義母は決まって「これが、おいしいのよねえ」と満足そうに頷き、目を細めてくしゃっと笑います。

ひと切れポリポリ食べながら、呼び起こされる記憶。
ぬか床を混ぜた記憶、今は亡きおばあちゃんとの日々、お盆や正月などで漬物を振る舞った記憶……。

きゅうりを噛む小気味よい音とともに、笑顔が満面に広がります。
「これがおいしいのよねえ」
その言葉に続いて、様々な記憶がとびだします。

義母にとって、過去は自由の象徴。
元気で健康に過ごしてきた自分の姿を思い起こし、優しい想い出に浸れるひとときです。

家族の成長、親戚・友達との対話、義母の口から紡がれるのは幸せに包まれた過去の姿。
ぬか床に浸かっているのは、なんの変哲もないきゅうりですが、ぬか床そのものには50年間の歴史がぎっしり詰まっているに違いありません。

熟成の味は、義母の強い味方です。

ぬか床は、発酵しています。
生きて、呼吸をしています。
パントリーを開けるたびに、ほのかに漂う香り。
私がこの家に嫁いでから、ようやく10年。
しかし、ぬか床はゆうに50年。

我が家を語る上でも、もはや歴史の一部になりつつあります。
独特の香りと深い味わい、義母が満面の笑みとともに噛みしめる漬物には、計り知れないパワーがあるに違いありません。

漬物をつけるたびに、私はぬか床を撹拌します。
素手で混ぜると匂いがつくし、唐辛子の刺激が手にぴりっとした熱を与えるので、必ず使い捨て手袋をしています。

ぬか床を混ぜる時、私は一瞬、ぬか床が過ごした50年間に仲間入りします。
底からぬかをすくい取り、ざっくり全体を回します。
これをしないと、ぬか床はたちまちカビてしまうのです。

義母が元気だった頃は、ぬか床に触れるのも許されませんでした。
なんでも、扱いを間違えると傷むからとの理由です。

それくらい、大切なもの。
それを託された身としては、毎日、せっせとかき混ぜるのみ。
来る日も来る日も、その次も。

これが歴史を紡ぐことかと、少しプレッシャーを感じながら。
笑顔のために、今日もまた。

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