見出し画像

承認欲求モンスターとねずみ女

こんにちは。
フォレスト出版の石黒です。
今の時代、SNSを使っていない人を探すほうが難しいほど、各種サービスが溢れています。
ちなみに私は、仕事でしかSNSを利用していません。LINEでさえ、コミュニケーションに使ったことがありません。
こんなことを書くと、「流行に乗らないオレ、カッケーってか!?」みたいに思われるかもしれませんが、恥ずかしながらガチで発信すべきこともなければ、頻繁にやりとりするような知人もいないのです。あと、面倒くさいってのも大きな理由です。
ただ、Twitterのタイムラインはよく見ています。関心のある人や好きな人ばかりフォローしているので、社会の一側面だけを覗き込む、思想的にバランスの欠けた使い方という認識があるのですが、今のところ改善するつもりはありません。

●SNSに依存する人たち

ともあれ、私と同じようなSNSの付き合い方をしている人もたくさんいらっしゃるかと思いますが、さまざまなメディアで伝えられているとおり、SNSに依存してしまう人は多いそう。「いいね」の数を気にして、他所行き用の自分をSNSに投稿しては、現実の自分とのギャップに満たされなさを感じ、悶々としているような人たちです。
こうした病理?の裏になにがあるのか? 女性のさまざまな心の問題について心理学に基づいて解説した『女子の心は、なぜ、しんどい!?』(清水あやこ)から、こうした疑問に関するヒントとなる箇所を一部抜粋して公開します(本記事掲載用に一部改編)。


*

●承認欲求を満たされると幸せになるのか?

仮想空間での評価のために現実であがいてしまう……SNSでいい写真を投稿する本来の目的は「今日はこういうことがありました」という報告なのに、現実でこんな痛々しい努力をするなんて本末転倒ですよね。
SNSで素敵さを演出していたとしても、現実とズレがあれば我に返ったときに虚しさが募ってしまいます。それでもやめられないのは、もっと「いいね」が欲しいと願うばかりに承認欲求が肥大化しているからかもしれません。

心理学の中で第三勢力と言われている人間性心理学の提唱者の1人であるマズローは人間の欲求を5段階で説明しました。
第1段階が生理的欲求、第2段階が安全欲求、第3段階が所属と愛の欲求、第4段階が承認欲求、第5段階が自己実現欲求です。
マズローは1つの段階欲求がある程度満たされることで上の段階の欲求が現れると提唱しています。
ただ注意すべきは、マズローの次のような指摘です。

◎自尊心の基盤を他者の意見をもとに形成してしまうことは危険で、健全な自尊心は他者からの正当な尊敬に基づいている。
◎第4段階目までの欲求がすべて満たされたとしても、自分に適していることをしていないかぎり、新しい不満が生じ、落ち着かなくなってくる。

この理論に沿って考えると、SNSで承認を得つづけたとしても、常に欠乏を感じるのはよくわかります。他者の意見に基づく承認欲求を満たすこと自体を目的化した行動は表面的にしか満たされることがなく、上滑りのままで真の自分は満たされないのです。
今や誰もが使用しているSNSですが、使い方を誤るとネガティブな影響を受けてしまいます。SNSでの自己像はあくまで自分の生活の一部分でしかないことを心に留めて、適度に楽しんで使用しましょう。

●SNSをしている女性ほどやせたがっている

SNSのメリットとしては、SNS上のポジティブな交流、社会的サポート、社会とつながっているという感覚が、低い抑うつや低い不安に関連があることが示唆されていたり、フェイスブックの使用が自尊心を高めるということも言われています。
それゆえに、自己愛が強く自尊心が低い人はオンライン上でよりアクティブに活動し、自己プロモーション的な投稿を行う傾向があることも指摘されており、投稿を行うことで一時的に自尊心を高めていると考えられます。
一方で、SNS上でのネガティブな交流や他者との比較は、高い抑うつや高い不安と関連があることも指摘されています。つまり、SNSは使い方に気をつけないと精神衛生上よくありません。
このようなSNS利用の性差ですが、たとえば女性はSNSを多く利用したり、外見に関連する投稿に多く接することで、やせていることを理想とする度合いが高まり、ボディイメージがゆがんでしまう可能性があることが指摘されています。
SNSの利用度と自分が太っている・やせたいという思いの関連は、男性よりも女性のほうが強いということが示唆されているのです。女性はSNSから影響を受けやすいのでしょう。

●本当の自分と向き合おう

称賛されたいという欲求が強いほど、「おしゃれ」「ゆかい」など他者に対する自己顕示的な自己イメージが強いことが示唆されているのですが、これはまさに多くの人が追っているSNS上での自己イメージです。
よい格好をして、話題のレストランで食事をして、素敵な人たちと交流を持ち、明るく楽しく生きている――。SNSはこのような自己イメージを簡単に確立し、他者に見せつけることができるツールです。しかし虚しいかな、こうした一連の承認や称賛を引き出す行動は前述したように、さまざまな研究によって一般化されているのです。
つまり、一見ヒエラルキーの上位に立つというとても特別な経験をしているように見えるものの、試験マウスどおりの動きをしているわけです。ふと感じる虚しさは気のせいなんかではなく、心のSOSです。
「良く見られる」ことに果てがないことを、本当は気づいているはず。自分をすり減らして承認を追いつづけたところで上には上がいます。
具体的に説明すると、人から羨ましがられたいという動機でブランドの服を着るのと、他者の評価ではなく自分好みの服を着るというのとでは、同じ服を着ていたとしても満足感や幸福感がまったく異なります。しかもより高価な服を着ている人を見た場合、前者では劣等感を感じますが、後者であれば気になりません。
裕福な人というのはいくらでもいるので、もしあなたが前者のタイプであれば永遠に劣等感に苛さいなまれることになるでしょう。
このような問題は、他者評価を自分の行動の軸にしている限り解決しません。トレッドミルを空走りして消耗しつづけて、自分が本当に走りたい道をずっと走れないようなマウス生活はやめて、本当の自分と向き合うべきなのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?