【フォレスト出版チャンネル#254】エンタメ|芸能マネージャーが語る「やりたいこと」と「才能」の関係
このnoteは2021年11月3日配信のVoicyの音源「フォレスト出版チャンネル|知恵の木を植えるラジオ」の内容をもとに作成したものです。
エンタメ界のサラブレッドとして生まれて
渡部:フォレスト出版チャンネルのパーソナリティの渡部洋平です。今日は編集部の森上さんとともにお伝えしたいと思います。森上さん、よろしくお願いします。
森上:よろしくお願いします。
渡部:今日も素晴らしいゲストにお越しいただいております。
森上:そうですね。渡部さんも面識のある方だと思うんですけれど、私ももう10年以上の長いお付き合いをさせていただいている、芸能プロダクションの社長さんです。
渡部:そうなんですよね。芸能界のお話っていうのは、今までなかったと思うので、ぜひリスナーの皆さんは楽しみに聞いていただきたいなと思います。では、私からゲストの方をご紹介させていただきたいと思います。
森上:お願いします。
渡部:はい。本日のゲストは、株式会社ICH代表取締役社長の川岸一超さんです。川岸さん、本日よろしくお願いいたします。
川岸:よろしくお願いします。
森上:よろしくお願いします。
川岸:緊張しますね。こうやって紹介されると。
森上:(笑)。
川岸:めちゃくちゃ緊張します。
森上:全然大丈夫です(笑)。普段は、タレントさんにはそれを言っている方ですよね(笑)。
川岸:確かにそうですね。タレントさんの気持ちになって。
森上:ぜひぜひ。
渡部:では、私から川岸さんのプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。川岸一超(かわぎし・かずゆき)さん、1983年生まれ。東京都出身。日本大学卒業後、大手芸能プロダクション株式会社ケイダッシュに入社。2年半、南野陽子さんのマネージャーを経て、広報部、文化人部門の立ち上げに従事。文化人部門では、数々の書籍でベストセラーを世に出す。2016年には同社を退社。同年に次世代型エンターテイメント、トップサービスをつくることを目標に株式会社ICHを設立。次世代エンターテイメント業界に向けたアプリサービス提供や、ウェブ制作などのIT事業と、広報事業で養ったPR事業を主軸として、事業を展開してご活躍していらっしゃいます。さらに川岸さんのお父様が、芸能プロダクションの浅井企画の元専務取締役で。
川岸:そうなんですよ。今は、うちの取締役でもあるんですけども。それこそ御社で、書籍を出していただいて、ありがとうございます。
森上:そうなんですよね。本当に父上は、カリスマと言うか、伝説のマネージャーですもんね。
川岸:もう何十年、半世紀ぐらい芸能界にいますから。
森上:そうですよね。60年ぐらいっておっしゃっていましたよね?
川岸:そうなんですよね。高校卒業して、東京に出てきてからなので。言っても、もう81歳なので(笑)。もうおじいちゃんなんですけど。
森上:いやいや、めちゃめちゃ現役ですよね?
川岸:現役でやっていますね。
森上:すごいですね。浅井企画さんといえば、萩本欽一さん(欽ちゃん)ですが、近年だと、キャイ~ンさんとか、ずんさん、飯尾和樹さんとか。
渡部:ずんさん、今、すごくご活躍されていますよね。
森上:そうなんです。多くのタレントさんが……。お父様は関根勤さんとか、小堺一機さんとかを世に送り出した、伝説のマネージャーさんです。その父上の元に生まれた、芸能マネジメントのサラブレッドが……。
川岸:いやいやいや、とんでもない(笑)。
森上:それが川岸さんで。
川岸:いやー、ありがとうございます。書籍を出していただいて、最初は森上さんから、父の書籍を出すと言っていただいたときに、父に言ったら、「俺は運で生きてきたから、語ることはない」って言っていましたからね。
森上・渡部:(笑)。
川岸:最初はそう言っていたんですけど、森上さんとか、皆さんの引き出し方がうまかったんだと思います。途中から子どものように張り切ってやっていました。
森上:(笑)。数々の伝説と言うか、そのマネジメントをして、人の特徴を見抜いて、タレントさんは商品だからっていうことで、そのお話から始まって、売れるかどうかを見抜く目とか、育てる方法とか、そのあたりを語っていただいたご本ですよね。
川岸:本当に、いい本でした。すごくまとまっているなと思って。
森上:凝縮された……、もう60年以上のものがあの1冊にギュッと詰め込まれて、ページ数が足らなかったです。
川岸:手前みそですけれど、あの本を読んで改めて父を尊敬しましたね。
森上:そうですか。
渡部:はい。『芸能界で学んだ人の才能の見つけ方、育て方、伸ばし方』という本ですね。
森上:そうです、そうです。
川岸:たまに一緒にいるときに、書店を見つけるたびに自分の本が置かれているかチェックしていますね(笑)。
森上:ほんとですか? わー、うれしいです。置かれていなかったときがヤバいな(笑)。
川岸:一緒にいるときに見ると、結構毎回ちゃんと置かれているんですよ。
森上:よかったです。そこはじゃあ、営業が。
川岸:さすが御社の営業力だなと思いました。
森上:よかったです(笑)。
川岸:ありがとうございます。
どのようにして芸能マネージャーになったのか?
森上:そんな川岸さんなんですけど、エンタメ界のサラブレッド的なところで生まれた中で、ケイダッシュさんに入られたんですよね?
川岸:そうですね。
森上:卒業する前からって、ちらっとお聞きしたんですけど。
川岸:そうなんですよね。学生時代に、僕はとにかく人を集めるのが大好きだったんですよ。自分でイベントサークルつくったりとかして、それも300人ぐらい集めてサークルをつくったりしていたんですけど、その時から人を集めてまとめるっていうのがやっぱり好きで。 根拠もなく「社長になる」とか、よくわからないことを言っていたんです。今、考えると、「何もできないくせに、何言っているんだ!」って説教したいくらいですね。
森上・渡部:(笑)。
川岸:僕らの時代って大学3年から就活が始まって、まわりが就活している中、全然気が乗らなくて、まわりとかは本当に30社とかの説明会に行っていたりとか、それこそ面接を受けたりとかしている中、僕はほとんど就活をしてなかったんですよ。
森上:ええ!
川岸:社長になろうとしか思ってなかったので。だから、大学4年ぐらいになったとき、まわりのみんなの就職先が決まっていて、「俺はどうするんだっけ?」っていうふうに……。
森上:(笑)。
川岸:本当にアホなんですけど、大学4年の夏ぐらいに、やっぱりちゃんと修業しなきゃっていうふうに思って、父親に「芸能界で一番厳しい会社に入れてくれ」って言ったんですよ。
森上:そうだったんですか。
川岸:それで紹介されたのがケイダッシュだったんです。
森上:(笑)。
渡部:厳しいところだったんですね。
川岸:そうなんです。そういう流れで、大学4年生のときに、ケイダッシュの上層部の方を紹介してもらって、最初はちょっとインターンと言うか、アルバイト的な感じで、大学4年生のときから入らせていただいてっていう感じで始まったっていうのがきっかけですね。
森上:厳しいところに行きたいっていうことだから、いわゆる父上がいらっしゃった浅井企画は選択肢になかったわけですね?
川岸:浅井企画は親父からNGでした(笑)。
森上:そっか、そっか(笑)。
川岸:僕も希望はしなかったんですけど。「絶対に俺の会社には、いれん」って言われました。
南野陽子さんから教え込まれた、芸能マネジメントの極意
森上:なるほど(笑)。そこで、最初にマネージャーとしてついたのが、我々世代にとっては、もう本当にスーパーアイドルですけど、南野陽子さんだったんですよね?
川岸:そうですね。これは、ちょっと言っていいのかわからないですけど、大学4年生の3月から、現場のマネージャーをやらせていただいて。
森上:もう大学時代から現場に入ったんですか!
川岸:そうですね。で、実力がないのに自信満々な僕を粉々にしてくれた方ですね(笑)。
森上:(笑)。
川岸:本当にもう毎日怒られたと言うか、毎分怒られていましたね。分単位で怒られました。
森上:分単位(笑)。ある意味、そこは川岸さんにとって南野陽子さんは厳しい先生みたいなかたちで。
川岸:もう先生と言うか、親と言うか、本当に恩人で、今でもそうなんですけど。
森上:ほう。
川岸:愛情深い方ですね。厳しい方ではあるんですけれども、愛情深い方で、例えばどれを挙げていいのかわからないですけど、1個挙げると、当時現場マネージャーに就いて、3ヶ月ぐらいのときに、2時間ドラマか何かが決まったんですよ。で、上司から「台本ができたから、この台本を今すぐ陽子さんに届けろ」って言われて、渡されてバーっと家に車で行って、玄関で、「こちら次のドラマの台本です」って言って、渡したんですよ。そこで「このドラマの制作会社どこ?」って言われて、全然わからないと思って、「わかりません」って言ったら、ドアをガシャンって閉められて、閉められたときに、紙袋を投げつけられて、すごく落ち込んで。でも、もう毎日怒られていたので、落ち込みまくっていたんですけど(笑)。
森上・渡部:(笑)。
川岸:で、車に戻って、その紙袋を開けたら、誕生日プレゼントだった、っていう。
森上・渡部:え!
川岸:毎日怒られて怒られて、そういうことがあって、誕生日プレゼントはポールスミスの財布と、手紙もあって、そこに「厳しく言うときもあるけど、あなたの成長を楽しみにしています」みたいな言葉とか書いてあって、すごく感動したっていう出来事があったりしました。
森上:すごいエピソードだな。
川岸:毎分怒られていたので……、僕は毎分ミスをしていましたからね。
森上:そうかー。やっぱり台本を一つ届けるにも、そこはマネージャーだったら、製作会社くらいはちゃんとチェックをした上で、そこを一緒に伝えてっていう、「伝書鳩じゃねーぞ」っていうことを伝えたかったということなんですかね。
川岸:ぽんこつマネージャーだったので。本当にゼロイチを教えていただいた方でしたね。例えば、車で移動とかあるじゃないですか。そのときに、「好きな映画は何?」って聞かれて、3つぐらい挙げると、「少ない」と。「これとこれとこの映画を見てきなさい」と。
森上:へー。
川岸:それで、「映画を見て、その感想を全部ノートに書き込んで来て」とか。タレントさんって、マネージャーを育てるっていう仕事じゃないから、そこまでやっていただける方って、なかなかいないと思うんですけれど、南野さんって、そこまでやってくれたんですね。
森上:なるほどねー。
川岸:だから、ケイダッシュの上司からも、もちろん育てていただいたんですけれど、必死で教育をしてくれたのは、南野さんで、本当に感謝しかないですよ。ケイダッシュを辞めてからも、舞台中にもかかわらず、僕の結婚式に来てくれたりとか。
森上:そうでしたね。
川岸:あと、僕の妻も含めて食事に連れて行っていただいたりとか。
森上:本当ですか!?
川岸:今でも、本当に交流があります。
森上:そうですかー。すごく面倒見のいい方なんですね。
川岸:恩人中の恩人です、本当に。
森上:へー。まあ、そこも誰に対してもやっているわけじゃなくて、やっぱり川岸さんに魅力とマネージャーとしての才能と言うか、期待と言うか、そこがあったからでしょうね。
川岸:今までのマネージャーで一番できなかったからじゃないですかね?
川岸・森上:(笑)。
川岸:本当にポンコツだったと思いますよ。でも、本当にかわいがっていただきましたね。
文化人部門が立ち上がった、意外なる理由
森上:それで、そのあとは、マネージャーから、広報に行かれて、文化人部門を(立ち上げ)。パールダッシュさんですかね?
川岸:そうですね。正確に言うと、文化人部門が始まったときっていうのは、パールダッシュでは、文化人部門ってやってなかったんですよ。
森上:あ! そうなんですか!
川岸:パールダッシュって、元々は企業のPRをやっていて。
森上:へー!
川岸:ケイダッシュの広報部で、文化人部門をやって、文化人部門が大きくなったから、どこに文化人を所属させようかっていう話になって、パールダッシュになったっていうだけで。
森上:そうでしたかー!
川岸:順番が実は逆で、文化人部門ができたから、パールダッシュが文化人会社になったっていう感じなんですよ。
森上:そうですかー。うちもパールダッシュさんには、お世話になっているんですけど、パールダッシュさんも軒並み、すごいベストセラーを……。
川岸:本当にそれはそうなんですよね。結果論なんですけど。文化人部門ができた経緯っていうのが、結構不純な理由で……(笑)。
森上:不純な理由(笑)!
川岸:不純な理由だったんですよ。当時、広報部って、僕と先輩しか……。その先輩も森上さんはご存じだと思うんですけど、2人しかいなかったんです。広報部って社内で結構重宝されていたんですよ。役員レベルの方が、すごく大事にしてくれていたんですけど、それが気に食わない中堅社員の方たちがいて、毎日のように「広報部VS中堅社員」みたいな感じで喧嘩が絶えなかったんですよ。そのときによく中堅社員から言われていたのが、「広報部に売り上げないだろ」って。広報部って宣伝なので、売り上げで言うと、タレントさんのマネージャーにつくじゃないですか。だから、「広報部って売り上げないだろ」みたいな感じで、すごく言われていて、「だったら、広報部で売上つくってやるよ」っていうふうに、反発精神でつくったのが、文化人部署なんですよ。
森上:なるほどー。不純と言うよりも、すごく素敵な話じゃないですか。反骨精神から生まれた部署。
川岸:半分意地で、役者はあったし、芸人はあったし、アーティストはいたし、歌手もいたし、一個空いているって言ったら文化人で、文化人のマネジメントだけは、ケイダッシュグループはどこもやってなかったんですよ。
森上:なるほど。そもそも芸能事務所さんとして、文化人って業界全体としてまだまだでしたよね? やっぱり僕のイメージだと文化人はパールダッシュさんが牽引していた、先駆者的なイメージがあって、そうでもないんですか?
川岸:当時は本当にそうですね。
森上:そうですよね。
川岸:例えば、ホリプロさんとかは、スポーツ文化部とかがあったりするんですけど、当時はあまりなくて、今で言うと、スターダストさんとか、いろんな事務所さんが文化人部門をやっていると思うんですけど、当時は珍しかったと思います。
森上:そうですよね。スポーツ選手か、大作家先生が所属しているぐらいのイメージしかなくって、いろんなジャンルの文化人を、タレント化していったっていうところで言うと、パールダッシュさんが先駆者的なイメージがありますよね。それこそ「彼ごはん」!
川岸:あー! SHIORIちゃんですよね。SHIORIちゃんが一人目だったんですよ。
森上:そうですか!
川岸:その広報の先輩が、SHIORIちゃんを連れてきて、「この子を売ろう!」みたいな感じになって、それがもう売れに売れて、シリーズ累計で400万部超えたっていう。
森上:すげー!
川岸:料理本が、とんでもなく爆発したんですよ。
森上:いや、すごいよなー。「彼ごはん」ですよね! 「彼ごはん」!
川岸:「彼ごはん」! 本当にそれが勢いに乗って……ですよね。
森上:そうですよね。そのあとは、ペン字の中塚翠涛さん。
川岸:はい。あと、神崎恵さんとか。
森上:はいはい。メイクのね!
川岸:そうですね。何十万部、何百万部っていう書籍が、どんどん出てくる。
森上:そうでしたよね! それで、僕が川岸さんと初めてお目にかかって、お仕事をさせていただくきっかけになったのが、今もうパールダッシュはやめられていますけれど、松尾知枝さん。
川岸:そうでしたね!
森上:そうなんです。あの方がきっかけで、お仕事をさせていただいて、うちでは『3年以内に成功する男、消える男』っていう本で。でも、あれも本当にさすがだなと思ったんですけど、パールダッシュさんのお力と、松尾さんの能力があって、4万部ぐらいいきましたよね。
川岸:いきました。当時、僕らは広報部という名の宣伝マンだったので、もうテレビ局だとワイドショーとか報道番組、新聞社だったりとか、出版社だったりとか、人脈とか営業力っていうのには自信があったんですよね。だから、本当に文化人の実力さえあれば、「絶対に売ってやる」みたいな感じの熱でやっていましたね。
森上:そうですよね。それが、もう2013年なので、8年ぐらい前(収録当時)ですよね。
川岸:そうですね。そう考えると、松尾さんには素晴らしいご縁をいただきましたね。
森上:そうですよね。そういう意味では、そのあとずっとお付き合いさせていただいて。渡部さん、そんな感じなんですよ。
渡部:なるほど。ちょっと、すみません。ここはカットするかもするかもしれないんですけど、「10年以上のお付き合い」って書いてあるんですけど、一番最初にお会いしたのは、いつなんですか?
森上:松尾さんの本のときだから、2011年、12年ぐらいですかね?
川岸:そう考えると、やっぱり10年前ですね。
渡部:本当に長いお付き合いなんですね。
森上:そうですね。渡部さんは別のところで、(川岸さんと)接点が生まれたって言うか。
渡部:そうですね。
川岸:文化人部署が立ち上がったのも、たぶん、そのぐらいの時期ですからね。
森上:そうでしたか。
川岸:僕が入社して5年目だから、26でしょう。だから、2010年とか11年なんですよ、文化人部署自体ができたのが。
渡部:すごいですね。入社されて数年で、新規事業と言えるような、新しい部門を生み出して。
川岸:不純な理由ですけどね(笑)。
渡部:いやいや(笑)。そんな何百万部の本を生み出すきっかけをつくられていて、めちゃくちゃ素晴らしい活躍ですよね。
川岸:いやいや。結果として良かったですよ。本当にいい経験になりました、文化人部署は。
森上:横のつながりもすごくあって、例えばそれこそ宝島のご担当者さんとか、あの頃は中経出版の神崎さんの担当さんだったりとか、また横のつながりも、出版社同士でもいろいろとあったりとか。結構いい関係でしたよね?
川岸:本当に良い流れで、まわりの皆さんに支えられながら、世に出せましたね。
芸能マネージャーとは、タレントの武器を最大化する仕事
森上:そうですよね。そもそも芸能マネージャーって、細かいことから、いろんなことをやられると思うんですけど、芸能マネージャーのお仕事って、具体的にはどんなお仕事なんですか? 改めて聞くのもあれですけど……。
川岸:そうですね。南野陽子さんについたときは、本当にもう奴隷でしたけど。
森上・渡部:(笑)。
渡部:なんかイメージ通りな感じがしますね(笑)。
森上:(笑)。
川岸:でもね、全然違うんですよ。マネージャーっていう言葉は、昔からある言葉であれなんですけど、結局プロデュースする側の話で、ひと言で言うと、インフルエンサー、タレント含めて全部インフルエンサーっていう言葉でまとめるんですけど。
インフルエンサーが持つスキルを最大化する仕事だと思っているんですよ。で、あとはもうキレイごとではなくて、本当に一番のファンでいないと、マネージャーはできないと思いますね。だから、例えばスキルとか芸とか、それを育てるのはタレントの仕事だと思うんですけど、そのタレントが育てた芸やスキルを、僕らがプロモーションして、マーケティングすることで、最大化するっていうふうに考えていて、さっきの文化人のマネジメントも全部そうなんですけど、インフルエンサーの芸をどうやって表に出すか、どうやって拡散するかっていうのを考えるっていうところだと思っています。
ただ、最近すごく思うのが、自分の商品であるスキルが何かを見つけられない人がほとんどだったりとかします。文化人は全然違いますよ。料理家とか、ペン字だったりとか、何かしらスキルがあるんですけど、今は例えば、インスタグラマーとか、YouTuberになりたいっていう方だったりとかっていうのは、自分の商品が何なのかっていうのをまだ見つけられていない方がほとんどだったりするので、それを見つけるのが、マネージャーの仕事かなって、最近すごく思っていて。
森上:なるほど。
川岸:インフルエンサーが、最終的になりたい目標とか目的と、スタートって別に同じでなくていいかなっていうふうに思っていて、例えば目的が「トップ女優になりたい」とか、「アカデミー賞を獲りたい」とか、何でもいいんですけど、だったとしてもきっかけ、スタートラインって、別にアイドルでもモデルでも、いいと思うんですよ。
森上:なるほど。
川岸:やりたいことと、その人が持っている才能と言うか、その人の持ち前みたいなものって、必ずしも一致するとは限らないと思っていて、その見極めとか誘導とかも、マネージャーの仕事なのかなっていうのは、最近よく思います。
森上:なるほど。そういう意味では、SNSの発達によりインフルエンサーっていうのが本当にわーっと増えてきた中で、やっぱり自分の強みが見つからないまま、そういった表舞台に出ちゃう人って言ったら、語弊がありますが、光が当たり始める方もいらっしゃる中で、どう強みを一緒に探していくかって言うか。
川岸:そうですね。やっていきながら、それが変わる人もいる。女優をやりたくて、オーディションを受けてもなかなか受からないけど、アイドルをやらせてみたら、突然人気が出たとかいうのもあるし、色んなことに挑戦することも、今は必要なのかなって思いますね。
森上:じゃあ、10年前とはもう全然違うステージに入ったっていう感じですね。
川岸:そうですね。言い換えれば、可能性はいくらでもあるので、発信できるメディアもこれだけ増えれば、変な話、何でも挑戦できるかなと。で、人気が出てしまえばやりたいことっていくらでもできるんですよね。お笑い芸人さんとかでも、実は女優を目指していたっていう方が結構いたりとかするんですよ。でも、お笑い芸人で人気になれば、女優業もいくらでもできるし、スタートラインって何でもいいのかなって。これ、父親も言っていましたよね? 小堺一機さんを例にしていたと思うんですけど。
森上:あー、確かに、確かに。俳優さんを目指していたんですよね?
川岸:はい。でも、人の何かを引き出すトークがうまいからって言って、ああいうコメディアンになったりとかしたんですよね。
森上:そっか、そっか。じゃあ、そういう意味ではもしかしたら、昔も今も、そういった部分は変わらないと言うか。
川岸:変わらないです、変わらないです。でも、結局は信頼関係なので、インフルエンサーとマネージャーの関係って、どっちが上とか下とかもなくて、人とモノの違いって、嫌いな人の言うことって、人って、絶対に聞かないじゃないですか。ましてや、指示なんかされたら、反発しかないと言うか。
森上:そうですね。
川岸:でも、逆に好きな人から言われたら、言うこと聞くし、多少のミスも許せたりするし。これって、マネージャー目線でも、タレント目線でも同じだと思うんですよね。信頼関係って結構重要だなと思います。
ケイダッシュを卒業し独立した経緯
森上:素晴らしいお話ですね。川岸さんは、芸能マネージャーは、どれぐらいやられている感じですか?
川岸:22からだから、16~7年……。
森上:16~7年、もうこの世界にいらっしゃって、そんな中、2016年にケイダッシュを卒業されますね。
川岸:そうですね。11年いましたね、ケイダッシュには。
森上:それで独立されたと。
川岸:独立しました。はい。
森上:それは、意図というのは。
川岸:意図って言うよりは、元々、学生時代に「社長になる」って言っていた話があるじゃないですか。「俺は社長になる」じゃないですけど。当時は本当に休みがなくて、目の前のことにいっぱいいっぱいになっていたので、そもそも「社長になりたい」という言葉自体を忘れていたんですよね。ただ、ちょうどそれこそ森上さんに出会ったくらいだと思うんですけど、29歳のときに、再度「社長になりたい」って芽生えたきっかけみたいなものがあって。
森上:ほうほう。
川岸:「もうすぐ30か」っていう漠然とした焦りだったりとか、当時、YouTubeにめっちゃ興味があって、それこそ名前を出しちゃいますけど、仁香っているじゃないですか。それこそ、御社に書籍(『この習慣で美人になれる』)も出していただきましたけど。
森上:はいはい。元CanCamのモデルさんですね。
川岸:そうです。で、仁香のYouTubeチャンネルをやってみたんですよ。当時やってみて全然それがうまくいかなくて、でも、まわりにYouTubeチャンネルをやっている人たちが当時は全くいなくて、聞く人もいなくて、芸能界っていう人脈から一旦離れて、例えばSNSに詳しい人だったりとか、システム開発の人とか、あとYouTubeチャンネルをやっているクリエーターだったりとか、そういう人たちの人脈を広げるようになったんですね。
森上:なるほど。
川岸:それで、人脈を広げていって、芸能界以外の人たちの話を聞いていったら、それがすごく刺激的で、そういう人脈を広げることによって、「やっぱり独立したい」って思ったんですね。当時は「エンタメとITを融合させた事業でスターを出したい!」って言っていたんですけど、今でもそうなんですけど、それが時代が流れていって、今まさにそういう時代になっているんで。
森上:川岸さんの考え方に時代が追い付いてきましたね、間違いなく。
川岸:今、考えると、本当にそのときに決意してよかったなと。もう5~6年も経ちますけど。
森上:ホントにそうですよね。
川岸:でも、それを思ったのが29歳のときだったんですけど、僕は親父のコネでケイダッシュに入ったので、まず親父に独立の許可を取らなきゃいけなくて。親父を説得することがまず第一だったので、29歳の正月に親父を呼び出して、「明けましておめでとう」と同時にレポートを5枚出して、独立のプレゼンをして、そしたら「ダメだ。こんな甘い考えじゃ」って言われて、「そんなに経営は甘くない!」って突き返されて、ただ、そのときに「内容は全くダメだけど、そうやって考えていることだけは正解だから、また持ってこい」って言われたんですよ。
森上・渡部:ほー。
川岸:そこから、そういうレポートを5回ぐらい出しましたかね。で、3年ぐらいかかったんですけど、3年がかりで親父を説得して、事務所に許可をもらって、独立させてもらったっていう経緯ですね。
森上:いやー、そんな裏話があったんですね。
川岸:そうなんですよ。でも、本当に当時はYouTubeをやっている人がまわりにいなくて、今は当たり前のように皆さん、やっていますけど。
森上:そうですよね。むしろそれを馬鹿にしていたと言うか、「YouTubeなんて」っていう感じでしたもんね。あの時代はまだ。
川岸:「サムネって何?」から始まっていましたからね(笑)。
森上:(笑)。今じゃ、当たり前ですけどね。いやー、そこは先見の明がありますよね。時代を読んでと言うか。そこがやっぱり川岸さんは、センスがおありなんですよね。
川岸:そこまで具体的には考えてなかったんですけど。好奇心ですかね。もう好奇心で、やってみたのが、最終的に今につながっているっていう感じがありますね。
森上:いやー、渡部さん、いかがですか?
渡部:そうですね。なかなか芸能界っていうところは、普通にしていると見えない世界なんですけれど、その中で揉まれて、成長して、情熱と共に今ここまでいらっしゃったんだなっていうのは、すごいお話だなと、感じました。
川岸:そんなきれいな話じゃないですよ(笑)。
渡部:実際にやられていたときはすごく大変だったんだろうなというのは、感じます(笑)。
川岸:本当に我ながら、楽しい人生を歩んできたと思いますね。
森上:(笑)。
渡部:そこを楽しめるっていうところがたぶん、川岸さんのよさっていうことなんでしょうね。
森上:やっぱり好きじゃなきゃ、やれないでしょうね。端から見ていても思います。本当に素晴らしいお仕事で。
渡部:では、今日は、この辺までで、また明日の放送に進んでいく感じで。
森上:はい。
川岸:僕のことばっかりしゃべっていますけど、大丈夫ですかね(笑)?
渡部:川岸さんのお話を聞く回ですからね(笑)。
森上:そうです、そうです(笑)。
川岸:ありがとうございます。
渡部:では、本日は、ここまで芸能マネージャーの仕事内容や、川岸さんの芸能マネージャー人生についてお伺いしましたが、お時間も経ってまいりました。明日も川岸さんにはゲストにお越しいただいて、またさらなるお話を伺っていきたいと思います。明日は現在の代表を務められている株式会社ICHさんでの取り組みや、今後の芸能プロダクション、芸能界の未来について詳しくお伺いしていきたいと思います。コンテンツビジネスに興味がある方はもちろん、ビジネスやブランディング構築に役立つお話がいろいろとあると思います。ぜひ、明日も聞いていただきたいと思います。川岸さん、森上さん、本日はありがとうございました。
川岸:ありがとうございました。
森上:ありがとうございました。
(書き起こし:フォレスト出版本部・冨田弘子)