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「安定人生」か「チャレンジ人生」かを天秤にかける

私について
・地方在住の41歳
・副業禁止の大組織勤務
・2歳と5歳の子育て中
・住宅ローン残り約25年
・パラレルワーカーに移行中

私について詳しくは↓

今回はタイトルの通り
安定収入、安定勤労など
頭に「安」がつく生き方と

歳をとってからも
チャレンジし続ける生き方について

お金、メンタル、健康の観点で考え
まとめてみた。

・・・

様々な女性がいるので
一概には言えないが
結婚するなら男性の年収は
最低でも400万円以上

というセンテンスをよく聞いたりする。

(これは都市部の若い女性の価値観?)

もしも、この言葉通りだとすれば
年収400万で幸せが手に入ると
考えてるってこと?

幸せな結婚の最低条件として
男が年収400万稼がなければいけないってこと?

生き方とか人柄とかっていうのは
その後の話になっていくのだろうか…

地方に住む私としては、
40代後半で兼業農家で
子ども5人育てながら
アーユルベーダの先生や
オーガニックな食べ物屋を
楽しそうにやってるような人が
知人にいるので

今となっては都市部で400万稼いで
高い家賃を払って
暮らす生き方が
必ずしも幸せの最低条件だとは
思っていない。

一方で、400万なら
ある程度食うに困らず
子育てを普通にできて
老後の蓄えができる
そんな暮らし方はできそうだと
思う。

それだけで十分幸せだという人も
いると思う。


私もこうした生活を
今は維持できているかも。
育休の妻が仕事に復帰すれば

つまり、収入は安定。
そして長年携わった仕事であるため
働き方も比較的安定。
定年後も安心。

社会のルールやコンプライアンスを
守り
他の人と調和
出過ぎた自分のカラーを抑制しながら
平穏無事に日々をこなせれば
この安泰は失われずに済む。

これは人によっては「いいなぁ」と
思うポイントなのかもしれない。

でも私はどうやら
そういうタイプではないらしい。

私は変化や展開、未知の領域にワクワクする
旅人タイプである。

変化のない日々の中にいると
いつも「これでいいのかなあ」と
思ってしまう。
例え十分なお金をいただいても。

若い時もそうだったが、
ここ十数年、
自分のそういう側面を抑えて
組織で働いてきた。

それでも消すことのできなかった違和感

40歳を過ぎ、住宅ローンもあり、
子どもが2人できても

「チャレンジしたい。」
「心を燃やしたい。」

そんな自分が胸の内でノックし続けている。

こんなにおじさんになって
改めて「安定人生」と「チャレンジ人生」を
天秤にかけている。

あれほど憧れた「安定」は
本当にイイモノなのか。

職業人生約20年の気づきである。


1,お金の観点から


安定組織で月々決まった給料をもらい
ボーナスもしっかりいただく。
経済的に何も心配はない。

積立ニーサやイデコを含め
組織で掛けている年金。
そして退職金…

老後の蓄えは完璧余裕。

おそらくその絶対的安心感は
65歳〜70歳の頃には
間違いの無いものに。

安定の老後のために、
この日々を続けていけば問題ない。

でもそれでいいのかな。
自分の成長が止まってしまいそうで…


一方で、チャレンジングな生き方をした場合。

自分の商品の販売単価を設定
売り上げ目標を設定

そのためにはどれくらいの人
購入してもらって

そのためには潜在顧客
どこでどうやって獲得するのか

何より連れてきたお客さんを喜ばせ
さらに今後も付き合っていただける
のか

売り上げからどれくらい経費がかかって
どれくらい税金でもっていかれるか

商品スキルマーケティングスキル
さらに税金知識が必要になる。

それも月によって変動があり
回転を止めるわけにはいかない。

はじめのうちはきっと
400万なんて手に届かない。

ただし、うまく噛み合って
歯車が回れば400万どころか
もっと青天井
ただ確実ではない。

さらに老後は国民年金だけでは苦しい。
なのでそこを補うため
貯金、投資を行う。
歳をとっても何かしら
働く必要が出てくるだろうなあ。

安心を前提におくと
現実問題、何かあった時のことを考えると
安定した会社等に雇用される働き方ほど
心強いものはないのは間違いないだろう。

2,「やりがい」の観点から

やりがいとはどのように生まれるものなのか。

私は次のようなものが必要だと思う。

・自分の価値観
・正義感
・責任感
・主体性
・報酬(心理的報酬、金銭的報酬など)

他人が推奨するものでなく
国家や一般社会が奨励するものでなく

自分自身の心が踊るもの。
極論そこにしか人は価値を見出せないと思う。

自然が大好きで土に触れることで
生きていることを感じる人に
都会のオフィスの中で1日パソコンの前に
座らせて作業をさせると

どんなに高い報酬をもらっても
喜ばないだろう

そして価値を置くところには
必ず正義感が伴う。

都会で暮らし、自然環境に
そんなに関心無い人に
どうでもいいできごとだとしても。

自然を愛する人にとって
必要以上の
森林伐採や農薬散布は
敵でしかない。


そして正義感の働くところに
人は責任感を感じる

山々や畑を守るために
素晴らしさや
作物の美味しさを
世に伝えていかなければ
という責任感
が生まれる。

それによって
誰から勧められるわけでもないのに
自分からそういった発信活動をする。
SNS発信をしたり
ネット販売を開始して
自慢の作物を購買者に届けたり。

主体性が働いている

そうして自分が働いた分だけ
喜んでもらうとか、感動を与えるとか
謝礼をもらうなどによって
モチベーションは高まり
次のものを生み出す活力になる。

心や経済の報酬である。


この循環さえあれば、どんな環境でも
幸福感を感じられる
と思う。

オフィスワークでも
その業務内容に
・価値を見出して
・正義感が働き
・責任感が生まれ
・主体的に活動し
・心理的、経済的な報酬

が得られる循環があれば
「やりがい」を感じていることになる。

今、やっている仕事に
どれだけのやりがいを感じているか。
チャレンジができているか。

いつ無くなるか分からない
この命を
この時間を
投じていることに悔いはないか。

・価値を見出して
・正義感が働き
・責任感が生まれ
・主体的に活動し
・心理的、経済的な報酬

このどこかが欠けていると
全ての歯車が崩れる。

崩れた歯車の中で時間を過ごすか
新しい歯車を組み立てにいくのか。

そして崩れた歯車の中では
メンタルも身体も
不健康になるだろう。

3,どっちをとるか

結論。

私は「やりがい」さえあれば
収入の多い少ないに限らず
幸福感が得られる
と考えている。

安定収入の安定組織だろうが
兼業農家だろうが
職人だろうが
YouTuberだろうが

限りある時間を何に使っているか。
これから何に時間を投じていきたいか。

この基準で考えることが1番だと思う。

年収だけで働き方を選ぶと
人生は後悔に満ちたものになる。


実際キャリア後半でバーンアウトしやすい。

そして安定とやらの老後も
打ち込むものが無ければ
急速に衰え
長い時間を医療や福祉にお世話に
なることも。
(私の父がそう)

歳をとっても
人に喜ばれ自分の生活費を
自分で稼ぐ生き方の方が
老後もかっこいい。

40歳。
100年人生において
まだまだ人生は折り返しにも立っていない。

子ども達にどんな姿を見せたいか。
大金持ちでなくても
生き生きと働き
人に喜ばれ
頼りにされる姿。

残り人生で
自分の時間をどんな風につかい、
どんな力を育てて
誰のためにその力を使っていくのか

そこに自分の価値観を
反映させていくと
後悔のない人生になっていく
のだと思う。

来年からのパラレルワークを
目指して
自分自身に叱咤激励のnoteでした。
最後まで読んでくださりありがとうございました。


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