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マネジメントと戦術と 〜ヨーロッパの指導の観点から日本代表はどう見えたか〜

前回前々回の記事を読んでくれたUEFAプロラインセンスを持つある方から、このテーマで一緒に掘り下げたい!という連絡をいただきました。ライター・寺田弘幸さんと3人で、さらに詳しく森保監督のマネジメントを軸におしゃべりした様子を3回にわたって紹介します。

高野 剛が参戦


久永 「今日もよろしくお願いします。僕と寺田さんの雑談をお届けした前回の記事を読んで『俺も参加したい』と言っていくれた高野剛(たかのつよし)さんも一緒に、今回はもっと突っ込んだ話をできればなと思っています」

高野 「よろしくお願いします」

寺田 「よろしくお願いします。高野さんは僕が取材を始めたばかりの頃にサンフレッチェでお仕事をされていたので『はじめまして』ではないんですけど、その後の経歴も含めて、自己紹介をお願いしてもいいでしょうか?」

高野 「はい。ちょっと長くなるかもしれませんけどね(笑)私は福岡の東海第五で(現在は東海大学付属福岡高等学校)サッカーをして、卒業後にアメリカに渡って選手と指導者を開始しました。それで日本に帰国したときにサンフレッチェに加入させてもらい、久永さんと一緒にジュニアユースを担当させてもらいました」

久永 「僕が出雲のくにびきに行っていたときですね」

高野 「僕は広島市にあるU-15のアシスタントコーチをやらせてもらって、08年からはトップチームのスタッフとして分析を主に担当し、2010年にイングランドに渡ってハダースフィールドのアカデミーコーチをしてUEFAのAライセンスを取得し、その後にサウサンプトンのアシスタントコーチとして活動しました。
その後に日本に帰国してアビスパ福岡のアシスタントコーチをして、タイに渡りBBCUというトップチームの監督になってプレミアリーグに昇格しました。その後にギラヴァンツ北九州のアカデミーダイレクター兼U-18監督として活動し、その後にJリーグのプロジェクトDNAの立ち上げに関わり、現在はSTVVのHead of Football Strategy & Developmentと言って、フットボールクラブのフットボール戦略と育成の方に関わってます。2018年にはUEFAプロライセンスをイングランドサッカー協会から取得しました。そんな感じの経歴です」

寺田 「すごいですね。UEFAプロライセンスは、先日に久永さんにも伺ったんですけど、簡単に取得できるライセンスではないんですよね」

高野 「そうですね。UEFAのプロライセンスも国によっていろいろ方針があるんですけど、イングランドの場合は受講するのがまず難しくて、3回ほど先行試験みたいなものがあります。1回目は経歴書と推薦書が必要なんで、推薦書を然るべき人からもらうことが重要になりますし、経歴もしっかりと見られます。それから2回目はオンラインで自分の指導のフィロソフィーを2分以内で話し、IQテストなどを含めたオンラインテストを行います。
それで3回目は実際にセントジョージスパークっていう、日本で言うナショナルトレーニングセンターで36名から27名に絞られる1泊2日の合宿があります。そこでいろんなことをやるんです。グループワークとしてディスカッションがあったり、IQテストがあったり、シナリオワークがあったり。ありとあらゆるテストをやって27人に絞られる感じでしたね」

寺田 「すごいですね」

高野 「このライセンスは世界のトップクラスのライセンスになるので、これからのサッカー界を牽引する人材を育成していくことになるんです。なので、今何が起きてるかを学ぶんじゃなくて、これから5年先、10年先がどうなっているかを考えていくことになります。だからそれなりの経歴があって能力が高い人を集めたうえで、今はないものをイメージしながら具体的なディスカッションをしていく必要があるんです。
なので、チャンピオンズリーグに優勝した選手やプレミアリーグで優勝した選手、16年間も監督をやり続けながら1回も解雇されたことがない方や、育成に20年間以上に携わってきて何人も世界トップクラスの選手を育ててきた方が受講するんです」

久永 「イングランド代表だった選手もいたって言われてましたよね?」

高野 「選手で言えば、ユナイテッドで活躍したニッキー・バッドがいました。イングランド代表GKだったディビッド・ジェームスもいましたね。さっき話した16年間も監督として解雇されたことがない人は、ナイジェル・クラフって言って、彼のお父さんがレジェンドなんです。ノッティンガムフォレストを率いていて」

寺田 「ブライアン・クラフですね! 昔にロイ・キーンの自伝を呼んだときに名前が出てきましたよ」

高野 「そうです。さすがですね(笑)」

寺田 「本当にすごい方々がいる中で学ばれてきたんですね。これから森保さんについてもゆっくりと伺っていきたいなと思うんですけど、高野さんと森保さんの関係性も聞かせてください。サンフレッチェ時代に一緒に仕事をされていたんですよね」

高野 「そうですね。彼の家でお世話になりながら仕事をした時期もありましたし、やらなければいけない作業内容もかなりディープでした。対戦相手の個の分析とチームの分析を同時進行でやらなければいけなかったんです。そのシーズンはホーム&アウェイの2回総当たりではなく、3回総当たりだったんですよ」

寺田 「2008年のJ2のシーズンですね」

高野 「そうです。今はもうJ2にも知れた選手がいっぱいいて情報も溢れていますけど、当時のJ2は名前を聞いたことがない選手も何人もいましたし、ミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)もJ2は初めてだったので、どんな選手がいるのか、どんなチームなのか、できる限りの情報を集めることがJ1に復帰するミッションを達成するためには必要不可欠なことでしたし、森保さんの他にもう1人誰か必要だということになって、たまたまポジション的に浮いていた僕が一緒にやらせてもらうことになったんです」

寺田 「2008年の1年間はずっと森保さんと一緒に仕事をされていたんですね」

高野 「そうです。当時は自分のサッカーを見る目がどれだけあるのかを試してみたいと思って、3人のコーチ、森保さん、横内昭展さん、望月一頼さんを密着マークしていました(笑)」

寺田 「監督はミシャさんですし、錚々たるメンバーですね」

高野 「非常に僕にとってラッキーでした。久永さんも同じだと思うんですけど、サンフレッチェは育成に力を入れているクラブで、森山佳郎さん、沢田謙太郎さんがアカデミーをリードされていて、普及の方でも塩崎浩作さんがおられて、オフ・ザ・ピッチのところには織田秀和強化部長がおられ、山出久男育成部長がおられたんですね。
あらゆるところに素晴らしい模範があったことが、指導者として初めてプロクラブで活動する僕にとっては素晴らしい環境でした。サッカーの面で手も足も出ないほどの実績を出されている方々がオフ・ザ・ピッチでの立ち振る舞いも素晴らしくて、プロたるものは何なのかを教えてもらったんです」

カタール大会の日本代表


寺田 「森保さんをよく知っていて、ヨーロッパでご活躍されている高野さんに、今日はワールドカップの日本代表をどうご覧になっていったのかを伺わせてもらえるんですね」

久永 「僕と寺田さんで話した前回の記事を読んで高野さんは2回ともすぐに連絡をくれたんですよ」

高野 「久永さんとはサッカーの分析について、フィロソフィーも含めて度々話し合ってきましたし、観点も同じようなところがあって、あの記事を読んで僕もエキサイトして連絡させてもらったんです。
さっそく今回の日本代表に関して僕が感じていることを言わせてもらうと、総合的に考えて今までの中でもすごく良いワールドカップだったと思いますし、日本人監督として森保さんが長く率いてきたのでチーム作りもうまくいったんだと思います。もちろん戦い方や結果に対しての批判もあると思うんですけど、サッカーには必ずプラスとマイナスが付いてくるものですし、僕は内容的にもすごく良かったと思っています」

寺田 「内容的にも、良かったんですね」

高野 「はい。久永さんも話されていましたけど、決まりごとや形を追求するよりも、試合に勝つために戦略があって、それがあったうえで戦術があり、その状況、その状況が生まれてくる中で、状況の対応は選手が行うもので、戦術も、ああなったらこうする、こうなったらああする、って細かく決めるのではなく、こういう感じいこうよ、っていうところのさじ加減がすごく良かったなと思います。実際にチームの中にいたわけではないですし、直接話を聞いたわけではないですけど、試合を見てそのように感じました。
なぜ、そういうチーム作りが良かったかと言うと、今の日本代表にはヨーロッパのトップクラスで活動している選手がたくさんいるからです。なので、日本代表としての形を追求するよりも、彼らの経験をいかに生かし切るか、その経験をまとめてチームのパフォーマンスを高めていくか、そこに尽きると思うんですね。
そういう意味でドイツ戦が終わった後にすごく印象に残ったことは、吉田麻也選手が『0-1だったら大丈夫』って周りの選手に伝えてたっていうところです。これはもう、形じゃなくてこういう流れで行きましょうっていうやり方だったということで、『0-1で大丈夫』って言えるだけの経験が彼らにあったということです。
そういう選手がいるのであれば、形をベンチからどうこうするよりも、彼らのピッチ上でのニュアンスや手応えを尊重すべきだと思うんですね。彼らの経験をうまくまとめるための戦術があるべきで、戦術を先行させて選手たちに、こうなったらああやらなきゃ、って思わせるよりも、この状況だったらこうやるべきだ、っていう彼らの理解を優先させるべきだと思うんです。ヨーロッパの指導の観点から言うと、それがスタンダードなので、すごくしっくりくる内容だったなと思います。
その結果、森保さんが最後に言っていましたけど、『追い付けっていうよりも追い越せ』っていうマインドセットになったことはすごく大きなことだと思います。日本代表の形をやって世界を追い越せってなったんじゃなく、選手の経歴や実力があったうえで世界に追い越せってなったっていうことですから」

寺田 「なるほど~。ということは、選手の能力だったり経験値をしっかりと見極めた上で、森保さんがああいう戦い方を選択したという解釈でいいんでしょうか?」

高野 「そうだと思います。今回の日本代表の戦い方は、ポイントはここだなっていうことを踏まえたうえで、選手たちの経験をうまく生かせるような選手交代や戦術変更をしていたと思うんで。例えばえシステム変更しましたよね。最近は日本でも3バックでやったり4バックでやったりっていう融通性が出てきていると思うんですけど、世界の中で戦うという観点から言えば、それはもう普通に起こっていることですし、システム変更をしたときに戦術の方を先行させていたら、お互いの立ち位置や距離感が変わるので『そのときの決まり事は何?』ってなっていたと思うんですよ。でも、多少なりともそういうことはあったと思うんですけど、今回の日本代表は戦術が先行してないかったので、チームの中で混乱が起きなかったですよね。
守備ブロックの距離感は定規で測ったように等間隔でなかったんで戦術的に未熟だったように見えたかもしれないですけど、歪な守備ブロックでも大崩れせず失点しなければいいだけの話で、それを理詰めで詰めていくと定規で測ったような守備ブロックになっていくんですけど、選手たちには『このぐらいのスピードの選手は、このくらいの距離でマークすべき』っていう肌感覚があるし、『相手がこうしてきそうだからここにポジションを取っておこう』っていう予測能力もあって、その瞬間の状況で判断していくんですね。だから、守備ブロックの立ち位置を大事にするのか、選手たちの経験をベースにした守り方で相手に対応していくのか、これは全く別物のアプローチなんですよ」

寺田 「なるほど」

高野 「以前に森保さんと分析を一緒にやっていた中での会話を思い出しても、森保さんは選手たちの感覚をすごく大事にされていました。『こういうことを伝えたくてこういう映像を作るけど、選手たちがどう感じるかはまた別物だから』って言われていて、それはすごく印象的だったんです。話が長くなって申し訳ないですけど、そういったことを全部総合して考えると、森保さんは選手たちの経験をベースにして戦い方を考えられたんだろうなと思います」

寺田 「久永さんは前回に森保さんの選手経験があるのがすごく強みだと言われてましたよね」

久永 「そうそう。たとえ選手にどれだけ映像を見せたとしても、実際にはプレーする選手たちが決めていくじゃないですか。ワールドカップのあの舞台で、気候や雰囲気やメンタルの状態もやってみないと分からない。そのことを自分の経験則として持っているんで、『映像通りになんて絶対にならない』っていうのが森保さんの前提にあるんだと思うんですよね。森保さんは選手経験がすごくあるから、そこをしっかりと踏まえて指揮を執れるんですよ」

寺田 「おっしゃっていることはよく分かるんですけど、ワールドカップという大きな舞台になればなるほど不確定要素が増えてくるので、マネジメントする側としてはカチッと決めたくなるものなんじゃないんですか?」

高野 「ある形を作ってしまうと、その形で対応できないことにどう対応するかが大変になる可能性の方が高いんですよね。特にワールドステージになればなるほど、形を追求すると形がうまくいかなくなるんです。選手たちの見えてる景色を優先するのか、形を優先するのか、極端に言ってその2つがあったとして、形を優先して相手をコントロールしようとすると、相手も相手で経験を使ってそれを打破してくると思いますし、規格外の選手がいたときやイレギュラーが起きたときには対応できなくなりますよね。そういうことをUEFAプロライセンスでは『VUCA WORLD』って言うんですね」

寺田 「えっ??」

久永 「ビジネスでも使われている言葉ですよね。高野さんはちょいちょい日本語とネイティブ並みに発音の良い英語が混じって、よく分からなくなるんですよ(笑)」


※ 次回(12/29アップ予定)は、ヨーロッパのスタンダードや森保監督のサンフレッチェ時代についてのおしゃべりを紹介します。

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