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『サポーターからサッカーライターに(前編)』インタビュー 寺田弘幸

 今回はサッカーライターを目指す難波拓未が、サッカー専門新聞『EL GORAZO』でサンフレッチェ広島とファジアーノ岡山を担当し、選手の声を届けるウェブマガジン『ファジラボ』を運営しているサッカーライターの寺田弘幸さんに人生で初めてのインタビューをさせていただきました。
 前編と後編に加えて、ファジアーノ岡山の2020年と2021年について語ってもらった番外編の3つに分けてお届けします。
 さて、前編ではサッカーに魅了され、どのような経緯でサッカーライターになったのか、お話してもらいました。


寺田弘幸
1980年生まれ。広島県出身。2007年からライターとして活動を開始し、サッカー専門新聞『EL GORAZO』にてサンフレッチェ広島とファジアーノ岡山を担当。著書に『束ねる力 新時代のリーダー・サッカー日本代表監督 森保一』(ELGORAZO BOOKS)。ファジアーノ岡山の生の情報を届けるWEBマガジン『ファジラボ』を運営。


サンフレッチェ広島と共に育んだサッカーへの愛

 サッカーを始めたのは幼稚園の頃でした。小さい頃はよく体調を崩していたので、父親から「サッカースクールに入るか? スイミングスクールにするか?」って聞かれて、僕は「サッカー」って答えたらしいです。そんなキッカケだったし、それからもずっと友達と遊ぶ感覚でサッカーを続けてたら、時代がサッカーブームになっていったのでうれしかったですね。

 中学1年生の頃にJリーグが開幕して、地元のクラブのサンフレッチェ広島の試合をよく見に行くようになった。当時はビッグアーチ(現在のエディオンスタジアム)が5万人の観客で満員になり、森保一(現日本代表監督)さんや風間八宏(現セレッソ大阪スポーツクラブ技術委員長)さん高木琢也さんがプレーしていたんだけど、すごく華やかな舞台だったことを鮮明に覚えている。

 でも、広島では特に早くJリーグの熱は冷めていき、満員だったスタジアムはガラガラになっていった。ただ僕にとっては1人でフラッとスタジアムに行きやすい環境になったから都合よかったかも。当時のサンフレッチェは久保竜彦がすごかった。豪快なシュートを決めるストライカーで、ゴールが決まると驚きと喜びが重なってとても興奮させてくれる選手だった。

 だから、当時はサンフレッチェを見に行くというよりも久保を見に行っていたと言っても良いと思うし、久保が見たいからスタジアムに通っているといつも来ているサポーターさんと顔見知りになっていった。それでいろんな人と交流できることが楽しくなってスタジアムに通うのがどんどん好きになって、気付けばサポーターの方たちと車でアウェイに遠征したりするようになっていたんですよね。


日韓W杯とバイク事故で目覚めたサッカーに関わりたいという想い

 高校卒業後は飲食店でアルバイトをしながら、サンフレッチェを追いかけていました。働き方はいろいろで、朝から晩まで働くこともあれば、深夜帯に働いたり、一つの店舗にレギュラーのような感じで働く時期もありましたけど、2002年に日韓ワールドカップが開催されたときにバイトを全部やめてテレビで試合ばかり見ていたら、沸々とサッカーに関わる仕事に就きたいと思うようなっていった。そのために何かアクションを起こそうと思い、金子達二さんに憧れていたこともあって、作成ソフトとアドレスを買ってホームページを作成しました。自作の不細工なページだったけど、そこでサンフレッチェのことやACミランのことを書いていましたね。飲食店で働きながら、サポーターをしながら、ブログのようなものを書いてインターネットに掲載している生活が数年経って、2006年にバイクで事故をしてしまったんです。3か月ほど入院しないといけない大きな事故で、病室のベッドの上で「これはまずいな」と、自分の将来をすごく考えました。そのとき、どんな形でもいいからサンフレに関わりながら生きていこうって思ったの当時に、これからはちゃんと定職に就かないといけないと思って、以前にバイトしていたお店にお願いして職安に通いながら就職活動をすることにしたんです。


1本の電話から始まったサッカーライター

 仕事探しを始めて少ししたら、1本の電話がかかってきました。電話の相手はライターをしている松山さんという方で、ブログを見てくれていて「サンフレッチェ広島の番記者をやりませんか?」という話だったんです。二つ返事で「やります」って言いましたね。それから『エルゴラッソ』の編集部の方を紹介していただき、ありったけの熱意を電話で伝えたら、決まっちゃったんですよ。これがサッカーライターとしてのキャリアの始まりです。

 エルゴラッソから業務内容などの概要が書かれた資料を見たとき、2つの問題に直面します。ギャランティの安さとサンフレッチェの練習場までどうやっていくか。練習場が郊外にあるので車がないと取材に行けない。でも、車を買おうにもお金がないので、バイトは続けながらライターとしての活動を始めようと思い、エルゴラッソの仕事を優先することを了承してもらいながら働かせてもらうことになったんです。僕の夢を応援してもらうような環境を作ってもらったことには本当に感謝しています。


現場で学んだ取材力と文章力

 ど素人からサッカーライターの仕事を始めたので、わからないことだらけ。全部、取材現場に行って他の記者さんが選手や監督が話すのを見ながら取材の仕方を学んでいきました。それまで取材なんてしたことなかったから、とにかく現場で見て聞いて学ぶしかない。それで、その人たちが書いた原稿をひたすら読む。この繰り返し。「あんなことを聞いて、こんなことを書くんだな」っていう感じ。サンフレッチェの取材現場には本当に良い人たちばかりだったから、やってこれたんだと思います。

 記事の書き方はサッカーマガジンやサッカーダイジェストとかの雑誌を毎回買って読んでいたから、ある程度のイメージはあったんだけど、実際に書くのは本当に難しかった。だから、最初は他の人が書いた原稿の構成を真似て書いてましたね。そうやって真似ながら原稿を書いていき、構成の仕方を自分で見つけていきました。他の人のマッチレポートを読んで新たな発見をしたりしながら、真似ることで身につけていった文章力だけど、今もそういうやり方は変わっていないかな。誰かの原稿を読んで良いなって思ったらすぐに自分でやってみようと思うから。できる限り、監督、選手たちの想いを伝えたいと思ってやってきたつもりです。

<続く>


後編ではライターとしての活動で意識していることや感じていること、ライターを目指す人へのアドバイスについてお話してもらっています。

番外編では17位に終わったファジアーノ岡山の2020年の振り返りと2021年に向けての展望を話してもらいました。


【告知】

寺田弘幸さんにインタビューしてもらいました。
ファジアーノ岡山との出会いについてお話させてもらっています。
ぜひご覧になってください。

『ファジラボ』


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