ひぐちりょうた

駄文散文。

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最近の記事

「定住という旅」

 「旅とはなんですか」。問い続けている。今の私はそれを「まだ見ぬ景色と出会うこと」であると思っている。そしてそれは、物事の新しい見方を獲得するという、まだ知らぬ自分との出会いでもあると思う。 小さいころから、「旅がしたい」という漠然とした渇望があった。毎日毎日、机と椅子の小さな世界でただ大人しく授業を受けていることを強いられていた中学生の時は、流動することのない一様な教室の風景に狭苦しさを覚え、宛て先のない静かな憤りと葛藤を胸の中で反すうしていた。意識は外界へ向いていた。

    • 流れる思考と文章のような何か

      「感性」と入力しようとすると自然に手が「感染」と入力している。そんな世紀末のような習性は、日々記事の中で何度も新型コロナウイルス感染症についての文言を書いていることから生まれるものなのだろうと思う▼この文章には目的もテーマもない。いや、テーマといえば、テーマがないことがテーマだろうか。ただ行きどころのない文章を自然な思考、あるいは惰性的な有意識の残りかすに身を任せながらつらつらと書いた先に生まれるものが見たいだけなのである▼しかし一つ疑問が生じる。この文章はひたすら流れゆくま

      • 紀南紀行「熱と火祭り」

        はじめに 和歌山県那智勝浦町那智山の世界遺産・熊野那智大社の例大祭「那智の扇祭り」が7/14に斎行されました。その際、新聞記事用に書く予定だったコラムがタイミング的にボツになりましたので、470字程度のコラム「紀南紀行」と題して、ここで発表させていただきます。「那智の扇まつり」の説明は、最後にあります。 紀南紀行「熱と火祭り」 乱舞に荒ぶり、燃え盛る炎。前日の雨で水量を増した滝のいつもに増したドオドオという音とその圧倒的な存在感を背後に感じながら、重さ50~60キロにもな

        • 「しっかり書く」

           新聞記者をしていると、取材対象の方からたまに「しっかり書いてくださいね」というふうなお言葉をいただくことがある。言い方は人によってそれぞれだが、大体それを口にする人の背後には、自分に関する記事は少しでもいいものを書いてもらえるよう念を押しておこうという熱が見え隠れする。  メディアの一部である私に少しでも期待をしてくれていると思う反面、わざわざ念を押さなくても仕事はキッチリしますよとも思う。私にそれだけ信頼値がないという証明でもあるのだが、信頼は一朝一夕ではできない。今よう

        「定住という旅」

          紀南新聞で記者をしています

          僕は今、和歌山県新宮市という、「熊野」と呼ばれるまちの、小さな新聞社で記者をしている。夕刊紙で、この地方に特化した情報を取ってきて、まとめる仕事。記者が少ないという理由もあって、平均して週に3~4日は僕の記事が一面トップになる。週に2日は「紀南抄」という480字程度のコラムも書かせていただいている。 取材先は、大手紙のように担当が分かれているわけではない。そのため、新宮市の議会に行った午後には高齢者のグラウンドゴルフ大会に行くこともあるし、隣町の那智勝浦町にある世界遺産・

          紀南新聞で記者をしています

          「核」捨てられないごみのこと

          先日、僕が子どものころからお世話になってきた、第2の故郷といってもいい町が「核のごみ」の受け入れ場所選定の第1段階に踏み出す意向を示した。 調査の先には当然、「核のごみ」を埋めて処分することが見据えられている。調査の段階で町は国から最大20億円を受け取ることができ、北海道の片田舎の苦しい経済状況を立て直す資金となる。 個人的な感情を言います。僕は北海道の海が好きです。うまく泳ぐこともできないし、別段外から見てきれいな海というわけでもないかもしれない。でもあそこの海で僕は育

          「核」捨てられないごみのこと

          作品の中の、モールス信号

          「日本は、まだ戦争中です。」 このような書き出しから文章を始めると、たいてい読者は離れていくのではないでしょうか。 「僕は沖縄に4年間住んでいました。そこでまず驚いたのは、空を悠々とオスプレイが横切っていく映像が、生で僕の目に飛び込んできたことです。」 少し離れる読者は減りましたかね。でもまだまだ離れていくことでしょう。 「僕が結果4年間暮らすことになった沖縄に降り立った時の話です。いろんなカルチャーショックや新鮮な出来事がありました。道行く人はみんなほりの深い顔ばか

          作品の中の、モールス信号

          夏目漱石「こころ」~語り手の問題~

          先日、夏目漱石の「こころ」という小説を読みました。読んで感じたことを、駄文的につらつらと書いていこうかと思います。もろ内容に触れることもあると思うので、それを避けたい方は作品を鑑賞してから読んでいただけますと幸いです。物語のあらすじも、調べたら出てくるので割愛させていただきますね。 さて、この作品、なんじゃこれですね。僕の感覚としては、ストーリーの筋道自体はとてもシンプルな気がします。こんなことを言うと誰かに怒られそうな気もしますが。筋道だけを追うと、ショッキングなことはま

          夏目漱石「こころ」~語り手の問題~

          アスファルト

          車道に潰れている猫がいた。上から下敷きで圧迫されたみたいに、ぺったんこになっていた。近寄ると目や舌は潰れながら飛び出て、尻尾と、体は地面に張り付いていた。それを車道から遠ざけ、手を合わせ、また歩き出した後に、いくつかの感情と考えが残った。 思いのほか"いいことをした"などという気持ち良さはなく、ただただ鈍い悲しみが鳩尾の奥の底の方に時間をかけて沈んでいく。 少しの怒りを覚えたのは、アスファルトに対してだった。猫を見つけたのは住宅街。土へと還れる場所を見つけようにも、近くには