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紀南新聞で記者をしています

 僕は今、和歌山県新宮市という、「熊野」と呼ばれるまちの、小さな新聞社で記者をしている。夕刊紙で、この地方に特化した情報を取ってきて、まとめる仕事。記者が少ないという理由もあって、平均して週に3~4日は僕の記事が一面トップになる。週に2日は「紀南抄」という480字程度のコラムも書かせていただいている。

取材先は、大手紙のように担当が分かれているわけではない。そのため、新宮市の議会に行った午後には高齢者のグラウンドゴルフ大会に行くこともあるし、隣町の那智勝浦町にある世界遺産・那智の瀧の上まで行って雨に濡れながらカメラをかまえた午後には幼稚園で行っているボディペイントを撮りに行くこともある。政治、教育、文化、警察、福祉、経済、神社仏閣など、本当に様々な種類の取材を多くさせてもらえるのが、自分の今の仕事である。

2021年3月22日から勤務を開始したため、10月16日現在で約7か月が経過した。記者の一番の楽しみは、取材先での雑談にあると思っている。記者という立場上さまざまな方と関わらせていただくことができるので、例えば神社の神職に神事の作法の意味を尋ねたり、子どもに「なんで遊んでいるの」と尋ねたり、市職員に「実際のところどうなの」と聞いたり。もちろん言葉遣いはもっと丁寧にするが。

座右の銘みたいな格好いいものはないが、なんとなく最近思い始めていることは、「取材に大きいも小さいもない」ということ。社会からの需要にだけ関して言えば、正直大小はあるかもしれない。どれだけの人がその情報に価値があると思っているかというのは、大事な指標だ。しかし記者として考えた場合、取材に大小をつけていては良い仕事ができない。市議会だろうと学校の取材だろうと地域のまつりだろうと不思議な形の野菜だろうと、取り上げると決まった時点でそれは価値のあるもの。そしてそこに携わっている人にしかわからない価値がある。そう信じることが取材の第一歩だと思い、日々の取材にあたっている。【稜】



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