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アスファルト

車道に潰れている猫がいた。上から下敷きで圧迫されたみたいに、ぺったんこになっていた。近寄ると目や舌は潰れながら飛び出て、尻尾と、体は地面に張り付いていた。それを車道から遠ざけ、手を合わせ、また歩き出した後に、いくつかの感情と考えが残った。 思いのほか"いいことをした"などという気持ち良さはなく、ただただ鈍い悲しみが鳩尾の奥の底の方に時間をかけて沈んでいく。

少しの怒りを覚えたのは、アスファルトに対してだった。猫を見つけたのは住宅街。土へと還れる場所を見つけようにも、近くにはろくに茂みもなく。そこには硬いアスファルトだけが、まるで命を拒むように、しかし僕を支えていた。

人がアスファルトで覆い尽くしてしまったものは一体なんなのだろう。土を探していたあの時間、僕は猫の目線で街を見ていたのだ。猫になった僕からして、すっかり落ち着いて死ねる場所などそこらには見当たらなかった。死ぬ場所がないということは、生きる場所がないということなのではないか。

アスファルトが地面を無表情にし、ビルが空を狭くし、スマートフォンが顔をうつむかせる。

忘れてはいけないのは、僕はそんな社会の恩恵を大いに享受しているということ。それはすごく「人間」にとって生活しやすい環境であるということ。生命力と引き換えに、利便性を手にした。意識しておかないと僕はきっと、アスファルトが人を土から遠ざけていることを忘れてしまいそうになる。食べているものが、かつては命を持っていたことを忘れてしまいそうになる。僕の住む街の空を飛んでいるものが、戦争のためにあるものだということを忘れてしまいそうになる。悲しいくらいに、僕はちっぽけだった。

と、そんな戯言を胸に刻み込みんだあとで、結局手元に残ったのは、あの猫の惨めな見た目と妙に軽かったという記憶だけであるような気がしてくる。首里城が突然燃えてしまったように、あの猫も亡くなっていったんだ。何ができるか。それを考えるとこんなに自分のことだけで精一杯の自分が恥ずかしくなる。正確には自分のことすら十分にできていない。だけどやっぱり今日の気持ちを忘れたり、殺したくなくて、この文章に綴る。

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