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「定住という旅」

 「旅とはなんですか」。問い続けている。今の私はそれを「まだ見ぬ景色と出会うこと」であると思っている。そしてそれは、物事の新しい見方を獲得するという、まだ知らぬ自分との出会いでもあると思う。

小さいころから、「旅がしたい」という漠然とした渇望があった。毎日毎日、机と椅子の小さな世界でただ大人しく授業を受けていることを強いられていた中学生の時は、流動することのない一様な教室の風景に狭苦しさを覚え、宛て先のない静かな憤りと葛藤を胸の中で反すうしていた。意識は外界へ向いていた。

そうして大学は、地元の北海道を離れ沖縄県へ移り住んだ。あれが積極的な移動だったのか、鬱屈とした毎日から抜け出したいという苦悶の末の反動だったのかはわからない。ただ結果的に、それが私自身の旅の最初の一歩となったことは間違いがないと思っている。

大学を休んで半年間、オーストラリアでも暮らした。その際強烈に感じたのは、環境を変えても自分自身の意識が変わらなければ、それは旅にはならないということであった。温かく迎えてくれる人もいた。手を差し伸べてくれる人もいた。しかし、これまでの人生の中でみると、あらゆる状況の中、全体のうちでも相当落ち込んでいる時期というのもあり、自分のエネルギーは外ではなくひたすら内に向いていた。出会いを粗末にしてしまった実感はある。ただ人生の面白いところは、それもまた、今の新しい人々との出会いにつながっているという点である。話は逸れるが、禅の「いまここ」という教えも、スティーブジョブズの「コネクティングドッツ」の言説もあらゆる表現が、結局は今に集中し続けるしかないということを伝えているように思う。

そして転機は訪れる。いや正確には、自分はその出来事が転機だったと信じている。大学卒業後に地元へ帰り、肉体労働をしたのである。マンホールの下や山の尾根などの現場で、それまで全く知らなかった地元の景色と出会い、心が動くのを感じた。「遠い海外へ行かなくても、見知らぬ景色は自分の生まれ育った故郷にさえあった」。肌で実感したのである。

重大な気づきが生まれた。自分が求めていた旅の形は「移動」ではなく「定点観測」だったのだ。北海道で生まれ育ったことも、大学で沖縄へ行ったことも、オーストラリアでうだつの上がらない自分に嫌気が差したことも、これまでの全てがひとつの文脈をなしてつながっていくように思えた。まるでいくつもの支流の水が下流で大きな本流にたどり着きひとつの大きな筋を作っていくようであった。点と点が線でつながる。自分自身の自然な流れにたどり着いた感覚である。

そして今、和歌山県の地方新聞社で記者をし、いろんな世界と関わらせてもらっている。政治、経済、文科、教育、寺社仏閣…。取材先も生々しい現場から立場ある人々の話し合いの場面まで、さまざま。それらを吸収し、噛み砕いて飲み込み、価値ある情報として自らを源にして発信する活動を行う日々の中で、文章というツールを通して新しい自分との出会いを繰り返している。

自分が移動し世界を渡り歩くことも旅なら、一点にとどまりその中で流れていく世界をつぶさに観察することもまた旅である。その先に何があるのかは、今は重要ではない。最近言語化できた。私がしているのは、定住という旅であると。【稜】

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