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「食品添加物は体に悪いんですか?」という質問に対する回答を直感と論理の枠に当てはめて考える

これに対して、いろんな方から意見をいただき、私色々頭を巡らせておりました。

直感に訴える方法と論理に訴える方法の2パターンあるなと。伝える相手の心に響かせ行動を促すことを考える際にはおそらく両方のバランスが重要。

ということで、「食品添加物が心配なんですけど大丈夫なんですか?どうやって避けたらいいですか?」という質問への答えを直感バージョンと論理バージョンで考えてみます。

皆様からの意見もふくめここにまとめていきます!

本題に入る前に

直感と論理

こちらの書物で有名な理論で、人の意思決定における思考として直感的思考(ファスト)と論理的思考(スロー)があり、これらを行動経済学の観点で整理したもの。

・・・だそうなんですが、読んだことないので、要約されたブログを引用してみます。

私たちには二つの思考モードがある。システム1(速い思考)は直感や感情のように自動的に発動するもので、日常生活のおおかたの判断を下している。一方、システム2(遅い思考)は熟慮とでも呼ぶべきもので、意識的に努力しないと起動しない。システム1の判断を退けてシステム2を働かせるのは、多くの人にとって難しい。

https://www.flierinc.com/summary/297

https://www.flierinc.com/summary/297

人の意思決定には直感が支配的だけど、それだと間違うこともあるから論理も必要だよねということっぽい(知らんけど)。この書籍の論調は正直わからないものの、つまりどっちも大事だという話だとして、両側で考えてみます。


食品添加物を避けるにはの答え

さらにその前に・・・食品添加物を避けるのは簡単。表示を見たら、分けて書かれているので、見たらわかります。外食でもネット上に上げてくれていることも多いですし。

良い悪いかかわらず、避ける手段があることを伝えておきます。

最近は見たら確実にわかるよう工夫されています(しなきゃいけないことになってます)

ということで見たらわかる!

私自身の食品添加物に対するスタンス


これも以前書いたので、どうぞご覧ください

直感的な訴え


ようやく本題いきましょう!
「食品添加物って大丈夫なんですか?」という質問に対して、まずは直感に訴える回答をまとめてみました。

「私も気にせず食べてます」
いろんな話をしていく中で私に対して信頼を持ってもらっているという前提のもと、「私も食べてます」は強力な武器になりそう。

「私も子供に気にせず与えています」
私も食べてますの上位互換。この話を聞いた時目から鱗でした。確かに私も気にしていません。

「にがりとかかんすいも添加物って知ってます?」
食品添加物=新しいもの、人工的なもの、未知なものというイメージを一発で覆す有効打になりうる一撃。

「カビが生えないのは添加物のせいじゃなくて衛生管理のおかげ」
添加物=保存料=本来使わなくていいもの=体に悪い。の図式はよくあります。これも添加物に対する誤った常識を覆すことのできる武器になりそうです。

「食品なら栄養バランスや食中毒の方がよっぽど怖いです」
ある意味すり替え。すり替えですが、他にもっと気にすべきものを提示することで、物事の優先順位づけができるので、直感的にわかりやすくなります。この話なら、これに続いて栄養疫学の話などできるので、論理につなげることが可能です。

「がんになる要因の関するアンケートをとりました。主婦では添加物の順位が高かった一方、専門家は全くでした」
主婦というところで共感を生んだ上で専門家の意見を伝える。これも直感的かもしれません。

論理的な訴え

続いて、パットは分からないけどよくよく考えると確かに、と納得できるロジカルな話。

「食品添加物に含まれる成分は人が一生食べても病気にならない量よりさらに少ない量に設定されています」
これがいわゆる公式見解に近いやつですね。直感的にわかりにくいですが、これを伝えること自体は大切です。

「中毒を起こすか否かは量の問題です。天然にしろ人工にしと、食品にしろ添加物にしろ関係ないんです。」
パラケルススの考え方ですね。若干論理のすり替えのようにも感じますが、フグ毒など考えたら確かにそうかもなぁとは思えるでしょう。

「食品の安全性は食経験の検証や動物を用いた安全性試験によって担保されています。」
このあたりも史実としてはきちんと伝えておいた方がよさそうですね。どういうスキームで安全性が評価されているか、論理的に決まってるので論理的に伝えられるはず。

論理と直感の組合せ

論理的に話を展開すると、その結果が直感に反する結果となることを指摘するパターン。

「ハムに含まれる添加物が有毒な量は○○gです。これはハムに換算するとこんなに多いです!こんなに食べられますか?」
論理と直感をお笑いでいうフリとオチのような関係性に昇華した素晴らしい構成。これ、聴衆の感情の揺れうごき(つまり「危ないんやぁ・・・ってそんな食うわけないやん!」という振り返し)を見事に操っていて、美しい。

「食品添加物は世の中に広がってますが、平均寿命は伸びています。これって添加物が悪かったらこんなこと起きないと思いませんか?」
確かに、こうやってデータを合わせてみていくと、思考にワンクッションありますが、納得感は強そうです。平均寿命は昔より伸びているという共通認識があるからこそなせる技。ただ、「発達障害は増えている!」など少し違った疑問を生む可能性もあり、完璧ではない気がします(これも反論できますが)。

直感と論理とは結局なんなのか

さて、まとめに入りますが、ここまで直感と論理という話をしてまいりました。

あえてここまでとあるワードを使わずに話を展開させましたが、この直感と論理ってどんな言葉を置き換えてきたかわかりますか?


答えは・・・



直感→安心
論理→安全

です。

安心安全はよくひとまとまりで話されますが、こうやって切り分けることで人を説得するときにも大きな武器になりうるでしょう。

安全なことは当然大切。つまり論理は絶対必要。

でもいくら安全でも安心できないと食行動にはつながりません。つまり直感に訴えることが重要です。

食品添加物を殊更に否定する方はこの直感に訴えることを逆手にとって、不安を植えつけることが得意です。また、食品添加物はある意味異物のような感覚を受けやすいため、その直感の付け入る隙を生みやすいのも事実。

安心の反対は不安、そして安全の反対は危険です。

安心できないこと=危険ではないので、この二つを切り分けて考えるのが大切です。

逆に言えば、不安に思っている人に安全を訴えることもまた筋違いでしょう。不安を煽るのはよくありませんが、不安という気持ちを非科学的だと否定するのもまた間違っていると私は思います。

そんな複雑な安心と安全(直感と論理)に対して、我々がどのように啓発していくか、今回のコラムをきっかけに考えていただければ、これ幸いです。


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