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私に、「産まないのか、産めないのか」と言ったタクシー運転手への対処法

こんにちは。草花です。
これは、noteで必ず書こうと思っていた実話です。不妊治療をされていた方やストレスマネジメントに興味がある方は、よかったらご一読ください。

私は現在夫婦と猫の生活ですが、もう10年近く前、30代前半~は何年も不妊治療をしていました。私は20代で結婚しました。会社の同期の中では結構早いほうだったと思います。しかし、どうしても子どもができず、幾度もの春が手のひらからこぼれ落ちていきました。

共働きで、子どもの件以外は、仕事も家庭生活も非常にうまくいっていたと思います。「後悔したくない」との思いで不妊治療を始めましたが、なかなか結果が出ないうえ、これという原因も明確にはならず。「この原因が違うなら、今度はこれを潰してみよう」みたいに、私の体を使ってトライ&エラーを繰り返す毎日で、結局最後は「顕微授精」までいきました。

当時私が勤めていた会社は、出産•育児のための制度は充実していましたが、不妊治療のためにまとめて休むことはまだ叶いませんでした。10年続けた仕事を辞めて不妊治療に専念。毎朝、自分のお腹に針を刺し、薬を飲み、卵管造影や採卵などの身体的な痛みを伴う治療にも耐えました。

私はもともと深く考え込む性格ではありません。しかし、期待と落胆の繰り返し、何をやっても、どんなに耐えてもまるで結果がついてこない、というこの時期だけは、さすがに落ち込みました。年齢的に、後から結婚した人たちが次々と妊娠・出産というのも続き、正直笑えない日もありました。

タイトルの台詞を言い放たれたのは、ちょうどそんなとき

当時、ほぼ毎日のように通っていた病院への交通手段は、バスと徒歩でした。最寄りのバス停からギリギリ歩くことができる距離だったので、健康のためにも歩いていたわけです。しかし、その日は採卵後の副作用でお腹がパンパンに腫れてしまい、さらに発熱。歩くたびに下腹部に激痛が走り、よちよちとしか歩けなかったので、通院の帰りに私は流しのタクシーを止めました。

お腹を押さえながら乗り込んだ直後から、なんだか違和感はありました。その運転手は、50~60代くらいの男性でしたが、バックミラーで何度も私の顔をチラチラと確認しているのが分かりました。ただ、私はあまりにもグッタリしていたので、後部座席に身を沈めながら「とにかく早く家に帰りたい」、その一心でした。

目を閉じてやり過ごそうと思ったとき、唐突に尋ねられました。
「お客さん、結婚してんの?」

ぶしつけな質問に驚きましたが、まあ地方ですし、年下の女性にこのくらいの口の聞き方をする年配男性は(苦手ですが)そう珍しくはないので、一応「はい」と答えたのです。すると相手は、「え?信じられない。おたくの顔には、既婚女性にあるべき生活感や落ち着きがない、まだまだ自分のことばかり考えてるんだろう」と言ってきたのです。

えっ・・・!

苦労知らずの若造にでも見えたのでしょうか。
とても失礼。偏見、女性差別、そもそもなんでタメ口?突っ込みどころも満載ですよね。でも相手は止まりません。当然のように「子どもは?」と畳みかけられ、「いません・・・」と返事をすると、まるでからかうような口調でこう言い放ちました。
「産まないん?それとも産めんのん?」

当時、ある女性議員に対してこのようなヤジを飛ばした男性議員がおり、問題発言としてワイドショーなどでも再三取り上げられていたのです。それで、同じように冗談半分で私に同様の台詞を使ったのでしょう。私が不妊治療で、心身ともにボロボロの状態にあるとは想像だにせずに。

普段の私なら、ここまで言われたら、相手が誰であろうと言い返していたはずです。しかし、このときはできなかった。熱が38度近くあり、お腹が腫れて歩くのもしんどい状況だったから。「あのね、私、今不妊治療中なんだけど」と返せば一発だったでしょう。色々乗り越えた今なら言えます。でも、当時、治療の渦中にいた私には、見ず知らずの相手に自分が不妊治療中であるということがどうしても言えなかった。不妊治療にはそういうつらさもあります。これは他の病気などでも同じかもしれません。

私が黙り込むと、その人は到着までずっと自分のご家族やお孫さんの話をしながら、結婚したら子どもを持つべきだと持論を述べ続けました。「既婚者だというのになんだかそう見えないやつを乗せた、聞くと結婚して長いのにどうやら子どももいないらしい、よしワシが代表として説教しちゃる!」みたいなノリでした。悪びれなし。

代金を払い、タクシーを降りると雨が降っていました。私は傘をさす気力もなく、家に帰りましたが、控えめに言ってとても嫌な気持ちでした。しばらくはタクシー恐怖症にもなりました。

「なんで初対面の人間にここまで言われないといけないのか」
「よりによって不妊治療中で苦しんでいるときに」
「子どもができないのは女性のせいではない」
「相手の状況への想像力がない人間なんて、いなくなればいい」

突然降りかかってきた理不尽な出来事に、本当に腹が立ちました。そして同時に落ち込みました。見ず知らずの人に当然のように酷いことを言われた自分が、世の中のレールから外れた落伍者のようにも思えてしまったからです。

自分を否定されても、相手が自分を理解していない人なら気にしなくていい

「人として生きていく以上、相手を傷つけるような言葉は発しない」それが最低限のマナーだと思います。でも、世の中にはその最低限のマナーすら守れない残念な人が一定数います。そしてそれがなぜ問題なのかすら理解できない。
悪意があるほうがまだマシかもしれません。こちらもそれに対して堂々と対抗手段を取れるから。勝手な価値観を押し付けて、まるでさも良いことを言っているかのように丸腰の相手を傷つけてくる人、これは本当に迷惑です。

でも、こういう人を自分の前から完全に消すことはできないですよね。避けて生きているつもりでも、事故に遭うかのように出会ってしまうこともある。

上記の出来事で、私は一瞬深く傷つきました。夫にも共有し、いろんな角度から話し合いました。そして、その中で次のような考え方にたどり着いたのです。

「相手から自分を人格否定することを言われたとしても、そもそも自分のことを理解していない人ならば、その言葉にはなんの意味もないのではないか」

身内や長い付き合いのある友人など、自分の価値観や生き方をよく知っている人からの愛情をベースとした指摘や注意には、本質を捉えたものや自分を成長させてくれるヒントがあるかもしれない。だけれども、初対面の人や深い付き合いのない人から人格否定されたとしても、そもそも根拠に欠けるのではないか。的を得てはいないのではないか。

「耳障りの良いことをだけを取り入れて、ポジティブ宣言!」という人は、あまり好きではありません。成長がなく、世界が広がっていかない気がするから。でも、生きていく以上、相手からの否定をすべて真正面に受け止めていては身が持たないですよね?だから、私はこの日を境に、自分なりのストレスマネジメント法として、上記の基準を設けることにしました。そしてこの方法は今まで、とてもうまくいっています。

そもそもこの発言自体が酷すぎる、と思う方も多くいるかもしれません。私もそう思いますが、問題のある相手を罰する、ということには私はあまり関心がありません。ただ、自分へのダメージはミニマイズにしたいと思うので、ストレスマネジメントは大事だと思います。

ここまで酷いことを言われるのって、なかなかないと思います。私も後にも先にもこれくらい。ただ、思いがけず他人から言葉で傷つけられた経験は、誰でも一度や二度はあるのではないでしょうか。

相手から理不尽なことを言われたとき、すぐには立ち直れないかもしれません。弱っているときには、特にぐさっとくるでしょう。でも、少し元気になってきたら、考えてみてください。相手がどれだけ自分のことを理解しているのか、近い関係性なのか。これからもその関係を維持していきたい相手なのか。

そしてそのことを踏まえて、その言葉を真正面から受け止めるべきかをフレキシブルに判断してみてはいかがでしょうか。




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