見出し画像

ため息もつけない現代の閉塞感

ここ近年の社会の閉塞感高まりがやばい気がする。

まだ2000年代は少し開放感と元気さがあった気がするんだけど、

ここに来て急速に例外なく全員が生きにくい世の中になってきてるような。

そう、みんな。

人間が本来持つ緩さを剥奪されているような。

人間なんて完璧じゃないのに、常に完璧さを求められるようになってきた。

子どもも老人も。

当然、現役世代も。

子どもが子どもらしくいられない社会。

早く大人になることを求められている。

子どものうちだけでしか経験できないことがいっぱいあるはずなのに、

その機会をどんどん奪われている気がする。

その大人の事情なのか、現代の世間体なのか。

子育てをしていて子どもを見ていて苦しさすら感じる。

子育て中の親にもその閉塞感は伝わってくる。

子育てしていてこんなにも
世間体や現代の社会ルールに一挙手一投足を縛られているような感じを受けるんだなと。

老人にしてもそうだ。

老いたら病気になるのは仕方のないことなのに、

病気になることすら悪になっている。

人口減少による年金制度と国民皆保険の終わりが近いのは知ってるが、

それにしても老人への敵対的心情が如実に現れている。

自然な終わりを推奨するべきなのは確かだと思う。

私もそうしたいと思っている。

私も老いたら例外なく多方面から敵意を向けられるようになるんだろうな。

この閉塞感漂うこの社会では。

現役世代も苦しさを感じる。

テクノロジーの進化によって、

情報処理能力は高まり続ける。

人間の能力を置いてきぼりにして。

そしてそれに着いてこれない人々を病気として切り捨てる。

隔離する。貶める。

生きにくいや。

人間ってもっと温かったはず。

もっと緩かったはず。

なにもない余暇を楽しめる存在だったように思う。

この近年の閉塞感の高まりは人間的な緩さ、

余白を許されない社会構造と要求になったからなのかな。

この閉塞感はどんな法律より監視カメラよりも監視的だと思う。


もう立派な監視社会だよ。


私はもう自由にはなれない。

そして自由には慣れない。




疲れたね。


お腹すいた。


なにたべよっかな。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?