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紫砦と石の竜 −その3


 「どうやらマリクリアは役に立っているようだな」メチアが巨大な矢を持つソレルに向かって言う。

 「ドラゴンに効くかはわかりませんがね」

 「ああ、どこぞの闇落ち魔法使いが使うよりもずっと有用な使い方だわい」ギジムがそう言うと、メチアと二人のストライダが同時に睨む。「おおっと…しまった、」メチアの背後にミルマも来ていることに気がつくと、彼は目線だけで皆に謝る。

 昨夜メチアから聞いた話。マリギナーラの塔での事件。闇落ち魔法使いが捕らえていた子ども達の中に、ミルマがいたことを思い出す。子ども達は皆、過酷な労働を強いられ、魔法使いの怪しい魔法と薬で記憶を奪われていたという。

 「しかし、実際の話、マリクリアが効果を成すかどうか」メチアは顎を触り考え込む。

 「…と、言いますと?」

 「うむ、マリクリアの魔法はとても複雑なものだ。扱えない者がその力を振るうことで、ドラゴンに効果があるのかどうかは怪しい」それでもできる手は打つべきだがな。メチアは独り言のようにそう付け加える。

 「ところでマリクリアの粉末は余っているのかな?」

 「ああ、船に積んでいます」ソレルが答える。「何かに使いますか?」

 「ふむ。奥の手は多いに越したこともないからな」メチアは子どもの方をちらりと見る。

 「…それで、もう一度確認するが、あの生物は勝手に息絶えたと?」バイゼルが話題を変える。

 「そうだ。やつは海を渡ってきて、砦の城壁にぶつかったとおもったら、すぐにくたばりよった」ギジムが身振りを踏まえて説明する。「何人か矢を放った者もいたが、そんなものは固い鱗に弾かれて、皮膚に突き刺さりはせんかった」当時のことを思い出し、兵士たちも頷き合う。

 「それなのだ。ドラゴンだとしたら、固い鱗に覆われているのは間違いないだろう。しかし、それさえも二日間で腐りはて、骨しか残らないとは」

 ソレルは腕を組む。ドラゴンの固い鱗は、真贋のほどはともかくとして、神話の時代から武具にに利用されている。それらは三千年もの余り、ほとんど劣化もせずに今でも伝説の武具として、ベラゴアルド中にその名を響かせてもいる。

 「皆も知る通り、ゴブリンやグールなどの不浄なる物たちは、殺してからすぐに腐り始める」バイゼルが言う。

 「おう、おれもそこは奇妙だとは感じておる。あの腐り様は、まるで魔物だ」ギジムも同意する。

 「始めに言葉が産まれ、魔法となり、魔法は三体の竜となる」魔法使いが妙なことを言う。皆の注目が集まる中、メチアは、「いや、わたしの見解としては、それがドラゴンといえるかどうか…」そう前置きをして話し始める。

 「あまり知られてはいないが、これは『ベラゴアルド創世記』と呼ばれる古文書の一節だ。そこには大戦以前、いや、それよりも遙かに古い、この世界の創世に関することが記述されていると言われている。…わたしが推測するに、ドラゴンとは、魔法とそう変わりのない生き物ではなかろうか」

 皆が小首を傾げる。

 「どういったらいいか…。そうだな。わたしが鷹になるように、あるいはライカンが狼に変わるように、といったら分かりやすいのだろうか」

 「つまり、魔法でドラゴンはその巨体を保っていると?」とソレル。

 「うむ、だが魔法そのもの、というほうが正確なのかもしれん。魔法で変容するのではなく、魔法自体が変容する。…いや、すまん、これは余計に魔法を扱う者にしかわからん表現だろうな。ようするに平たく言えば、魔法だとしたら、腐りも錆びもしないということだ」

 「ミスリルやアリアルゴや、マリクリアのようにですか?」ミルマの理解にメチアが嬉しそうに頷く。

 ソレルはメチアが預かる竜の仔のことを連想する。卵から孵った竜の仔は、小さなドラゴンの姿をして産まれたが、ほどなくすると人間の姿へと変わったという。

 「いや、…しかし、腐るとなると、こうも考えられるな」メチアがぶつぶつと独り言のように続ける。

 「似たような文献に『腐敗竜』という話も記されている」

 「腐敗竜?」それには二人のストライダも初耳だ。

 「うむ。死しても尚、動き続けるドラゴンだ。そしてその腐った肉がこそげ、地面に落ち、そこから屍鬼や小鬼が産まれたというような記述もある」

 「ゴブリンの胎動。」ソレルが呟く。

 「そうかも知れん。最初のゴブリンとは、そうして現れたのかも知れんな」

 「では、ドラゴンが魔物を生みだしていると?」

 メチアは曖昧に頷く。「だとすれば、すぐに腐って骨だけになったあの生物も、不自然ではない」しかし不自然なところもある。それが真実ならば、ドラゴンは魔物の一種だということになる。ところが、神話や言い伝え、どの文献を紐解いても、ドラゴンと魔物が共闘したという話は聞こえてこない。

 「ならば、ドラゴンの鱗で創られたという武具はどう説明する」バイゼルが口を開く。

 「それは、ドラゴンが皆、腐敗竜になるわけではなく、…例えばなにかしらの呪いを受けると、そうなるのかも知れぬな」

 そこでメチアは言葉を止める。考えられることが多すぎて、魔法使いは皆にどう説明すればいいかを考えあぐねてしまう。そもそも、この問題は元を辿ると、我々ベラゴアルドの民が何処から来て、何処へ行くのかという問題にぶつかってしまう。しかし、そんなことをここで戦士たちと議論をしても詮無きことのように感じる。彼は個人的にはこういった問題をいつまでも話していたいとは思うのだが、今はそうしているほどに、節操の無い偏屈な魔法使いでもなかった。

 「それはそうと、わたしは昨夜、鷹になって海を渡り、来たる生物の様子を見てきた」そこで彼は話題を変える。

 「おお、すっかり忘れてた!」退屈そうにあくびをしていたギジムが飛び跳ねる。「見たのか?」

 「うむ、見てきた。やつは確実に海を渡り、真っ直ぐこの砦を目指している。王国の学者の計算で、ほとんど間違いないだろう。」

 魔法使いのその言葉に、兵士達も色めき立つ。

 「それで?メチア殿の見解としては、敵はいつ頃やって来るのだ?」バイゼルが訊ねる。

 メチアはひと呼吸置いて答える。

 「おそらくは、明日の明朝早くには」

 その言葉を聞いた兵士たちがさっそく動き始める。

 「念のため今夜から戦闘準備を進めろ、見張りは倍に増やせ」シンバーが部下達にてきぱきと指示を送ると、皆は素早く解散する。



 夜明けを前にして、砦の動きが活発になる。海岸では兵士達が砂を深く掘り、そこに火薬を埋め導火線を通している。竜に火薬や炎が効くとは考えられないが、足止めにはなるだろうとの算段である。

 海岸にはレザッドとミルマもいる。レザッドは壁際にある程度の間隔を空け、太い矢を砂に挿していく。

 彼は防御壁に設置したクロスボウと同じ構造の大弓を持っていて、同じ矢を装填できる。だが、その鋼製の弓弦を引ける者は、怪力を持つレザッドただ一人だけで、つまりは、敵に有効と思しき武器を移動しながら単独で放てる者は、彼だけなのだった。

 「ねえ、レザッドさん」

 ミルマは先ほどから無口なそのストライダに何度も話しかけ、ことごとく無視され続けている。「レザッドさんは子どものころからそんなに大きいの?」「レザッドさんはいつから弓を引いてるの?」レザッドさんは…。

 レザッドは黙々と作業を続ける。

 「あたしもいつかは、そんな大きな弓を引けるようになるかな」ミルマは大男の背中に収まる巨大な弓をうっとりと眺める。

 「無理だな」根負けしたレザッドがぼそりと呟く。

 レザッドが口を聞いてくれた。それだけでミルマは嬉しくなる。

 「そうだよね。やっぱり師匠が言うように、あたしは重い弩弓や長弓よりも、手弓なんかで素早く動き回る戦いのが見合ってるとおもうの」そうなるとミルマのお喋りがはじまる。彼女はソレルに教わった弓の知識を饒舌に披露しはじめる。

 しかし歴戦のストライダにとっては、そんな子どもの話す初歩的な戦術の話が面白いはずもない。そもそも、なぜこの子が自分の後ろをついて回るのかが彼にはまるでわからない。彼は子どもを振り払うように足早に仕事をこなす。

 ミルマはお喋りを続けながら、その巨体の背中を追いかける。レザッドはしばらくは放っておいて、喋らせるままにしていたのだが、余りに子どもが煩いので、「黙れ」そう、ぴしゃりと言ってしまう。

 すると、子どもは急に黙り込み、静かになる。

 子どもが静かになり清々したかと思いきや、レザッドは、どうにも奇妙な居心地の悪さを感じる。彼はそれとなく何度か振り返るが、ミルマは肩を落とし、短い亜麻色の髪をいじりながら、それでも静かに後を付いて来る。

 仕方が無いので、ため息交じりに彼は自分から話し掛けることになる。

 「…この戦いで、お前が邪魔をせずに大人しくしていたら…」

 不意に話し出した無口な男に、ミルマの身体がぴくり反応する。

 「…おれの手弓をやろう。一般的なイチイ製のリカーブだがな」

 「ほんと!」子どもがあからさまに喜び出す。その素直さに、レザッドはさらなる居心地の悪さを感じる。

 「…ああ、お前には少し重いかもしれんがそれでいい。あまり軽い得物は、狙いがぶれるものだ」

 それから彼は、妙な気分をぬぐい去るために、ずいぶん長々と武器の扱いについて講釈を垂れてしまう。子どもは目を輝かせて耳を傾ける。そうして彼の話が終わると、満足げな顔をして、言いつけを守り船の方へと引き上げていく。

 飛び跳ねて去って行く子どもを眺めながら、彼はぐったりと疲れを感じるのだった。

 思えばこれほどまでに他人と言葉を交わしたのは、久しぶりのことだった。半生を小鬼の穴や荒れ地で過ごしてきたこの大男は、人間の子どもとゴブリンが似たような背丈をしているという認識しか持たず、それらがずいぶんと違った生き物であったいう気付きでさえ、ひたすらに戸惑うばかりなのであった。



 壁の上ではソレルらが夜明けを待っている。少し距離をあけて白鳳隊の面々が規則正しく整列を始める。副隊長のバロギナがソレルを睨んでいるが、彼のほうは全く気にしてはいない。

 中庭では馬の準備が進められていて、早くも騎乗している兵もいる。少し遅れて兵舎から出てきたメイナンド・レウーラにシンバー司令官が何かしらの報告をしているのが見える。

 しばらくするとメイナンドが防壁へとやってくる。彼は戦いの準備をする兵士たちに気さくに声をかけながら、ソレルの所へやってくる。

 「指揮は上々のようだな」メイナンドが笑顔で声をかける。ソレルは何も言わずに頷く。

 「我が隊は西の手薄な箇所の警護につく。この騒動に乗じて帝国に攻められても面白くないだろう? 悪いが、我が隊はしばらく様子を見させてもらうことになるだろう」

 「ご自由に」ソレルは両手を広げる。

 「時に、貴殿はギジム殿だな」メイナンドが隣に立つギジムを見下ろす。

 「ああ。ドワーフの傭兵風情になんの用だ?」ギジムの棘のある物言いにも、メイナンドは笑顔で応える。

 「貴殿の兄君はガンガァクスにいるのだとか」

 「それがどうした?なぜそんなことを知っている?」ギジムが鋭い目を向ける。

 「王国の情報網を舐めないでもらいたい」バロギナやって来て、ギジムを睨む。好戦的な彼の態度をメイナンドが制する。

 「すまない。気を悪くしないでいただきたい」

 「部下にずいぶん過保護に育てられているのだな」ギジムがぴしゃりと言うと、メイナンドはその長い睫毛を瞬かせ、それから大きな声で笑い出す。

 食えない男だ。ソレルはそう感じる。整った顔立ちから笑みがこぼれる。それだけで他人を信用させてしまう何かを感じる。王都ではさぞかし人気者の隊長なのだろう。

 「いや、ほんとうにすまない」ひとしきり笑った後でメイナンドが言葉を続ける。「ガンガァクスの機工技師バジム。我が国でもその名は聞こえてくるのでな」さわやかな笑顔を向ける。

 「赤毛の大斧使いギジムの名は?」ギジムは両腕を腰にあてがい胸を張る。

 「もちろん」メイナンドがさらりと言う。

 「…まあ、当然だな」ギジムは努めて味気なく答えるが、どうにも喜びを隠せずにいる。

 「時に、ストライダ・ソレル殿。」

 ソレルが顔を向ける。

 「貴殿の援軍。あの魔法使い。メチア殿といったか」

 「ああ、沼地の魔法使い。あまり名は知られていないがな」

 「…それはどうだろうか」メイナンドは含みのある言い方をする。それだけで場の空気が少しだけ変化する。ソレルはその変化を、この男があえて演出していることを悟る。

 「十一年前、アムストリスモ魔法学校の学園長、ウリアレル殿が失踪した出来事は?」

 ソレルは黙って頷きはするが何も言わず、相手の出方を窺う。

 「わたしの記憶が確かならば、学園長の下の名がメチアリウル。ウリアレル・メチアリウルではなかったかな?」メイナンドは真っ直ぐに灰色の男を見つめる。

 「そこまでは知らんな。アムストリスモとはそれほど交流もないのでな」ソレルは彼の瞳の奥に何かしらの冷たさを感じる。「それがどうかしたのか?」ソレルは無表情に聞き返す。

 メイナンドもしばらくソレルを見つめていたが、その灰色の瞳の奥からは何も探れないことを悟ると、視線を外し、再び微笑みの演出する。「…いや、気にしないでもらいたい」

 「それでは、貴殿らの活躍を期待している」彼はそう言うと、バロギナを引き連れて去って行く。



 白銀の隊長の後ろ姿を眺めながら、ギジムがわざとらしい咳払いをする。

 「…なんともやり難い感じがするな」

 「まあ、そう言うな、戦力は多いに越したこともない」ソレルも彼の姿を目線で追う。「戦いが始まれば、貴族とて政治を忘れる時もあるだろう」

 そこでバイゼルが壁に上ってくる。老ストライダは肩に鉤爪の付いたロープを担いでいる。

 「そんなもの、どうするつもりだ?」ギジムが訊ねる。

 「ストライダの古い戦法だよ」バイゼルが肩をすくめる。

 「わたしはそんなやり方は、教わってないが?」ソレルが呆れる。

 仕草や物の言い方がソレルそっくりだな。ギジムはそう感じる。この二人は師弟というよりも父と息子のようだ。

 「ずいぶん単純な戦法だからな。それだけにコツが要る。それに、小便臭い若者に真似されでも困るからな」老ストライダはにやりと笑う。

 「ガンガァクスにまでそんなもの持ち込まれたら、わたしまで恥を掻きます」そうやり返すソレルが可笑しくて、ギジムが大笑いをする。

 「灰色のソレルも形無しだな!」そう言いつつ、ソレルと古い付き合いのドワーフはこうも思う。彼が戦いを前に、こういった軽口を叩く時には、決まって危険が伴っているものだ。

 そこで、会話は中断される。西の物見台から角笛が大きく鳴り響き、ほどなくして東からも知らせの音が重なる。

 「さあ、仕事の時間だ」

 バイゼルはそう告げ、石積みの縁に素早く飛びつく。


−その4へと続く

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