note_h_5_その4

紫砦と石の竜 −その4


 朝陽に輝く紫色の砦から兵士たちが顔を出す。響きわたる角笛とともに皆が海を見つめる。

 ソレルが西の物見台を見ると、メチアが水平線を指差している。その指先から光の線が真っ直ぐに伸び、海原の一箇所を照らす。

 朝陽に照らされた薄紫色の海に黒い影が見える。物見台のメチアが鷹となり飛び出す。

 「矢を装填しろ!」シンバーが叫ぶ。

 ソレルがバイゼルの隣に飛び移る。下を覗き込むとレザッドもこちらを見上げている。二人は頷き合うと、レザッドだけが動き出し、砂に挿していた矢を拾い、大弓を構える。

 「東の門だけ開いていてくれ」ソレルがシンバーに指示を送り、それから水面を見つめる。

 「あの骨のやつよりはるかに巨大ですね」

 「ああ、ヘビの様に細長いな」とバイゼル。二人のストライダにはその姿がはっきりと見えている。「あれが石の竜か。泳ぐ姿はシルシュによく似ていますが」「シルシュならばあのクロスボウで串刺しに出来よう」そんなことを言い合う。

 「よく引きつけるんだ!陸に上がっても誰も打つな!」ソレルが叫ぶ。

 波が強くなる。断続的に押し波が砦深くまで寄せ、港でストライダの帆船が揺らいでいるのが見える。

 「お前の弟子は大丈夫か?」バイゼルが念のため訊ねる。

 「…問題ないでしょう。あの子は素早い」ソレルがそう言うのを合図に、二人は左右に分かれる。

 大波と竜の躍動が同調する。兵士達がざわめきはじめ、砦中に緊張が走る。

 鎌首をもたげ泳ぐその姿を誰もが捉える。巨体の胸で割れていく海水で、その速度がわかる。

 湾の中腹まで来ると、不意に大きな頭が水の中に消える。

 砦が静まりかえる。

 「来るぞっ!」ソレルとバイゼルが同時に叫ぶ。

 すると、砦のすぐそこ、海岸の波打ち際から大きな頭を持ち上げて、石の竜が唐突に顔を出す。



 かつてないほどの大波が押し寄せ、砦の防壁を打ちつける。海岸でレザッドが波を被るが、波が引くと、微動だにせず弓を構える大男が見える。

 石の竜が陸に上がる。立ち上がったとすれば、簡単に砦の壁に届くほどに巨大な生き物だということがわかる。細長い躯に比較すると頭だけが幾分大きく、潰れた鼻の下から、太い牙が上下に噛み合わせている。

 「さあ、ストライダ、どう戦う」西側の防壁で、期待に瞳を輝かせたメイナンドが呟く。

 弓座の側に立ちソレルが合図を送る。一斉にクロスボウの狙いが敵の四つ脚と尻尾に定められる。

 石の竜は思いのほか緩慢に進んでくる。この速度ならば設置式の弓でも狙えそうだ。

 不格好に折り重なった茶色い岩のような鱗が関節に合わせて動く。ククク、クルクルクル、喉を鳴らす独特な音が防壁まで聞こえてくる。

 不意に竜が首を引き、躯を縮め、張りつめた弓のような体勢をとる。

 「まずいぞ!」バイゼルはそう言うが早いか、ソレルにロープを投げ渡す。それを受け取った彼は、すぐに走り出しそのまま壁から飛び降りる。ロープのたわみがに張りつめていくと、バイゼルは砦のへり足をかけて踏ん張り、弟子が着地した案配で素早くロープを回収し、弓座の側に立ちソレルの代わりに待機する。

 ストライダのその素早い動きを目の当たりにした兵士たちが、ひたすらに唖然とする。

 竜の硝子玉のような丸い瑠璃色の瞳に、紫色の砦の防壁が映り込む。朝陽を背にしたその巨体の瞳を、そこにいる誰しもが奇妙にも、美しいと感じる。

 海岸に降り立ったソレルは、そのまま壁の端で待機する兵士の元へ走っていく。火種を取り出し、すかさず兵士の持つ導火線に火を付ける。

 竜の躯がこれ以上にないほどに縮こまる。

 そうかと思うと、その巨体を振るわせ、はじけるように飛び跳ねる。

 一気に壁との距離を縮め、砂浜に着地すると、すぐに猛烈な勢いで向かって走ってくる。

 「早いぞ!」これでは狙いが定まらん。バジムが焦る。

 躯を伸ばして真っ直ぐに突進してくる。砂が舞い上がり、地響きが海岸を伝う。

 ソレルは身じろぎもせずに導火線を見つめる。

 砦の防壁ではバイゼルが右手を静かに挙げ、射撃の瞬間を計る。

 はじめの火薬に火が付き、爆音を伴って砂が爆ぜる。敵のすこし前。竜は怯むことなく突き進んでくる。

 次の爆発も外れる。砂の雨が海岸に降り注ぐ。次は少し後ろ。次はやや左。矢継ぎ早に砂だけが爆ぜる。波動が壁まで届く。次も後ろ。さらに後ろ。敵は動きを止めてはくれない。

 それからようやく爆撃が竜の右手を捕らえる。続けてすぐそばの火薬も弾け飛び、右胸を少しだけ浮かせる。

 「いまだ!撃て!」バイゼルが大きく腕を振る。

 砦からの一斉射撃が始まる。弓座に縋り付いている兵士達が反動に吹き飛ばされる。空気を切り裂く奇妙な音がほうぼうで鳴り、鉄の矢が黒い線を描いて飛んでいく。

 石の竜が顔を伏せる。背中を丸め防御の姿勢を取る。かなりの矢が固い石の鱗に弾かれる。それでも、関節や防御の薄い箇所に当たった攻撃が効果をみせる。いくつかの矢は、突き刺さりはしないがその鱗を剥がしていく。

 「矢の装填を急げ!」シンバー叫ぶ。

 攻撃が止むと、竜が動き出す。今度は警戒して、慎重に向かってくる。

 「よし、少なくとも矢を嫌がってはいるようだな」バイゼルが呟く。だが次の矢の装填にはしばらく時間がかかる。ここからは少々、時間稼ぎが必要だぞ。彼は浜辺のソレルを見つめる。



 竜は壁側からの攻撃が止んだことが分かると、ゆっくりと向かって来る。ソレルが長弓で次々と矢を射る。確実に竜の瞳を狙うが、通常の矢ではまるで通じず、竜は瞬きすらもしない。青い瞳にはどうやら透明な固い膜が張っていて、多少の攻撃には耐えられるようだ。

 そこで次に、鱗の剥がれた箇所を狙ってみる。弾力のある桃色の肌が矢を弾く。しかし石の竜は、ギョッとし、鳥類のように素早く首を回転させる。

 「チクリとは感じるようだな」それを見たソレルは次々に矢を放つ。傷を負わせている気配はないが、それでも竜は背後にいるちっぽけな人間に気がつく。

 「ようやく気づいてくれたか」そこで弓を背負い、待ち構える。竜の尻尾だけが反応し、ソレルを押しつぶさんと振り下ろされる。

 ごつごつとした巨大な岩石の塊のような尻尾がしなり、砂浜を叩く。鞭の如く柔軟だが、振り下ろされたその衝撃は火薬を爆発させたかのように強力だ。

 それでもソレルはもの凄い身体能力で攻撃をかわしていく。充分に距離を取り、尾の先端すれすれの位置で避ける。尾が打ちつけられる度に舞い上がる砂が目眩ましとなり、竜はその素早い人間をどうにも捉えることができない。

 業を煮やした竜が振りかえる。そこでソレルは全力で逃げ出す。竜は躯をしならせ、雪山で狩りをする狐のような素早い動きで飛びついてくる。ソレルはすんでの所でかわすが、衝撃で飛び散る岩のように固くなった砂粒が彼の背を打ちつける。

 そこで距離が詰まる。竜が首をもたげて顎を引き、小さな人間と向かい合う。逃げ出す素振りで陽動を仕掛ける人間の策略には欺されず、ぴくぴく躯を振るわせ、狙いの軸を決してぶらさない。人間の動きをしっかりと見据え、次の一撃で確実に仕留めるつもりなのだ。

 ククク、クルクル、と竜が不気味に喉を鳴らす。そうして前足を地面から放し、後ろ足だけで立ち上がり、長い躯を竪琴のように折り曲げる。

 巨体が聳え、ソレルの頭上に影を落とす。彼の動きに合わせてゆっくりと巨体を左右に揺さぶり、いかにも集中して狙いを定めている。

 その様子にソレルの口角が上がる。

 「…なるほど、これを待っていたというわけか」

 石の竜の動きが止まり、今まさに飛びかかろうとさらに身体をしならせたその瞬間、彼の頭上で、空気を切り裂く甲高い音が通り過ぎる。

 奇妙な声を出し、竜が躯がのけぞらせる。鈍い音が響き、首元にしっかりと鉄の矢が突き刺さっているのが見える。

 竜は驚いてその場から飛び退き、それから器用に前足で刺さった矢を抜き取ると、躯を丸くしてふたたび警戒の体勢を取る。

 その首元から赤い血が滲んでいるのが見える。振り向くと、レザッドは次の矢をつがっている。ソレルが走り寄り、二人のストライダが距離を詰める。

 「やはり腹のほうは装甲が薄いようだな」

 「もう一度、ドラゴンを同じ体勢にさせろ」レザッドが事もなげに言う。

 「無茶を言う」ソレルはため息を吐き、再び竜の方へ向かっていく。



 「やったのか!?」砦でギジムが嬉々として叫ぶ。「あー、だめだ、効いちゃおらん」持ち直した竜を見ると、すぐに顔を曇らせる。

 「いや、そうでもないぞ」バイゼルが言う。彼には首許に僅かに流れる赤い血が見えている。攻撃が効くのが分かったのだ、勝てない相手ではない。

 だが矢の準備は未だ整わない。シンバーがやきもきして苛立つ。

 「しかし、何かできることはないのか」ギジムも大斧を構えたままに足踏みをしている。

 「おいっ見ろっ!」兵士達が一斉に指を差す。

 海岸で石の竜が躯をしならせストライダに飛びつくのが見える。砂煙が上がり、あらぬ方向からソレルが飛び出す。すかさず竜が躯を曲げてそこに飛びつく。何度かそれを繰り返し、距離を空けたソレルが敵に何かを投げ付けるのが見える。

 「伏せろ!」 バイゼルの叫びと共に海岸で大爆発が起きる。強烈な炎が吹き上がり、光と熱波が砂煙を連れて砦にやってくる。

 「 早火か!?」ギジムが叫ぶ。

 爆風が収まると、兵士達が一斉に海岸を見つめる。しかしそこには、炎にもろともせずに、石の竜が火の海で立ち上がるのが見える。

 「だめだ!ストライダの奥の手もまるで効いちゃおらん!」ギジムが斧の柄を紫の石積みに叩きつける。

 「いや、あれはただの牽制だ」やつもドラゴンに炎が効果を成すとは思ってはいるまい。バイゼルには立ち上がる竜の腹に、レゾッドの矢が次々に打ち込まれていくのが見える。

 竜が咆哮をあげ、先ほどと同じように、躯をくねらせ矢を抜き取る素振りを見せる。

 「ん?」その仕草にバイゼルは僅かな違和感を感じ取る。

 そうして竜は、今度は躯を丸めず東側の壁、レザッドのいる方へと猛烈に走り出す。それを受けレザッドが撤退していく。背後でソレルが注意を引くが、巨体が方向を変えることはない。

 バイゼルは特殊な笛で合図を送り、ソレルを呼び寄せる。

 そこでクロスボウの準備が調ったことを兵士たちが口々に叫ぶ。

 「東側の矢を放て!」バイゼルは指示を送るとすぐに、壁の縁まで走る。「やつは顎の下を庇うような動きを見せる!そこが弱点かもしれん!」 海岸から走ってくる弟子の姿下に向かって叫ぶ。

 ソレルは手を上げて合図を送り、再び海岸に戻って行く。

 そこで丁度、運よく、竜が鎌首をもたげているところに、東の壁から一斉に矢が放たれる。何本かが腹に突き刺さり、幾つかの鱗を破壊し、砂浜に剥がれ落ちる。

 巨体は僅かに体勢を崩すがすぐに持ち直す。それから再び咆哮を上げ、東の壁に向かって突進を仕掛ける。

 移動したレザッドが放つ矢は背中の厚い装甲に弾かれる。次の一射は鱗の剥がれた肩の部分に突き刺さるが敵は意にも介さない。二人のストライダは、何とか壁から注意を逸らそうと試みるが、どの攻撃もまるで効果はない。

 「まずいぞ!」バイゼルが叫ぶ。

 躯をばねにして竜が壁に飛び移る。紫色の防壁の一部が崩れ、煙が上がる。正面と西側から一斉に矢を飛ばす。しかし竜は背中を丸め、ほとんどの攻撃を弾く。

 東側の壁が崩落していく。兵士を掴まれ、海岸へと投げ飛ばされる。巨大な頭が素早く兵士達を咥え、次々とその牙でかみ砕いていく。赤く染まった口元から千切れた手足を吐き出し、鼻から血の霧を吹き出す。

 兵達は混乱し、ちりぢりに逃げ惑い、たまらずに壁から自ら落下していく。

 「レザッド!顎の下だ!そこを狙え!」ソレルの指示にレザッドが走る。二人は壁の真下で身構える。

 石積みが落ちてくるなか、二人は逃げずに上を見据える。東門が開かれ、兵士が海岸へと逃げだしてくる。

 「早く正門から砦に逃げこむんだ!」ソレルが叫び、近くの怪我人を助け起こす。

 レザッドは構わずに壁を見上げ続ける。黒目がちの細い眼をさらに細める。鋼の矢をつがい、特製のクロスボウの弓弦をその太い腕で引き続ける。落ちてくる岩にも土煙にも構わずに、ぐっと神経を集中させ、ストライダの眼を使う。

 やがて大きな頭がレザッドの真上に影を落とす。しかし同時に大きな石積みが落下してきて、彼の視界を阻む。

 それでも彼は身じろぎもせずに落ちてくる大岩の隙間を見極め、獲物を見定める。石の竜の喉元、そこからやや上方、顎の下の皮膚のたるみが一瞬だけ見える。

 ここだ!

 張りつめた鋼の弦を解き放つ。

 大岩が肩を掠め、肉をこそげ落とし地面で割れる。

 だが、彼の放った矢も、敵の顎の深くまで突き刺さる。

 大きな咆哮が波動となり、砦中を揺らす。

 石の竜が砦から飛び退き再び海岸に着地する。しかし砂に脚を取られよろめき、その巨体がはじめて崩れ落ちる。荒い息をして、顎の下に深く突き刺さった矢を抜こうとするが大量に流れ出る血液でそう器用でも無い指先を滑らせる。

 竜がもう一度大きな咆哮をあげ、憎らしげに牙を剥き、四方を威嚇する。

 ソレルはよろめくレゾッドを助け起こす。

 「やったか?」

 ソレルは頷き、傷の具合をみる。右肘から肩までの肉が裂けている。傷は深い。レゾッドは構わずに弓を取り、矢をつがえようとするが、そこで腕を下ろし、静かに首を振る。

 「よくやった。レザッド」ソレルはそう告げ、マリクリアで加工されたその矢を受け取ると、負傷していないほうの肩にそっと触れ、それから走り出す。


−その5へ続く

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