note_h_5_その6

紫砦と石の竜 −終話

 石の竜が沈黙し動きださないことが分かると、壁の上で兵士たちが歓喜の声を上げる。ソレルとバイゼルは用心深く近寄り、その後ろからミルマが弓を構えてにじり寄る。

 竜はまだ辛うじて息をしている。腹からどろどろの赤黒い血がとめどなく溢れ、砂地を汚している。瞳も瑠璃色に戻ってはいるが、以前よりもかなり濁った色合いをしている。

 ソレルがミルマの放ったとどめの矢を抜き取り、鏃を確認する。

 「やはりマリクリア鋼か。しかしこれほどまでの威力とは…」そう呟きながらミルマの頭を撫でる。「よくやったミルマ」そう褒めると、子どもは照れて俯いてしまう。

 「魔法でマリクリアを塗り込んだのだ」メチアがやってくる。「風の加護もあったが、ここまで効果があるとは思わなかったよ」

 「これでこの金属が扱う者を選ぶという話、信じない訳にはいかなくなりました」ストライダと魔法使いがもう一度ミルマを見る。

 「この子がマリクリアの魔法に選ばれたのかどうかはわからない。しかしこの金属がドラゴンに効果があることは、間違いなさそうだ」魔法使いは思慮深げにそう言うと、「これで成すべきことがまとまってきたようだ」そう呟く。

 それからメチアは竜を観察する。竜は口からは血の泡を吐き出し、陸に打ち上げられた魚のように、ぱくぱくと緩慢に顎を動かしている。

 「なにかを言っているようです」二人が跪き、耳を寄せる。

 「ウル…アガレア…ドナ…ギ・ギ」荒い呼吸で時折鼻から血しぶきがあげる。メチアはその血を浴びるのも構わずに、じっと聞き入る。

 「何かわかりますか?」ソレルが訪ねると、メチアはゆっくりと首をふる。

 「古いエルフの言葉のようだが、ほとんど言葉を成してはいない。…この竜は狂っているのかもしれん」それから魔法使いは「いかんいかん、まだ仕事が残っている」そう言い残し、慌てて鷹になって飛んでいってしまう。

 「いやはや、えらい目にあったわい」

 そこでギジムがやってきて、熱でひしゃげた鎧を脱ぎ捨てる。

 「大丈夫か?」

 「ドワーフは火に強いもんだ」あちこち火傷だらけだが元気そうだ。

 「だが、おれの自慢の赤髪を見ろ」彼が後ろを振り向くと、後頭部がチリチリに焦げて禿げ上がっている。それを見たミルマが驚いて口を塞ぐ。

 「まあ、これで助かったのだから良しとするか」そう言って、ミルマに目配せをして豪快に笑う。すると彼女もようやく緊張がほぐれたようで、ドワーフの笑い声に釣られてけらけらと笑い出す。

 それからギジムはまたしてもミルマを抱き寄せ振り回す。

 「それにしてもお嬢ちゃん!お前は本当にすごいやつだ!」



 今度はバイゼルが竜の腹に跪き、何かを観察しているのをソレルが気づく。

 「どうかしましたか?」

 「ここを見ろ」彼の指差す箇所を見ると、腹から流れ出る血が変色し、泥のように粘着質になっている。竜の顔を見るれば、瞳は今にも消え去りそうに濁ってはいるが、ひゅうひゅうと喉を鳴らして今だ呼吸を続けていることがわかる。

 「まだ辛うじて生きているようですが」ソレルは竜の血に触れ、指をこすり合わせる。匂いを嗅ぐとやはり泥のような異臭がする。

 「うむ。もう腐りはじめている」バイゼルは剥がれ落ちた鱗を手に取る。「ほれ、鱗も枯れ葉のように脆くなっている」あれほど堅かった鱗が粉々に砕ける。

 「どういうことでしょうか?」

 バイゼルは首を振る。「まるでわからんよ」

 それはそうだ。ソレルにも検討もつかない。レムグレイドの文献によれば、ドラゴンとは三千年前にこの地から飛び去ったとされる生き物である。それがなぜフラバンジからやってくるのか? なぜこの砦を襲うのか? そんなことを現時点でいくら推測しても、誰にも分かりはしないだろう。

 「だが、ひとつだけはっきりしたことがある」バイゼルは海の方を見る。

 「この生き物が、フラバンジに飼い慣らされているわけでは、断じてないということだ」

 「はい」戦いの最中、それはソレルも考えていたことだった。これほどの力を持つ生物を操れているとするならば、それをけしかけ、混乱に乗じて兵を送り込めば良いはずだ。ところが遠巻きにでも帝国の偵察船すら見当たらないのはどういうことか。おそらくあちら側も、このドラゴンのことを恐れてはいるのだろう。

 「とはいえ、そういった事情を配慮するのは、我々の仕事ではないな」バイゼルの言葉にソレルも頷く。

 噂をすればといったところだろうか。そう言うバイゼルの目線の先に、白鳳隊がやって来るのが見える。規則正しく整列された兵士の先頭には、メイナンド・レウーラが颯爽と歩いてくる。



 白鳳隊は一列に並び壁を作り、すぐに人払いをはじめる。当然のようにストライダ達も弾かれる。

 兵士の壁ごしにソレルが覗き見る。ギジムも飛び跳ねてその様子を探るが背の低いドワーフにはまるで見えない。

 「ええい、やつら何をしているのだ?」苛立つ彼に、人員として狩り出されていたシンバーの部下たちが、少しだけ隙間をあけてくれる。 

 皆が見守るなか、バロギナが恭しくひざまずき、メイナンドが剣を抜刀する。白の騎士の剣は、光の反射もなしに真っ白く輝いている。

 「ほう、あれは、ミスリル銀の剣か」バイゼルがすぐにそれを見極め呟くと、ギジムが唸り声を上げる。

 メイナンドは剣を掲げ、それから竜の喉元に静かに刃を突き刺す。

 すると、瀕死だった石の竜は断末魔も上げずに、あっけなく絶命する。瞳がみるみるうちに色を失い、蝉の抜け殻のような枯れた色になる。

 一部の幹部から歓喜の声が上がる。「竜殺し!」「偉大なるドラゴンスレイヤー!」それに併せて兵士たちが口々に叫ぶ。

 「おいおい、いったいこいつは、どういうことだ?」ギジムが首を傾げると、興味を失った二人のストライダは人垣を離れていく。

 「政だよ」バイゼルが背中を向ける。

 「まつりごと?」ギジムが振り返り、髭を撫でつける。

 「なるほど。貴族たちがさっそく本業に戻ったというわけか」そう呟くと、彼も二人の後を追う。

 白鳳隊の儀式めいた行事が終わると、メイナンドがこちらにやってくる。

 「両ストライダ殿、それにギジム殿」いつもの余裕のある笑みは消え、彼は真剣な面持ちで向き合う。

 「この度のドラゴン退治の件、レムグレイド王国を代表して、感謝する」拳を胸に当て、正式な礼して頭を垂れる。それを見たバロギナも、慌てて隊長に合わせ顔を伏せる。

 そうしてメイナンドが顔を上げると、例の人好きのする笑顔に戻っている。

 「いや、あんなことをするのはわたしも不本意ではあるのだがな」嬉しそうな眼差しで絶命したドラゴンを見やる。

 「我々もかなりの犠牲者を出したのでな。これくらいは許してくれ」笑顔の奥で野心的な瞳が輝く。

 「手柄はよこせと?」忌憚なく言うバイゼルにも、彼は笑って応える。

 「まあ、しかし、ただの形式だよ」黙りこくる二人のストライダに向かって彼は話しを続ける。

 「…だが、我々は、何事も形式に則って動かなければならないのだ」

 「あの死骸、ラームが引き取ることはできぬのか?」メイナンドの話には合わせずに、バイゼルが訊ねる。

 「その件に関しては…、」メイナンドが少し困った顔をすると、バロギナがすかさず割って入る。

 「ドラゴンの死骸は王国の管理下にある」副隊長は高圧的に、きっぱりという。

 ソレルがバイゼルに向かって肩をすくめる。それならばと二人は早々に立ち去ろうとする。

 「時に、メチア殿、…といったかな? あの魔法使い殿の姿がまた見えぬようだが」メイナンドが呼び止める。

 「ああ、それはいつものことだ」ソレルが答える。

 「魔法使いが精霊に呼びかけると、その後始末のほうが大切だそうだ」自然の法則をねじ曲げるのは簡単では無いが、それを元に戻すことのほうがよっぽど難しい。まともな魔法使いならば誰しもが口癖のように言う科白を、彼はそのまま伝える。

 「…なるほど。杖を持たぬとなると、それさえもさらに難儀な作業ではないかな?」メイナンドがふたたび鎌をかけるような言い回しをする。二人は黙ったままに耳だけを傾ける。

 「何でも、失踪したウリアレル学園長の杖も、アムストリスモに保管されたままだそうだとか」わざとらしく首を傾げる素振りに、二人のストライダは何も答えない。しかしそんな様子でもメイナンドは笑顔を絶やさない。

 「話がそれだけならもう行くが、他に何かあるか?」バイゼルが泰然と言う。

 「…いや、手間をとらせた」メイナンドは例の冷たい笑顔を見る。

 「それでは、ストライダ殿にご武運を」そう言うと、踵を返して去って行く。

 バロギナが憎々しげに二人を一瞥し、それから隊長の後をすぐに追う。

 しかし、幾人かの白鳳隊の兵士たちはしばらくそこに居残り、ギジムとストライダ達に最敬礼をし、黙って去って行く。



エピローグ


 ストライダ達はその日のうちに引き上げる準備をする。ソレルらが乗ってきた帆船は、ガンガァクスに向かうバイゼルがそのまま乗り込むことになる。

 「ゆっくりしていけば良いものを」ギジムが名残惜しそうに言う。「まだ地酒もたっぷり余っているのだぞ」負った火傷をものともせずに言う。

 「帝国との小競り合いに巻き込まれても、我らには何もできないからな」ソレルが答える。旁らではミルマがレザッドにもらった手弓を愛おしそうに撫でている。

 「そういえば、メイナンドが、あなたのことをしきりに知りたがってましたが…」見送りに来たメチアに訊ねる。

 「ふむ。大方、サァクラス・ナップ殿にでも頼まれたのだろう」

 ソレルは王国付きの二人の大魔道士の噂を思い出す。十一年前、密かに大魔道士アリアトの命を受け、竜の卵を持ち出し沼地に隠れたメチアに、サァクラス・ナップが追っ手をかけたという。

 「メイナンドは、大方のことは気づいている様子でしたが」

 「そうだな。ここ数年は、わたしも派手に飛び回っていたからな」メチアは余り気にする様子もなく答える。

 「よろしいので?」この話はラームのなかでも一部の者にしか知り得ない事実だったはずだ。

 「うむ。いつまでも隠し通せるわけでもない。それに、わたしもそろそろ学園に戻ろうかとも思っている」

 「アムストリスモに?」

 「なに、できればだ。そこでメリクリアの研究でもしようかと。沼地ではあまりにも設備が足らぬものでな。それに…」

 そこで魔法使いは遠い目をする。

 「…あの子、ラウには、わたしの手を離れて、旅立たせようと考えている」

 「しかし、いったいどこへ?」驚くソレルにメチアはしばらく考え込み、間を空けてから答える。

 「…それは、あの子の意思のままに、…とだけしか、わたしには言えぬな」

 ソレルは、それ以上は何も魔法使いには訊ねはしない。近年世界中で起こっている異変。魔の物の活動。石のドラゴン。ガンガァクスの魔兵。飛ばなくなった伝令鳩。闇落ちした魔法使いの暴走。そのすべてが、竜の仔に直結したことなのかは、誰にも分からない。ましてや、あの子どもがベラゴアルドにとって厄災となるか希望になるか。そんなことは誰にも予測できはしない。

 彼は細かい思案を捨て去り、空を見上げる、よく晴れた昼下がり。カモメが飛び交い、鰯の群れが水面で光る。出航にはうってつけの天気だ。

 「…それでも、」メチアは言葉を続ける。

 「あの子にはあの子の命がある。生き方がある。それを我々がどうこうするにも、限度というものがあろう」

 ソレルが深く頷く。

 「詳しい事情は知らんがな…」そこでギジムが口を開く。

 「どんな種族だとて、それが若者だとすれば、おれたち年寄りどもは、責任を持って見守ることしかできんさ」

 珍しくまともなことを言うドワーフに、ソレルとメチアは顔を見合わせる。

 「なぁに、間違って道に逸れた時にゃあ、お前たちが身をもって教えてやればいいことだ!」そう叫びメチアとソレルの尻を気安く叩くと、ギジムはミルマの方を見て豪快に笑う。

 港では桟橋に腰掛け、バイゼルが出航を待っている。

 ソレルはその老人を遠巻きに眺める。隻眼の瞳。白髪だらけの頭。自分と同じ灰色のマント。グリフィンの徽章。ハースハートン製の牛皮の鎧に銀の長剣。その見慣れた男を、最強の名を馳せたストライダを、そして血の繋がりなどなくとも、父親でもあり師でもあったその男の最後の姿、最後の安寧を、黙って眺める。

 バイゼルは隣に歩くミルマをじっと見ている。彼はそのことに気がつく。老ストライダはその若い孫弟子を、眩しそうな目つきで眺めている。

 「レザッドがあなたによろしくと言ってました」とりあえずレザッドからの言づけを伝える。

 「イギーニアとしてはガンガァクス行きには反対するが、あなたが最高のストライダであることは変わりないと、」

 その言葉を受け、バイゼルはにやりと不敵に笑う。「やつのことだ、そんな言い回しはしていないのだろう?」

 「…あの、」するとミルマが恐るおそる口を開く。

 「レザッドさん本当は、こう言ってました」大人達の注目が集まり、彼女が緊張する。

 「最強のおいぼれに宜しくな、と、それだけでした」

 皆が目を丸くしている様子をみると、彼女はなにか場違いな事を言ったことに気がつく。

 「…えっと、…おいぼれって何ですか?」そんなことを言う。

 それを聞いたギジムが豪快に笑い出し、皆も一緒になって笑う。

 「だって!師匠がレザッドさんと違うことを言うから!」ミルマが必死になって弁明を続ける。

 「ああ、だが、ともかくイギーニアにはこれで借りができた」ひとしきり笑ったあとで、バイゼルがぼそりと言う。それを聞いたソレルがしっかりと頷く。

 「ストライダは借りをつくらない、…か」ギジムが髭をいじる。「もう聞き飽きたわい」

 「向こうではブライバス様とアマストリス様にもよろしくお伝えください」

 「うむ、ガレリアン・ソレルが我らの意思を継いだと伝えよう」

 「おれの兄貴にもよろしく頼む。名はバジムだ」

 「うむ、他のドワーフたちにも大斧使いギジムの武勇を語ろうぞ」

 そうしてバイゼルは甲板を見やる。支度を終えた船員たちが休んでいる。空は蒼く。丁度良い南風が吹く。

 「いやはや、最後に楽しいおもいをさせてもらった」

 老ストライダは、顔を真っ赤にしてうつむいてしまったミルマの頭をなでる。この子の世代には、ストライダの古い掟のいくつかは無くなっているかもしれない。もしこの子がガンガァクスに行かずに、戦いを捨てることを選んだとて、それもよかろう。

 そして、それは我が弟子にも言えることだ。

 バイゼルは幾年月も苦楽を共にしたソレルを見つめる。そうして、二人はなにも言わずに頷きあう。

 「それでは皆、達者でな」そう告げると、皆の言葉を待たずに船に乗り込んでしまう。

 すぐにゆっくりと船は動き出す。

 船が風に乗った頃に、バイゼルが甲板へ顔を出す。

 残された者たちは腕を振り上げ、蒼い空と海に吸い込まれていく老ストライダを、いつまでも見送る。



−終わり−

ベラゴアルド年代記 −紫砦と石の竜





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