竜の問い −その4−エルフとの邂逅
竜の仔の物語 −第1章−|1節| 竜の問い
–その4− エルフとの邂逅
レムグレイド王国を出てから八年もの間、メチアはただ沼地に隠れ住んでいるわけでもなかった。
バンバザル隊が追跡してくることは、彼はかなり前から予測していた。タミナの街に出向く際は、それとなく王国や猟兵の情報を集めていたからだ。
それで解ったことは少なかったが、メチアが沼地に留まり続けるには充分な情報だった。
まず、王国の魔法使いサァクラス・ナップが、あれ以来、追跡を命じていないことは、かなり早い段階でメチアは知っていた。これは、メチアの師であるアリアトが、宮廷内で巧く立ち回ってくれたことを意味した。
今回の件、バンバザルが沼地を突き止めたことも、本人が言うように、単なる偶然であることは間違いなさそうだった。彼は任務には忠実だが、それは単にハースハートン大陸を預かる猟兵としての誇りが故であり、王国への深い忠誠心というわけでもなさそうであった。
また、バンバザルは人狼を探していると言っていたが、それにはまるで心当たりはなかった。おそらく、気を違えた人狼がどこかの村を襲い、それを追っているうちに、偶然、タミナの街でカユニリを見つけたのだろう。
アムストリスモのことも、はじめから心配してはいなかった。学園には優秀な魔導師たちがいた。メチアが抜けたことにより、学園が立ちいかなくなるはずはなかった。それに、学園側がその気になれば彼を探し出すことも容易なはずであった。おそらくは、居場所くらいはすでに突き止めてはいるのだろう。
さらに云えば、魔導師たちがタリズマでメチアに呼び掛けてこないことが何よりの証拠だった。おそらくそれは、守りの魔導師ミダイに送り込んだ杖とローブから、メチア自身が姿をくらますことを望んでいると推測し、あえて静観することが、学園側の判断であったのだろう。
しかし、正直に云えば、メチアには、ラウの行く末がまるで読めなかった。彼としては、ラウがこのまま竜の仔だという真実を隠し続けて、普通の人間としてその生涯を終えて欲しいという願望はあった。けれど、ベラゴアルドの運命はそういうふうに過ぎ去ってはくれないということも、頭のどこかで判っていた。
「ここまでは上手くいき過ぎていたのかも知れんな。」メチアは独りごち、すやすや眠るラウを見つめた。
今回のバンバザル隊の件、予想していたとはいえ、今までの安寧の暮らしを、多少なりとも脅かした出来事には違いなかった。
◇
それからしばらくすると、こんなことがあった。
メチアが子どもたちと共に窪地の墓標を掃除しに行くと、窪地は綺麗に整理されていた。落ち葉は取り払われ、墓の周りには矢と剣が大地に突き刺さっていた。すぐにレンジャーたちが墓にやってきたことが分かった。
「案外、律儀な連中なのだな。」
バンバザルという男。ハースハートンでそう悪い噂は聞こえてこない。
「やつは猟犬ではあるが、あれでいて飼い主よりも仲間たちを重んじるようだ。」メチアは独りごちる。
ラウとシチリはしばらく窪地で遊んでいく様子であった。
「二人だけで大丈夫か?」メチアがそう訊くと、「三人だよ」と、シチリはアルベルドにもらった人形を掲げた。天気も良く、さし当り申付けるような仕事もなかったので、メチアは子どもらを置いて窪地を後にした。
それから昼を過ぎ、夕方になってもラウたちは帰ってこなかった。しかたなしにメチアは子どもらを迎えにいくことにした。たいした心配はしていなかった。シチリの人形には特別な守りの咒を施していたし、彼に何かあれば、それが反応して魔法で知らせる仕掛けになっていたからだ。
それに、ラウにはカユニリが贈ったダガーを持たせていた。アルベルドが遊びで戦いの訓練をしていたので、いざとなれば小鬼くらいは簡単に追い払えるに違いなかった。
窪地から少し過ぎたところに二人はいた。二人は太古の森の暗い木々を見上げていた。メチアが不思議に感じて近づいていくと、森からただならぬ気配を感じた。
彼は魔法を両手に込め、急いで子どもらのもとに駆け寄ると、森からの気配は一気に数倍に膨れ上がっていった。
すぐに彼は二人を自分の背中に隠し、森の様子をうかがった。その間も、気配はどんどん膨れ上がっていたが、どこにも人影らしきものは見られなかった。
「これは、魔法か?」二人を守ることだけに集中していると、すぐそこのイチイの古木の枝に、人影が現れるのが分かった。いや、はじめからそこにいたのかも知れなかったが、その気配は魔法使いにさえ察知できないほどに鋭敏なものだった。
メチアが警戒の色を濃くすると、シチリが手を握り、「心配ないって、ラウが言ってるよ。」と、奇妙なことをいう。
気がつくとラウが前に出て、じっとその人影を見つめている。
「その子どもは、なんだ?」枝の上の影が言う。未だ、他の者の位置を特定できないが、気配だけは五、六十をくだらない。
「人間の子ではないようだが。」影が言葉を続ける。
その言葉でメチアには軍団の正体が分かる。
「お主らは、エルフか?」
枝の影は微動だにせずに、「そうだ。」とだけ言う。その時丁度、夕陽が森に差し込みその姿が明らかになる。
「人間がこの辺りをうろつくのを、我々は好まない。」
エルフが静かに言う。かなり立派な装飾の施された白銀の弓を持ち、鎧の隙間からミスリル製の帷子がきらきらと光る。たとえその長い耳を見なくても、その装備を見れば、すぐにエルフの戦士だということがわかる。
「太古の森には、足を踏み入れてはいない。」メチアは答える。もう片方の手でラウの手を握り、近くに呼び寄せる。「この子たちにもそれは強く言って聞かせているが。」
「人間の戦士が向こうの窪地まで来ていた。」
額から鼻先にかけて十字の傷がある。おしなべてエルフは美しい顔立ちをしているが、この男は傷を得てなお美しい。
「彼らはレンジャーだ。彼らとて、一歩たりとも太古の森に足を踏みいれようなどとは思うまい。」
エルフの戦士は、そうか、とだけ言い、もう一度ラウ見下ろす。
「その子ども、名は?」
「ラウだ。」エルフの問いに、メチアは正直に答える。
戦士は、ふっ、と笑い、「黄金の子か。」と呟く。それから立ち上がり、森の方を振り向き、エルフの言葉で何かを言う。すると、森からの気配が一斉に引いていく。
「ハーフリンクを連れた魔法使い。それからそのどちらでもない、人間でもないラウよ。お前らが何者であろうと、我らの森を侵すことは、このブリガウリフが許さぬ。事、ヴェゴの道を通り、ハイドランドに足を踏み入れたエルフ以外の種族がいたら、我らはその種族がどんな存在であろうと、全力で滅ぼすつもりだということを忘れるな。」
その言葉にメチアが深く頷くと、ブリガウリフと名乗るエルフの戦士は、古木の上から何かを放り投げる。メチアが受け取ると、それは金色の液体の入った小瓶であった。
「これはエルフの飲み薬か?」
「隣人として、贈り物だ。」そう言うとブリガウリフはラウから眼を放さずに、静かに森の中へ消えていった。
ラウはしばらく森の暗がりを見つめ、メチアはその姿を見守っていたが、シチリが帰ろうと促すので、彼らは沼地へと帰っていくのだった。
◇
その出来事以来、メチアは沼地を離れ、繁く街へ出ることが多くなった。彼には何かしらの予感があった。平穏な暮らしが終わりを告げようとしているような、そんな予感があった。
彼は街へ通い、八年の間に小屋に集まった生活用品や不必要な本などを売りさばき、小金に替えていった。それに併せて、少しずつ旅の道具を揃えていった。彼はいつでも旅立てるよう、周辺を身軽にしていった。
それからすぐに彼の予感は的中した。それは夏の暑さもそろそろ遠ざかる銀雁(ぎんかり)の季節の夕暮れ時のこと。ラウとシチリが沼地で行き倒れる男を見つけたことから、事態は動き始めるのだった。
メチアが駆けつけた時には、その男は泥に顔を半分浸し、気を失っていた。息も荒く、見るからに瀕死の様子であった。身体を調べると、右腿に矢傷があり、紫色に変色していた。
傷の具合からみても、化膿して熱を発しているというわけでもなさそうだった。
「毒か。」大方、矢じりに塗られてでもいたのだろう。メチアは男を抱きかかえた。もの凄い巨漢で、渡り桁まで運ぶのにも一苦労だった。
とても一人で運べそうになかったので、メチアは男を仰向けに背中を抱きかかえ、ラウとシチリに両足を持ってもらうことを頼んだ。しかし、シチリは男の片足でさえ持ち上げることは出来なかった。
仕方が無いので、二人にここにいるように言い聞かせ、台車替わりになるような物を小屋に探しに行くことにした。
ところが、それらしい物を探し出しメチアが小屋を出ると、沼地の靄から巨大な影が迫ってくるのがみえた。
「なんと!」メチアにはそれがすぐにラウであることが分かった。ラウは、優に倍以上あるその巨漢を、角砂糖を運ぶ蟻のようにいとも簡単に背負い、歩いてきていたのだった。
「お前がそんなに力持ちだとは、知らなんだ。」目を丸くするメチアを見ると、「ラウはシチリと同じくらい力持ちだよ。」と、シチリが事もなげに言う。
メチアは寝台の毛布を取り去ると、男をそこへ寝かしつけるように指示した。男の服をはぎ取り、他に怪我がないか確認する。
「なるほど。」
裸になったその巨漢を観察すると、魔法使いはすぐに悟る。
「この男が例の人狼だな。」メチアは顎をさすり、少し考える。「ともかく毒を取り去らねば。」
メチアは針を持ち出し、それを火であぶり、男の傷口の回りを刺していった。そうして、そこからさらに感覚を空けて、針を刺していくと、男の全身に、ゴマ粒のように赤い血がぷくり身体中に浮きあがる。
次にメチアは両手に魔法を込めて男の身体にかざした。すると、針で刺した小さな傷から、蚕が糸を吐くように血液が空中へと昇り、やがて黄緑色のどろりとした液体が傷穴から滲み出してくるのが見えた。
「これで良いだろう。」メチアは男の身体中の血液を拭き取る。傷口にヨロイアロエを塗り込み、包帯を巻き、毛布を男の腹に掛けてやる。そうして、すぐに部屋を後にする。
「やれやれ、少し強い魔法を使わなくてはならんな。」
沼地に出たメチアは深いため息をつくと、長い咒言葉を呟きはじめる。
しばらくすると、沼地に点在する棒杭のすべての印が青白く光り出し、万年沼地にかかる白い靄とは違う、霧状の光が沼地全体を隠していく。
◇
「あのじじい、やりやがったな。」
偵察に出た部下が霧から飛び出してくると、バンバザルが舌打ちをする。偵察が戻ってくるのはこれで三回目だった。
その日の沼地はことのほか霧が濃く、静かだった。異変を感じたバンバザルは部下に固まって歩くように指示した。進む道順を間違えるはずはなかった。しかし、どういうわけか霧を抜けると沼地の入り口まで戻ってきてしまうのだった。
次には隊を分けて霧に入ってみたが、結果は同じだった。三度目になると流石にバンバザルは、この広い沼地のすべてに魔法が罹っていることを認めざるをえなかった。
「こりゃあ、まさか、おれたちが仕留めそこなった人狼を匿ってのことじゃあるまいな。・・だとしたらあのじじぃ。」バンバザルは霧を睨めつける。
「何か分かったのか?バンバザル。」
すると、不安げな表情で、杜の司が不安げに近付いてくる。バンバザルは司を睨み、べっ、と唾を吐く。
「無駄無駄、無駄だって、カユニリ。こいつらに分かるはずもねぇよ。」遠くで黒いストライダが斜面に寝転がったままで言う。
その悠長なストライダの様子を睨み、「どうしてこうなった、」と、バンバザルは忌々しげに吐き捨てる。
「おい、そこのストライダ!お前も、もう一度霧に入ってみろ!」
「アルベルドだよ。おれの名はバシリ・アルベルドだよ。」気安くストライダなんて呼ぶんじゃねえよ。そう付け加えるとアルベルドは寝返りを打ち、背中を向ける。「メチアの幻覚魔法じゃ、おれたちにゃあ、どうしようもできやしねえよ。」
「ああ、ちくしょうめ!じゃあ、お前が行け!」バンバザルは舌打ちをして、もう一度、司を睨む。
「カユニリだ。おれの名はカユニリだ。」カユニリが怯えながら言う。
「分かったよ!カユニリ、お前は司なんだろうが!この霧を何とかできんのか!」そう怒鳴り散らす。
「無理だってアルベルドも言ってるだろ!こんな強い魔法、並の魔法使いにだって解けやしない。」予想通りの口答えをするので、バンバザルはもう一度怒鳴ろうとして、思いとどめる。怒鳴るだけ気力の無駄だと感じたからだ。
「しかし、隊長。我々はともかく、こいつらまで閉め出すというのは、どういうことなのでしょうか。」部下が不思議そうに訊いてくる。
「おれに訊くんじゃねえよ。」バンバザルはそう言うと、諦めてその場にしゃがみ込み頬杖をつく。
あたふたと霧の側で取り乱し、動き回るカユニリと、居眠りをはじめたアルベルドを眺めると、「ちっ、どうしてこうなった。」と、彼はもう一度舌打ちをする。
−その5へ続く
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