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うるさいけれど、ほっとする謎。

なぜだろう、静かすぎる。
ふと夜が静かなことに違和感を感じたのは、春から夏へ移り変わる5月末の頃だった。

私の部屋に遊びに来た友人は皆「この部屋は静かでいいね。」と言う。車も人通りも少ないし、近くに電車が走っているわけでもない。うん、静かでいい。けれど今年はなぜか落ち着かなかった。

ちょうどその時期に実家へ帰った。田植えが終わり、田んぼには水が張られている。日が暮れた頃に聞こえてきたのは、何十匹ものカエルの声。
あぁ、そうだ。この時期はいつも、カエルの声がうるさいと言いながら、ご飯を食べたりお風呂に入ったりして夜を過ごしていたんだった。
シャワーのように降り注ぐ大合唱。まったく静かではない夜。そんな音に包まれる生活が日常だったことを思い出し、不思議な落ち着きを感じながら深く眠りについた。

「落ち着く」という感情は不思議だ。必ずしも、静か=落ち着く、というわけではない。雑音が排除され整いすぎた空間は、時に緊張感を生む。適度な雑多さに落ち着きを感じるのは、そこに人や生きものが存在すると感じられるからなのかもしれない。(例えば、誰かが朝ごはんを用意する音などの生活音は、妙な心地よさがあったりする。)
話は少し逸れるが、ジャズは本来、レストランなどで生演奏する際の人々が談笑する声や食器のカチャカチャと触れる音も含めた状態でこそ音楽が完成するという話を聞いたことがある。

・・・

外から「だるまさんが、ころんだ!」という少年の声が聞こえてきた。向かいの家のおじさんは今日も近所のおばちゃんと話している。猫の鳴き声。お風呂で水を掛け流す音。

人や自然の存在を感じると、懐かしさを感じてほっとする。私たちの体はそんなふうにつくられているのかもしれない。

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