見出し画像

窓と煙草とおじさんと。

窓から外を見ると、煙草をふかしているおじさんが目に入った。

まただ。何回目だろう。いつも外階段の踊り場で手すりにもたれて煙草を吸っている。距離にして25mぐらい。私の家とおじさんの家の間には駐車場があって、遮る建物はない。

何をしている人なのかは知らない。くたびれたジョージクルーニーみたいだなと思っていたが、もっと似ている人がいた。笑点の小遊三(こゆうざ)師匠だ。四角くていかつい雰囲気だけど、ちょっと可愛い。

向こうもぼうっとこちらの方を見ている気がして、なんとなく目があって気まずい気持ちになりすぐ目を逸らす。たまに道でもすれ違って目が合うが、窓を通して目が合った時のあの気まずさには勝てない。

ふと窓の方を見ただけなのに、今日だけで3回も煙草を吸っている姿を見てしまった。朝と昼前と夕方。見ただけではなく、もれなく目も合ってしまった(気がする)。部屋にいる無防備な私を見られた。やっぱり気まずい。

画像2

実家は山に囲まれていたので、窓を開け放とうが、着替えようが、外からの目線は気になることはなかった。窓は光や風を送り込んでくれるポジティブな存在であり、開けることで外とつながれた。窓を開けるのって最高だ。窓大好き。カーテンをすぐ開けたくなってしまうのは、間違いなくそんな環境で育ったからだ。

それが今やこれだ。開放の象徴だった窓は、気を抜くとおじさんと目が合ってしまう危険な存在に変わった。窓を挟んで私たちの間に流れる静かな気まずい時間。どうにかしてくれ小遊三さん。いや違う小遊三さんはあなただった間違えた。

カーテンを閉めればいいじゃないかと言われても、そうはいかない。山に囲まれて育った自然児は、カーテンを閉めきった生活に耐えられない体になっているのだ。

窓の方を見る。電気が消えている。寝ているのかもしれない。少しホッとした。明日もきっとおじさんは煙草を吸うだろう。私も変わらずカーテンを開けよう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?