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定年後の方向を見出すマクロ環境認識

今回は長文ですが、日本の前途と定年退職者の採るべき道を論ずる重要な内容だと思いますので、辛抱強く読んでいただければ幸いです。

人生100年時代のこれからの危機を認識にするには、マクロな視点が必要


前回、定年前後にはさまざまな危機が存在するので、人生100年時代を生き抜くためには備えが必要だと書いた。


危機は、世の中の変化がもたらすものである。そこでは、今までの当たり前が当たり前でなくなる。危機を感じて現状にとどまることの不利を認識したら、次はどの方向に向かうかを考えるべきである。その変化の勝ち馬に乗った方が良い。


このためには危機を感じるだけでは不十分だ。危機の根本原因がわからなければ、効果的な対策は打てない。年金や退職金減額やジョブ型への移行は、日本が貧乏国化していて現制度が維持できなくなっていることの帰結である。

その大きな(マクロな)流れを理解し、その中でどう生きていくかを考えるべきである。闇雲に仕事を探しても、流れに竿さすことになりかねない。そのために必要なのは、マクロな環境認識である。

マクロな環境認識とはどのようなものか

マクロな(長期的な、大きな構図の中での)環境認識とはどのようなものを指すのか、何故必要か、それを筆者の経験事例で示そう。

筆者が大学を卒業した頃に、初任給が一番高かったのは鉄鋼業界である。当時はまだ日本での重工業業界の投資も盛んで、鉄鋼会社に就職した同級生は、新人として3日3晩立ったまま寝ながら状態で製鋼工場の建設に携わった。

その彼が、会社の上級役員になった時、自らの手でかつて工場長を務めた当の製鋼工場を閉鎖した。その後、関連会社に天下ってしばらくして、(鉄鋼以外の他に勤め先はないので)引退した。

工場投資が盛んだったその頃には重厚長大産業を中心とした日本の高度成長はすでに終焉していたと、昨今の経済学の教科書には書いてある。これは後知恵に聞こえるかもしれないが、すでに衰退の兆候を嗅ぎ取っていた人は、当時でも存在したはずである。

一方、別の同級生は富士通に就職した。その時に親戚から、「そんな会社はすぐに潰れるからやめておけ」と言われたそうである。しかし、IT産業に就職していれば、定年になってもデジタル時代の今では就職の機会は多方面に存在する。

筆者自身もIT産業に身を置き、定年までずっと右肩上がりの時代を過ごせた。ジョブ型の外資ということもあり、自分から管理職を辞退してもそれなりの処遇を受け続けることもできた。

この間、経過した時間は35年である。60歳で定年になって90歳まで生きるとすると、30年が残る。(そこまでずっと元気に活動し続けている保証はないにせよ)30年とはこれくらいの変化が起こる長さの年月なのである。

筆者は、自分には関係がないので鉄鋼業界の将来については考えなかったが、いろいろな文献を読んで、人に何と言われようともIT業界の将来が非常に明るいことは確信していた。これで、なぜマクロな視点が必要か、お分かりいただけるだろう。

ここからは日本経済にどのようなマクロな変化が起こりつつあり、そこにどのような定年退職予定者の活躍の機会がありそうか、順を追って考えていくことにしよう。

定年後に備え最初に認識すべきこれからの環境変化は、インフレである

高齢化で世界はインフレになる


これから定年を迎える人たちが把握すべきことは、30年間給料が上がらない日本経済がどこに向かうのか、その中でどう行動すればリスクを減らしかつ生きがいを得られるか、ということであろう。

以下の記述から理解すべきことの一つは、これからは世界的な高齢化でインフレが進むということである。すべての人が、これまで長く続いた低金利・低インフレ時代に慣れた感覚を改める必要がある。

とくに高齢者は、定収入が減るので備えを怠るべきではない。貯金や退職金などの限られたストックを取り崩す生活をするよりも、少しでもフローを増やしストックの目減りを減らす生き方をする方がリスクがはるかに少なくなることを理解しておくべきである。

もう一つは、人口減でもGDPが維持できていてそこまでの問題はないように見える日本経済も、実はグローバルに進出した製造業の名目上の利益に支えられているだけで、そのお金が国内に還流しないので国民は豊かになった気がしないということである。

団塊の世代が子供の頃に経験した貧しい日本に戻りたくないと思うのであれば、日本で過去20年に海外に失われた高賃金のグローバル製造業の雇用は戻ってこないことを前提とし、それに代わる労働生産性向上の道を見つける必要があるのである。

(団塊世代の時代は子供の数が急速に増えたので、筆者は小学2年生の時に増設された新小学校に転校させられた。田んぼの中に作った学校だったので雨が降ると校庭がぬかるみになり、長靴が埋まりそうな状態で登校したことを覚えている。もちろん、通学路で舗装されているところなど、一つもなかった。)

  • 1990年以降コロナ前までの30年間は、世界のインフレ率は2%程度で安定してきた。これは、以下の幸運な事象が組み合わさって可能となったものである。この間、世界の先進国貿易システムにおける実効的な労働力量は1991年から2018年の27年間に2倍以上も増加した。(グッドハート&プラダン、「人口大逆転」)

    1. 中国の地方から都市部への労働人口の大移動(2000年から2017年に3億7千万人)

    2. 1989年のソ連崩壊により東欧の労働人口3億人が世界経済に組み込まれた

    3. 先進国の労働人口が依存人口(0-14歳の若者と65歳以上の高齢者の合計)を上回る

  • しかし、そのいずれの事象も今後崩れていく。すなわち、生産人口が減少し増大する高齢者は消費をやめないという簡単な理屈から、グローバル規模で物の値段は上がりインフレ傾向となる。インフレ傾向の歯止めをかける可能性がある手段として考えられるのは、先進国内の自動化、年金制度改革による高齢者の労働参加率向上、移民、インドとアフリカの労働人口の活用などの事柄であるが、いずれもあまり当てにならない。(その議論の詳細は、ここでは省略する)(「人口大逆転」)

  • 先進国で高齢化が進んでいるにもかかわらずインフレが進まない稀有な参考例と期待できるかもしれないのが、日本である。バブル崩壊後の「失われた10年」が終わった2000年以降、日本は労働力が年率1%減少したにも拘らず生産量は年率1%成長してきた。両者の差は労働生産性の向上である。労働者一人当たりの生産性は、年率2%で成長してきたことになる。しかし、一方で年率0.5%のインフレのもとで、失業率が低いままなのに賃金は停滞し続けるという奇妙な状況に陥っている。(「人口大逆転」)

  • この奇妙な現象を説明するのは、日本の膨大な海外直接投資である。日本は、上記のグローバルな人口構成の変化によって引き起こされた海外の強い需要を、海外の安価な労働力の利用でカバーして自国の収益としたのである。その証拠に、日本の製造業就業者の割合は、1996年の22%から2018年は16%に減少している。その雇用減は、労働生産性の低い国内サービス業に吸収された。(「人口大逆転」)

  • 日本の対外直接投資における再投資収益(経常収支のフローには計上されるが、実際には国内に還流しない)の昨年末時点の残高は、46兆円である。(筆者注:2022年の日本の名目GDPは557兆円。)経済安保上のサプライチェーンの見直しからも円安対策の面からも、配当の全額非課税化、還流時の源泉徴収免税などにより国内への還流を後押しすべきである。(「大機小機」、日経新聞2022年9月28日)

9月28日に、日本製鐵がアルセロール・ミタルと合弁でインドに1兆円投資して、高炉を2基作ると発表した。グローバルに経営する力がある会社は、需要の減少を受け日本国内では高炉などを廃棄しつつ、同時に需要があるところではビジネスを開発していく。

そのような会社が日本国内に利益を還元してくれる保証はないと考えた方が良い。企業ではなく日本国民を豊かにするためには、内需を拡大するしかないのだ。

またこのタイミングでのインドへの投資は、インドの需要成長とともにグローバル経済のブロック化も示唆している。中国の人口減と地政学リスクの双方の観点から、日本経済がこれまで中国から受けてきた物価安のメリットが減少していくことにも注意が必要だろう。

日本経済が低調な根本原因:消費の低迷

次に必要なマクロ環境認識は、日本の低成長とその原因である。

日本経済の低下を、日本政府も手をこまねいて見ている訳ではなく、以下のように様々な景気刺激策を試してきたが、一向に効果が上がってきていない。その最大の原因は、日本国民の将来への不安心理が妨げとなり消費が高揚しないことにある。

日本が貧乏国になっていくのを防ごうとするのなら、全国民が消費マインドを向上させる方法を考えていく必要があるのだ。

  • 日本は、1990年代初めのバブル崩壊後の不況から脱出しようと「ファラオ以来最大の公共事業の宝庫かもしれない。日本は経済の健康を取り戻すための道をつくり、その道を舗装する試みに1.4兆ドルとも言われる金額を支出した」という記事を書かれるほどの拡張的財政政策をとり始めた。1996年にアメリカの支出は1800億ドルの時に、人の殆ど住んでいない地域に最高級の道路を建設するなど、3000億ドルのインフラ投資をした。短期利子率がほぼゼロなので金融政策を取ることもできなかったし、日本が大恐慌に陥ることは防いだかもしれないが、成功したとも言えなかった。(クルーグマン、「マクロ経済学」)(筆者注:マンキュー「マクロ経済学I」にも同様の記述があったのはずなのだが、その場所を見つけられなかった。それほど世界的の経済学者に有名な事例。)

  • そしてケインズ主義的なマクロ経済政策は、おおむね機能してきた。はいはい、確かに効き目はいろいろだった。大きなへまもあった。たとえば、1990年代の日本や1998年以降のインドネシア、2001年以後のアルゼンチンなどだ。(アカロフ&シラー「アニマルスピリット」)

  • 90年代後半、橋本・小渕政権は、公共事業中心のケインズ型の大型財政出動を実施したが、低い成長率にとどまった。(上記クルーグマン、アカロフ&シラー参照)小泉政権は、規制緩和や減税を軸とする構造改革(サプライサイドの経済政策)を実施したが、小泉首相の退陣で頓挫した。さらに、量的緩和政策(金融政策)であるアベノミクスも、現在まで大きな成果を上げていない。日本は、マクロ経済学で景気拡大策として確立されている3つを全て試したが、効果が出ていない。その原因は、いくら景気刺激を受けても生活不安から消費が低迷したままであること、すなわち消費の乗数効果の低迷にあり、ここに手をつけなければ何事も始まらない。(伽耶珪一、「縮小ニッポンの再興戦略」)

日本の進むべき道:内需中小企業の労働生産性向上

では、どこに救いの道があるのだろうか?そのために、一人ひとりに何ができるのだろうか?たとえば、ドイツと競争し製造業の国内回帰を実現した上で、再び輸出立国を目指すべきなのだろうか?

それを考えるために、(コロナの影響を除いた)日本経済の実態を調べてみよう。

以下の記述を見ると、日本はすでに貿易立国ではなく内需の国であること、実質GDPは何とか増加傾向なのに物価が上がらず名目GDPで他国に見劣りするため過度の円安になったりすること、さらに労働生産性が非常に見劣りするので賃金が上がらないこと、などのことが分かる。

そして、その根本原因は企業(特に中小企業)が(売価を上げることを躊躇うなどで)付加価値を上げられないことにあることが分かる。

もし我々が工夫して企業の付加価値を上げることができれば、国民の賃金水準を上げることができる。その結果、消費マインドが上向く。そのことにより消費の乗数効果が高まり、経済政策もより有効に働く、という好循環が生まれ、老後を安心して暮らせるはずなのである。

  • 2019年の世界経済は、GDP成長率見通しの下方修正が繰り返され、成長が鈍化している。我が国経済は、こうした世界経済の減速を背景に外需(純輸出)が弱い中、内需(個人消費、設備投 資、公需など)がけん引する形で、2018年第4四半期以降4期連続のプラス成長を実現した。(「日本経済2019-2020 ―人口減少時代の持続的な成長に向けて」 令和2年2月 内閣府 政策統括官(経済財政分析担当))

  • 各国の輸出額のGDPに対する割合は、ドイツや韓国は、それぞれ47%、44%と主要国では高い水準である。一方で日本はわずか18%。この数値は、OECD36カ国中35番目で、内需大国の米国の次に低い水準になる。実は、日本は経済規模の割には、輸出の極めて少ない国である。現在の日本も含めて多くの国では、輸出額と輸入額はほぼ均衡していて、差し引きの純輸出額はほぼ相殺されてゼロ付近で推移しているケースが多い。米国だけが、大きく輸入が超過している国である。このように、各国の状況を比較してみると、実は日本は、ドイツや韓国のような貿易型の経済ではなく、米国に比較的近い内需型の経済であることが見えてくる。(小川真由、「日本は本当に「貿易立国」なのか、ファクトに見える真実」「ファクト」から考える中小製造業の生きる道」MONOist 2021年08月02日)

  • 1991年を基準にして名目GDPと実質GDPをグラフ表示すると、米国、ドイツ、フランスはインフレなので、名目GDPよりも実質GDPが下回っている。一方、日本は、名目GDPよりも実質GDPが上になっている。さらに、日本は名目GDPが横ばいなので、実質GDPは右肩上がりに増加しているように見える。日本の場合は、現在よりも基準年(1991年)の方が物価が高かったので、現在は名目値よりも実質値の方が高くなっているというわけである。1991年の物価であれば、現在は600兆円を超えるGDPに相当する経済活動をしているということになるが、実際に観測される名目上のGDPは550兆円ほどである。(小川真由、「本当に日本は「デフレ」なのか、「物価」から見る日本の「実質的経済」の実力」MONOist 2021年7月11日)

  • 経済統計でよく使われる指標が「労働生産性」である。労働生産性は「労働者1人が1時間当たりに稼ぐ付加価値」という意味だ。式に表すと以下のような形となる。労働生産性 = 労働者1人当たり付加価値 ÷ 労働時間。この中で、付加価値は「産出額から中間投入を控除したもの」となる。計算式としては、次のような形で表せる。付加価値 = 人件費 + 支払利息等 + 動産・不動産賃借料 + 租税公課 + 営業純益。

  • 日本の労働生産性はドル換算値で見ても、円高だった1995年をピークに停滞気味である。他の国はリーマンショック後にやや停滞傾向が見られるが、全体的な傾向としては右肩上がり。日本の労働生産性は、経済が絶頂期だった1990年代後半に高い水準を示すが、平均所得や1人当たりGDPがOECDで3~4番目の高水準だったことを考えるとそれに比べて見劣りする。直近では、OECDの平均値にも抜かれ、先進国では下位に位置している。残念ながら「日本の生産性は低い」という指摘は本当のようである。(小川真由、「平均値から1割以上も低い日本の「労働生産性」、昔から低いその理由とは」MONOist 2021年6月14日)

  • 日本の労働生産性は、中小零細企業と中堅企業はそれぞれ3000円/時間と、4000~4500円/時間程度で停滞している。これに対し大企業の労働生産性は右肩上がりが続き、直近では8500円/時間程度にまで達している。中小零細企業と大企業の労働生産性は実に3倍近くにまで差があることになる。間接部門の非効率はありながら、製造現場は極めて高い「生産効率」を誇るのに、なぜ日本の企業は「労働生産性」が低いのだろうか。私は、ビジネスの「値付け」が低いことが根本的な原因だと考えている。小川真由、「平均値から1割以上も低い日本の「労働生産性」、昔から低いその理由とは」MONOist 2021年6月14日)

  • 日本のビジネスでは「生産性を高める」場合には多くの経営者やコンサルタントなどは「無駄を省く」「コストをカットする」「工程時間を短縮する」という思考に走りがちである。つまり、「労働生産性」の式で言えば「分母=労働時間」を小さくしようとする。しかし、これは製造部門では既に十分以上に取り組み済みである。一方、「分子=付加価値」を大きくすることに着目する人はそれほど多くはいない。本来、商売の基本は、高く買ってもらうことのはずである。当然、付加価値は、売値を上げることでも上がる。「売値はお客様や市場が決めるものだ」や「プロダクトアウトではなくマーケットインの思考をすべきだ」という価値観が極端に広まりすぎていて、自ら正当な対価とは何かを考えることを放棄してしまっている経営者も多いようだ。(小川真由、「平均値から1割以上も低い日本の「労働生産性」、昔から低いその理由とは」MONOist 2021年6月14日)

  • 賃金の基本水準は、企業の「稼ぐ力」によって決まる。これは経済学で「付加価値」と呼ばれているものだ。就業者一人当たりの付加価値は、「(労働)生産性」と呼ばれる。だから、「賃金は生産性によって決まる」といってよい。(野口悠紀雄、「どうすれば日本の賃金は上がるのか」)

引退しないとして、定年後にどの馬に乗るべきか

これから日本が注力すべきテーマ(勝ち馬)は、ローカルな中小企業の生産性向上

さて、上記のマクロ環境認識のもとで定年退職予定者に何ができるだろう?そして、可能なら選ぶべき勝ち馬は何だろうか?

まず分かるのは、日本国民が総体として真っ先に付加価値向上に取り組むべき対象は、すでに労働生産性の高いグローバル企業ではなく、労働生産性が低い内需経済下の中小企業だということだろう。

このことは、冨山和彦「なぜローカル企業から日本は甦るのか」に詳しく書いてあるので、それ以上詳細についてはここでは触れない。

内需拡大は政府の関心も高いテーマなので、種々の財政支援が得られる可能性も高い。地方の金融機関も、自分達の生存を賭けて仕事を作ろうとしている。当然、この分野は活躍の機会が増えていく勝ち馬になるはずである。

さらに、「なぜローカル企業から日本は甦るのか」にも詳しく書いてあることだが、ローカル経済は高齢化で先行しており既に強烈な人手不足に見舞われている。

働き手を必要としているという点でも、生産性向上のアイデアを求めているという点でも、少しでも経験を持った定年退職予定者が活躍する機会が非常に多いことは確実なのである。

定年退職予定者が貢献できるノウハウ:仕組みで企業を運営することによる労働生産性の向上

だとすると次に検討すべきことは、定年退職予定者がローカル中小企業の労働生産性向上の何かに貢献できるのか、という問いに答えることである。

答えは、「一杯ある」である。そのヒントが、冨山和彦「IGIP流 ローカル企業復活のリアルノウハウ」の「ダメな理由はすべて成功する理由」という項に書かれている次の内容にある。

「ここまでの議論ですでに明らかなように、現状のローカル経済、ローカル企業がダメだとされる理由のほとんどは、そのまま成功する理由に置き換わるものだ。もちろん、しっかりとした経営人材がいて、しかるべき意志を持って、経営改革、改善に粘り強く取り組むことが前提だが、その気になれば、ほとんどの業種で、業績を大幅に向上させられる高いポテンシャルを持っているローカルな中堅・中小企業は相当数存在する。」

「ここまで議論」の詳細は同書を読んでほしいが、この文言が正しいと実感する筆者自身の経験を以下に記しておく。

  • 売り上げ25億円社員150人の受注生産型製造業企業に対し、経営ではまず付加価値増大を考えるべきこと、を説いた

  • 新社長と2人きりの飲み会の席で、その付加価値増大のためには製品の加工時間削減ではなく仕掛品の待ち時間を短縮して棚卸資産回転期間を短縮し、浮いた労働時間で他の仕事をして稼ぐべきだと教えた。

  • すると、社長が「この前教えていただいた”ムダ取り法”の発想を変えるべきだということを社員と議論していて、どうも加工時間ではなく待ち時間に見逃し点がありそうだと最近気がついた」と言い出した

  • 開発担当の役員に棚卸資産回転期間短縮法にはValue Stream Mapという手法が使えることを教えたら、わずか半年で、主力製品の棚卸資産回転期間を200日強から100日弱に削減した

  • もう一つの主力製品にも(別の方法で)棚卸資産回転期間短縮をやり、浮いた労働時間を使って外注作業を内製に切り替えるだけで、億円単位のキャッシュフローを捻出できる見込みがついた

要するに、中小企業にも経営意識が高い社員は数多くいて、その人たちが知らない知識を注入するだけで大きな業績向上を見込めることが多いのだ。

これとは別で大企業相手のコンサルティング話ではあるが、20年ほど前の購買改革プロジェクトで、部品購入額480億円で12%(約60億円)のコスト削減を実現して、クライアント・チームに社長賞を受賞させたことがある。その時にやったことは、別に突飛でもなんでもなく、常識的な方法を地道に実行することだけであった。

その時に、担当役員が言った台詞が、「当たり前のことを当たり前のようにきちんとやれば良いことが、つくづくわかりました」であった。

このように、(中小)企業には業績向上の機会が多数存在し、取り組む人材も揃っていて、当たり前のことをきちんとやれば業績が向上するケースが多々あるだ。

彼らに欠けているのは、「企業をきちんとした仕組み・プロセスで運営すると労働生産性が向上する」(ひいては賃金が上げられ消費が活発化する)というメリットに関する知識なのである。

そこに、整った仕組みのもとで仕事をすることのメリットを大企業で学んできた定年退職予定者が貢献できる道があるのだ。

このような場での活動が日本経済再生にもつながるとなれば、こんなやりがいのある場所はないのではなかろうか?

具体的な取り組み方法については今後語っていくことにするが、次はそのためには準備が必要なことを説明しよう。



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