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仏教あれこれ

今回は仏教についてゆるく書いていきたい。

なぜ仏教に興味を持ったかについて話そう。


齢18歳ぐらい。
浪人生。浪人ってなにかかっこいい字面であるが、なにもそんなことはない。ただの予備校生だ。

といっても予備校には徐々にいかなくなっていき、夏の終わりごろはクラスも変更し、もうなにがなんだかわからない状態だった。
まぁ今でも前後左右不覚であり、その当時より悪い状態かもしれないが。


勉強には身が入らず、よく予備校へ行く振りをして昼食代の500円を握りしめてファミレスのモーニングをよく食べていた。

そのモーニングはなんとライス大盛無料であり、育ち盛りでありながらあまり動いていない18歳にはありがたかった。


このような生活を送っていたら、一丁前に不安にもなる。
将来の不安である。

出身高校が一応進学校であり、周りはそれなりに名前の通っている大学に通ってた。

となれば自分も有名な大学へとの考えになっても不思議ではない。

ここで驚くべきは、自身の考えが如何に集団の考えの影響を受けているかということである。集団に入ると集団の濃度が自然となり、他の濃度を思考できない。
一度その水槽の中から出てみなくては相対化できないのである。

ある意味浪人時代は水槽から出た時間であった。


その水槽からでると、自分で考えなくてはいけなくなる。
特にしたいことなど考えてこなかったので、慣れていない。今もであるが。
となると、ただ不安に苛まれる。

その中で死に惹かれるのは当然の成り行きだった。


死は非常に甘い。誘惑的である。
不条理であるからこそ、すべてをひっくり返すことができるジョーカーである。
上手に使えば計り知れない効力を発揮する。


そんな精神状態でよく安楽死について調べていた。
なぜか安楽死に非常に惹かれた。安楽死に惹かれる自分に酔っていたのかもしれないが、人間なんてそんなものである。


あてもなく有り余っているわけでもない力を持て余しているときに、ふと仏教に関する動画を見た。笑い飯哲夫と宮崎哲弥が仏教について話しており、宮崎哲弥が『スッタニパータ』を紹介していた。

『スッタニパータ』という名前が印象的だったのか、後日本屋で中村元訳の『スッタニパータ』を購入して読み始めた。(書名は『ブッダのことば』となっている。)


『スッタニパータ』は最古の仏典の一つとされているだけあり、現在目にしてる「仏教」とはかけ離れたものだと感じた。

特にシンプルさは特徴として挙げられる。パーリ語が読めないため、中村元訳がシンプルであるか、それとも原文自体がそうであるかは判断がつかないが、当時はそのシンプルさに衝撃を受けた。

(このシンプルさについては「解説」でも言及されている。『スッタニパータ』は韻文の集成であり、当時は耳で聞いて理解されていたので内容としてシンプルであるという。これを難解に解釈するということは、あまりに「仏教」的すぎるという。)


『スッタニパータ』のシンプルさに興味を持ち、内容的にも興味深い点があった。「第一 蛇の章 一一、勝利」では身体の不浄、不常さから平等を示すものであり、身体性から社会規範を融解させる発想には心動かされた。

(しかしこのような身体の不浄性などから『スッタニパータ』を苦行者文学とし非仏教的であると主張するものもいる。松本史朗『縁起と空』を参照されたし。)


以上のような点で『スッタニパータ』に興味を覚え、仏教について少しづつ調べるようになった。

その中で印象的だったのは、「四門出遊」という話である。
概略は以下の通り。


釈尊は思い煩う性格だったため、父親の浄飯王から心配されていた。
というのも釈尊の悩みが極致に達して出家してしまうと後継者がいなくなってしまうからである。
父は釈尊をいたずらに刺激しないためにも、釈尊の周り、王宮のなかには美女などを侍らせ、釈尊が悩みに耽ることを阻止しようとした。

それでも釈尊がよく物思いにふけり瞑想していたため、父は釈尊が城から出てリフレッシュするように諭す。(ここでの城は日本の城のようなものではなく一種の町を指している。)

そして釈尊が城から出た際、東・南・西の門ではそれぞれ老人・病人・死人と出会い、いつか自身もそうなるのかと観じより苦悩を深めた。
そして北の門から出る際に、出家修行者であった沙門に出会い、これだと思い出家を決意する。

(なお「沙門」とはバラモン教の権威を認めない非正統派の出家修行者であり、釈尊が沙門を見たことが出家の動機とされていることは、バラモン教の修行者を見て出家をしていないという観点から非常に示唆に富む。)


上記が釈尊の出家の動機としてよく引かれる仏伝の「四門出遊」という話である。出家をした釈尊はその後、当時著名であった二人の師につき修行をするも飽き足らず、苦行に入るがそれでも効果はでず、苦行を捨て菩提樹のもとで禅定に入り、悟りを得るという流れになる。

この「四門出遊」では、釈尊が老・病・死という苦しみにであい、その克服のため出家を志したと理解ができる。

そして釈尊は菩提樹のもとで悟りを得たということは、これらの苦しみを何らかの形で克服したと考えても間違えではないだろ。

その答えが仏教にあるのではと当時の私は感じ、より興味をひかれたことを覚えている。

(なおこのロジックは『無量寿経』の法蔵による第十八願に似ている。第十八願では簡略すると衆生が阿弥陀仏の名前を唱えて往生しないなら法蔵菩薩は仏にならないというものであるが、法蔵菩薩は後に阿弥陀仏になっているためこの願は成就されていると理解ができる。)


よって仏教には老・病・死を克服する何らかの思想があると感じ、大学で仏教を学ぶことにしたのである。


以上が簡単な仏教をなぜ学ぶに至ったかの説明であったが、所々脱線してしまい、冗長になった感は否めない。

今後も仏教に関連する事柄を発信できたらと思う。

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