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『逃げる』って悪いこと?

今朝、TVをつけたら27時間TVで
「逃走中」が流れていた。
それぞれ逃走する人達の人間性が問われるな?と思いながら
見ている番組・・・。最後までは見なかったけど、結果誰か
逃げ切れることができたのだろうか?

「言葉」って人によって捉え方が全然違いますよね。

「逃走」

って言葉をひとつとってもみても、何から逃げているのか?
でも違うような気がする。

私の場合はいつも何から逃げていたのかな?ふと考えてみた。

物心がついたころから、母のことが怖くて祖母の背中に隠れて
親の顔色を見ながらビクビクしながら過ごしていた10代。

地元の小学校は、1学年1クラス。私の学年は17人。
全校生徒100人超の木造建ての古い歴史のある小学校でした。
小学校に入学後、3年生くらいまでは、今で言う

「不登校児」

でしたね。

朝、起きたら頭が痛い。お腹が痛い。気分が悪くて起きれない。
発熱している・・・などなど。体調不良の毎日。
その度に、祖母は優しく介抱してくれ、母はいつも怒鳴って
無理矢理に学校に連れて行くけれど、学校に行って数時間もしない間に
気分が悪くなり・・・。即、学校からのお帰りコールがかかってくる。
時には、担任の先生に背負われながら、その背中の暖かさを感じながら
同級生と一緒に帰路につく。そんなこともありました。

1年生の時の思い出で色濃く残っている出来事が「図工」の時間。

周りに、まだ友達と言える仲良しの子がいない頃に
「みんなで、お母さんの顔を書いて見ましょう」
担任の先生から声がかかり、私もみんなに交じって、
張り切って母の絵を描いていました。

そして出来上がった母の絵は、

真っ青な顔の母


青のクレヨンで顔を真っ青に塗りつぶしてました。

それをみた、隣の男子が「変なの~顔が青くなってる」
大声で揶揄されて
その大声にもビックリしたし、自分の絵を否定されたことにも
とてもショックを受けた事を覚えています。
当然のごとく、その後は大泣きして、授業どころではなかった気がします。
今、思い出すと苦笑いがでてしまうエピソードですが、幼い私にはとても
ショックな出来事だったように思います。

当時の私にとっての学校は怖い場所でしかなかったかもしれません。
大好きな祖母がいないことで、自分を守ってくれない。
加えて、自分の「守り方」も知らなかったから、武器も持たずに
戦地に向かうような面持ちでしたね。

頑張って学校に行き、帰宅する頃には、すり減ったメンタルは
ボロボロの状態です。。。

学校から帰宅すると、一番に祖母を探す。
「ばーちゃん!!帰ったよ。どこ?どこにいるの?」
少しの時間でも祖母の顔が見えないと、また大声を上げて
「ばーちゃん、ばーちゃん」と祖母を探し始める。
私にとって、祖母が安全基地だったから、側にいてくれるだけで安心。
怖い母から逃れられる場所であり、唯一自分を保護してくれる場所。

私にとっては、母はで、祖母は解毒剤だったかもしれませんね。

話は最初に戻りますが・・・。

「逃げる」って言葉は悪いようにばかり使われがちな気がするけれど
ほんとうに逃げることは悪いことなのでしょうか?

私は小さいころ、母から言葉の暴力を浴びせられた時、
逃げられなくて
心にトラウマを抱えてしまいました。

もし、あの時いつものように祖母がいたら、父がいたら、私がその場から
逃げることができたなら、心のトラウマを抱える事がなかった?
その後の人生においても、引きずることはなかったのでは?
たらればですが。。。思うこともあります。


今は「逃げる」ことで、自分を守っているなって思えるようになりました。
自分のことを守る為に

「逃げる」


逃げたことで、発見することや新たな気づきもありました。

「逃げる」ことを推奨しているわけではありませんが

「逃げる」って言葉も見えかたがたくさんあって、捉え方もいろいろ
あるって私は思います。

私のお勧めの絵本
ヨシタケシンスケさん 『にげて さがして』


あなたも、にげた先にあるものを さがしてみませんか?

ここまで読んで頂き、ありがとうございました (*^_^*)

引き続き、ゆるゆると、noteを綴っていきたいと思います。

#逃走中 #毒親育ち #不登校 #毒親連鎖を断ち切る
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#自分を守る #安全基地 #怖い場所



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