1億総メディア時代と組織社会の終わり

こんばんは。
昨日の記事では「メディアとしてのラジオの価値」について考えました。

その中で、一個人ですらストリーミングが可能になった事によってメディア=パブリックなものという常識が覆さた話に触れました。
インフルエンサーと呼ばれる「拡散力を持つ個人」が生まれた事によって、メディアの概念が根底から変わろうとしています。

今日は1億総メディア時代の意味とは、
近い将来どんな変化が訪れる(かもしれない)のか、考えたいと思います。

民は何を手に入れたのか

総メディア時代になり、自分の考えや活動が簡単に全世界に発信することができるようになりました。しかも大体タダで。

これによって民が手に入れたものは
「歴史上、最も公平なチャンス」だと私は考えています。

現代において拡散力はです。武力や領土の広さと同じくらい強い力です。
力は地位も、名誉も、お金も手に入ります。

長い人類史の大半において、人間の力を決めるのは「生まれ」です。

そして現代、生まれの差は未だ確かに認められますが、
その差は圧倒的な参入コストの安さによって歴史上最も縮めやすいのです。

組織型社会の終わり

1億総メディア時代で、メディアという組織単位でないと成立しないと思われていたものがそうでは無いという事に世界は気付きました。

つまり、今まで組織として人が集まり、資本力や労働力を結集することで初めて形を成し、動かせていたものが、今後は必要な資本、労働力が減っていき、究極は組織という人を物理的にも社会的にも契約的にも一箇所に固める必要が無くなると思っています。

簡単に言えば、フリーランス型の社会人が増えるということです。

自分が持つ資本(スキル、人脈、労働力)を必要な時のみ、必要な場所に注げるようになる事で、特許や権利、物理的資産など法人が所持すべき事柄はあるため、組織というものが完全に消える事は無いですが、より人的資本は流動的になり、人々がフレキシブルに動くことができる時代が来ると予想しています。

そうなったら、一つの企業、一つの戦略、一つのプロジェクトに縛られる事なく、自らのスキルを必要とされる場所でもっと活かす事ができるようになると思います。

現代でもプロ経営者やコンサルティングを生業とする人達が、業務委託や社外取締役などで複数社を掛け持ちする事は珍しくなってきていますが、この流れはもっと下のメンバーまで広がっていくべきです。

「そうなったら人間は一つの事に集中できないし、組織としての労働効率も落ちて目的達成できなくなるんじゃないか」という意見があると思います。
正しい意見ですが、これは「組織」を主語に置いた言葉だと私は思います。

1億総メディア時代の変化は「全世界同時に社会的影響力を持つ事ができる最小単位が組織から個人になった」ことです。

これからの主語は「個人」です。
そうなれば既存の企業組織は、個人単位の活動を活発化するプラットフォームとしての機能に特化すべく変化を迫れらると思います。

誰もが組織としての目的(プロジェクト)に合致すれば簡単にジョインでき、必要なスキルと労働力を提供し、達成すれば報酬と経験を得て、また次の組織へ移り、それを活かしていく善のループが生まれるのです。
少し一期一会的なドライな社会に見えるかもしれませんが、一つの会社に長く勤め、同じような仕事を繰り返し、多くて数百人程度の集団に属し続けるのと、次から次に新しい人と仕事に出会える環境、どちらが一度きりの人生で魅力的に思えますか?

まとめ

1億総メディア時代で人々は平等なチャンスを手に入れた。
これは個人単位で社会的力を持つことができるという事である。
だから次は組織という社会単位が分解され、個人単位で動くことになる。
そうなったら皆、いつでもチャレンジし、変化し、やりたい事ができるようになるかもしれない。

いかがだったでしょうか。
私はもっと人間は流動的にたくさんの事に触れるべきだと考えています。
その方が短い人生に多くの出会い、刺激、経験を得られるからです。

常識を疑う癖は現代人には必須のマインドです。
今、すっと流したその考えは本当に千年経っても不変なものですか?

これからも主観的で暴論になりながらも、
少しでも何か新しいもの垣間見える話ができたらいいなとおもいます。

それでは。


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