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親の「勉強する姿」を子供は見ている

ここ最近、ふと自分の日本語の使い方が正しいのか不安になる出来事があり、それをきっかけに、中学、高校レベルの文法や読解、漢字の問題集を総ざらい復習することにした。

とはいえ、割と有名な私立大学の、しかも文学部を卒業している私である。さらに、今は編集者として仕事をしている。編集者が日本語に不安をもつなんて、その時点でどうなんだというツッコミはさておき、とりかかる前は完全に舐め切っていたのが、正直なところだ。

たしかに「読解」については難なくほぼ全問正解(2箇所ほどスペルミスをしてしまったので「ほぼ」)だった。けれど、あなどれないのが、文法と漢字。活用形がどうのとか、助詞の種類とか、漢字の部首を答えよとか、正しい書き順とか、「え、ちょっと待てよ」「習った記憶だけはあるんだけど…」というものが続出した。

なかなかにプライドは折れていく作業ではあるものの、これが案外楽しかった。大人になるって、知識や経験の幅が広がるのと同時に、子供の頃に勉強してきたたくさんのことを忘れていくことでもあるのだなと思うと興味深い。

数ページ置きに区切って、「うわぁ、あったあった」とか、シンプルに「へえ」とか、「まじか、これは悔しい」などとボソボソつぶやきながら、自宅のダイニングテーブルで添削する私を、夫と息子はリビングでくつろぎながらチラチラ眺めていた。時々息子が「ママお勉強終わった?」と寄ってくるのが若干鬱陶しいけど、作業をしていて息子に邪魔されることには慣れっこだし、鬱陶しさを上回る可愛さを、彼は持ち合わせているから、ノープロブレム。

一時期から「学び直し」や「リスキリング」という言葉が流行っているが、実際にやってみて、子育てしている人こそ、忙しい時間の合間を縫ってでもやる価値があると感じた。

まず、わかりやすいメリットとしては、教科やジャンル問わず、いつか子供が学校に通い、宿題や受験勉強をするようになったときに、訊かれたらパッと答えられる範囲が増える。思春期の子供に舐められないための、涙ぐましい努力である。

また、日頃から机につく姿を見せておくことで、勉強すること自体が、家庭においてイレギュラーな風景でなくなり、自然と子供の勉強習慣も身につきそうだ。お風呂に入る前の10分、15分でも割と進められるのだ(むしろそんな隙間時間こそ、集中できて捗る)という、そんな肌感覚は、日常的に取り組んでいないとわからないもの。

ここまでは、将来的に起こりそうな(起こると信じたい)メリットを書いたが、それだけじゃない。

勉強を始めたころ、問題集と向き合う私に、息子が「ママ、何してるの?」と聞いてきた。「勉強してるんだよ」と答えたら、「大人も勉強するの?」と驚いていた。4才の息子にとって、親は何でも知っている神格化された存在だ。これは冗談ではなく、本当に、何を聞いても親は答えられると思われている。実際には、親じゃなく親のスマホが答えていることも、それはそれは多いのだけど。ただ、「スマホで調べること」も含めて、大人のスキルだと判断しているのかもしれない。

今回のことで、親だって完璧じゃないよということを、細々とだが伝えられた気がする。親が完璧じゃないと分かれば、子供は要所要所で、自分で判断できるようになる。もちろん小さいうちは親の判断や教えを大いに参考にしてほしいが、「言いなりになる」のと「納得して行動する」のとでは、そのニュアンスが大きく異なる。それに、万が一、私が間違っていたときには、ぜひ息子に指摘されたいとも思うのだ。

大人にも、知らないことがたくさんある。
けれど、知らないことは恥じゃない。
知らないことは学べばいい。

そんなことを、勉強を通して伝えていけたらいいなと思う今日この頃だ。

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