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時間が過ぎ去ることを待ち望んだ日々


2023年6月21日(水)朝の6:00になりました。

コンビニエンスストアで、350mlの缶ビールを買って。

どうも、高倉大希です。




時間が過ぎ去ることを、待ち望んだ日々がありました。

その期間、約3年。


3年間を、耐え忍んだ。

この経験は、いまでも糧になっています。


あと2年11ヶ月で終わる、あと2年10ヶ月で終わる。

毎日終わる日がくることを、じっと待ち望んでいました。


その一ミリが……私はっ
キミが言う目の前で大切な人が死ぬって事と同じくらい嫌なんだよ…

藤本タツキ(2017)『ファイアパンチ』集英社


いまでも「はやく終わればよいのにな」と思う場面が、ときどきあります。

そんなときは「3年待てたのだから大丈夫」と思うようにしています。


そんなときに限って、時計の針はなかなか前に進みません。

ちゃんと間を空けてから確認したはずなのに、長針が5分も進んでいないのです。


3年間も、まったくおなじでした。

なかなか終わらない1日を、まだかまだかと待ちつづけました。


旅になにかを期待してもしょうがない。遊びに行くってことでいいんじゃないか。そう言われると、なにか意義あるもののように旅を語る人々が、無理をしているように思えてくる。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


ただ終わりを待つ1日を過ごす。

これほど、しんどいことはありません。


ほんとうはその1日で、新しい発見ができたはずなのに。

ほんとうはその1日で、有意義な学びを得るはずができたのに。


終わることだけを、待ち望む。

これほど、しんどいことはありません。


コミュニケイションの得意な人は、常に「元気で明るい人」ではありません。常に「元気で明るい」状態は人間として不自然です。常に「元気で明るい」という呪縛が「コミュニケイションが苦手だ」という意識を持つ人を大量に作っていると、僕は思っています。

鴻上尚史(2013)「コミュニケイションのレッスン」大和書房


3年という期限つきであったことが、唯一の救いだったのかもしれません。

先は長けれど、終わりは明確に決まっていました。


だからこそ、待つことができたのだと思います。

どれだけしんどかろううとも、終わりは自動でやってくるのです。


私はよく先生方には「声の小さい子がいたら、無理に大きな声を出させる必要はないですよ」と言います。声の小さい子は「声の小さい子」という役をやらせれば一番うまいからです。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


「はやく終わればよいのにな」と思う場面に遭遇したら、この note にお越しください。

そのために、171本の記事を更新しました。

明日の朝6:00には、172本目が更新されます。






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