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違う、そうじゃない
2023年3月23日(木)朝の6:00になりました。
ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。
どうも、高倉大希です。
「どうして、そう思ったの?」
子どもたちに問いかけます。
問いに答えることを通して、考えを深めてほしいと思っているからです。
「どうして、そう思ったのだろう?」
子どもたちは考えます。
べつに考えたくはないけれど、大人に問われてしまったから仕方がありません。
大人の問いをきっかけに、子どもたちが考える。
教育現場では、このような場面をよく見かけます。
しかし、どこまでいっても「問われたから考える」という順番は変わりません。
問いから「考えたい」をつくるのは、なかなかに難しいものなのです。
私が学長を務める大学でも入試ディスカッションを取り入れていますが、試験管を担当した教員は、受験生に「相手の意見を否定するのが苦手」な傾向があると口を揃えます。
子どもたちがもっとも考えたくなる場面は、自分の意見に対して「違う、そうじゃない」と言われたときです。
たとえば、正解しているはずの問題に、バツがつけられていたとします。
子どもたちは、自ずと「なんでバツなんだろう?」と考えます。
そして、正解だと確信すれば「これってマルですよね!?」と発言します。
考えたいから考えて、発言したいから発言します。
この過程には「だれかに何かを言われたから」が一切ありません。
基本的に人は、自分の意見を否定されると、考えたくなるのです。
ユニクロに行くと、グラデーションで少しずつ色の異なった靴下を売っているでしょう。あんなに色があったら、黒なら黒、紺なら紺というピンポイントの色だけではなく、中間色のものも買ってしまう。だからマーケットが成立するんです。リベラルアーツも同じでグラデーションが重要なんです。ピンポイントばかりを追求していたら、豊かにはなりません。
対にある意見をぶつけられたとき、その間にグラデーションが発生します。
だからこそ、どこが濃いのかを考えざるをえなくなります。
はじめから自分が居た場所が濃いとわかると、「いやいや、やっぱりここが濃いでしょ!」と言いたくなってしまうのです。
これが「違う、そうじゃない」の力です。
「どうして、そう思ったの?」ではつくり切れない振れ幅です。
否定することは、なにも悪いことではありません。
違う違う、そうじゃ、そうじゃない。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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