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お風呂で本を読むだなんて


2023年4月19日(水)朝の6:00になりました。

本は武器である。どうも、高倉大希です。




お風呂で動画を観る人の気持ちは、理解することができます。

なぜなら、最近のデバイスは防水仕様だからです。


お風呂で読書をする人の気持ちは、いまだに理解することができません。

なぜなら、本は濡れるとしわしわになるからです。


電子書籍を読めばいいじゃんと思った人の気持ちは、理解することができません。

なぜなら、そういうことを言っているわけではないからです。


気になった人物の自宅に伺う機会があったときは、何よりもまず書斎を見せてもらってきた。書棚は人生の鏡なのである。その思想、その感受性、その好き嫌いが呼収する。

松岡正剛(2010)「松岡正剛の書棚」中央公論新社


先日、フェリーで片道3時間という移動がありました。

やはり、移動時間がもっとも読書に向いています。


地方で暮らしていると、どうしても車での移動が多くなります。

おなじ移動とはいえど、やはり車は、読書をするには向いていません。


フェリーも十分よかったのですが、ベストは間違いなく電車です。

言うまでもなく、空いている電車です。


いまでも新たなキーブック捜しが続いている。それは一生、終わらないでしょうね。宿業でしょうかね。

松岡正剛(2009)「多読術」筑摩書房


かつて、本を読むために電車に乗っていた時期がありました。

大阪の環状線は、おなじところをぐるぐると回ってくれます。


気が済むまで本を読み、しおりを挟んだその駅がその日の目的地になります。

降りて歩いて飯を食い、書店で本を購入します。

そしてふたたび駅へ行き、やってきた電車に乗るわけです。


行きつけの書店によって人生が変わることがある。その書店に並べてある本がすべての世界の窓口であるからだ。今でこそ行きつけの書店はなくなったものの、ぼくの場合は小学校、中学校、高等学校時代のそれぞれを一軒ずつの「本屋さん」が支配していた。それは豊饒で甘美な支配者であった。

松岡正剛(1980)「概念工事」工作舎


ここ数年は、気になった言葉をすべてメモに残すようにしています。

まさかこの note で役に立つことになるとは、思ってもいませんでした。

過去に残したメモたちが、もういちどその本を開くきっかけを与えてくれます。


読書は、通過するものです。

いつまでもそこにとどまることはできません。

しかし、読み終わっても思い出さないかぎりは、ほとんど読んだことにはなりません。






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