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本の並びを見るために書店へ行く


2023年3月19日(日)朝の6:00になりました。

オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

どうも、高倉大希です。




カメラを買ってから、行き先に目的を求める必要がなくなりました。

何かを求めてそこに行くのではなく、行った先で何かをみつければよいからです。


なにもみつからなければ、それはそれで構いません。

はじめから何も求めていないので、無駄足になることもありません。


ぼくは風とか空気とか気配を大事にしています。つまり、目に見えないけれど、本当はあるもの、です。新聞やテレビが伝えることは目に見えるものですが、そういうことはたいていどうでもよくて。活字や画面の向こうにある、目に見えないものにたどり着きたいと思ってきました。

延江浩(2021)「松本隆 言葉の教室」マガジンハウス


特定の本を求めて書店に行くことも、もちろんあります。

しかし、ほとんどの場合は、大した目的もなく書店に足を運びます。


ぐるっと1周、平積みされている本の表紙を眺めてまわります。

何かを求めてそこに行くのではなく、行った先で何かをみつければよいわけです。


岩波がしっかりと並んでいるタイプの書店だな、とか。

アートブックばかりを並べた気取った書店だな、とか。


ここの店主は絶対に町田康さんが好きなんだろうな、とか。

流行に踊らされて軸を見失っているな、とか。


「2.0」はほとんど見なくなったな、とか。

「9割」はしぶとく生き残っているな、とか。


編集は遊びから生まれる。編集は対話から生まれる。編集は不足から生まれる。編集は照合である。編集は連想である。編集は冒険である。

松岡正剛(2000)「知の編集術」講談社


書店は、たくさんの選択の上に成り立ちます。


何を書くかの選択と、タイトルの選択。

装丁の選択と、字体の選択。


仕入れる本の選択と、仕入れる部数の選択。

並べ方の選択と、紹介の仕方の選択。


あらゆる選択を経た結果が、目の前にある書店です。



蔵書のマニアックさで勝負を仕掛けようとしているな、とか。

はじめから歩かせることを目的にしているな、とか。


あえて芥川賞を気にしないようにしているな、とか。

カズオ・イシグロさんの作品はやけに揃っているな、とか。


二字熟語がタイトルになっている小説が増えたな、とか。

山口周さんが推薦しがちだな、とか。


おかしいな、と首を捻りながら、もう一度、石を拾った。川の流れは、まるで何事も無かったかのように今し方の波紋を消し去ってしまっていた。

平野啓一郎(2015)『空白を満たしなさい(下)』講談社


なにもみつからなければ、それはそれで構いません。

はじめから何も求めていないので、無駄足になることもありません。





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