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納得感がほしいんです
2023年7月12日(水)朝の6:00になりました。
ホーシーツクツクの夏なんです。
どうも、高倉大希です。
納得しないと、動けない。
腑に落ちないと、動けない。
わたちたちに、デフォルトで組み込まれている設定です。
動くには、理由がほしいのです。
理由には、納得していたいのです。
ちゃんと腑に落ちた上でなきゃ、動き出したくないのです。
人間というのは、自分がすることに対して理由を欲しがるものです。
最近になって、それは「いまの自分にとって都合のよい理由をみつけること」と同義なのではないかと思うようになりました。
自己分析とか、原因特定とか、結局は自分にとって都合のよい理由をみつけて、納得したいだけなのだろうなという話です。
本当ならば、いまの自分には足りないものをさがしていたはずです。
いまの自分の思考の癖を分析します。
いまの自分では及ばなかった原因を特定します。
いまの自分の外側にあるものをさがしていたはずなのに、いまの自分が納得できるかどうかを、最優先に考えてしまっているのです。
あえて言語化すれば、組織やビジネスにおける「勇気」とは、言ってみれば「未知を扱うマインド」と言えるだろう。言い方を変えると、「勇気がある」とは、「できないかもしれない」「努力が無駄になってしまうかもしれない」というおそれに対して、耐性が高いということだ。
納得できるかどうか。
腑に落ちるかどうか。
これらを差し置いて行動できるかどうかが、変革の境目です。
必ずしもこれらが、いちばん上にある必要はありません。
行動してみてから、納得すればよい。
行動してみてから、腑に落ちればよい。
そんな順番でも、まったく問題ないのです。
いやむしろ、そんな順番でしか、可能性は広がっていかないのかもしれません。
やりたいことを逡巡しないでやってみて「まともに間違う」こと、そして次の何かを待っているよりも早く成功なり失敗なりをして「何度でも試す」という方法なのではないでしょうか。
意味があるだとか、ないだとか。
役に立つだとか、立たないとか。
自分の判断基準なんて、どうせあてになりません。
納得感との訣別を、腑に落ちる前に行動を。
理由から、意図的に離れる時間を。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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