核心をついたものほど当たり前に見える
2024年6月18日(火)朝の6:00になりました。
僕はどちらかというと平凡な人間だったから、当たり前なやり方をしてみることに決めたんだ。
どうも、高倉大希です。
核心をついた取り組みが、注目を集めたとします。
するとそこには必ず、こんな声が寄せられます。
「そんなの〇〇では当たり前」
「ずっと昔から〇〇さんが同じことを言っている」
長らく教育業界に身を置いていますが、このような場面を何度見たことでしょう。
あまりにも目にするので、きっと何かしらの傾向があるあるはずだと思っています。
核心をついた取り組みが、当たり前であることに違いはない。
これが、第一の仮説です。
要するに、当たり前が成立していないからそこに問題があるという考え方です。
当たり前を成立させた取り組みが、それすなわち核心をついた取り組みです。
だから、「そんなの〇〇では当たり前」で当たり前です。
「昔から〇〇さんが言っている」ことを形にしたから、注目を集めているのです。
核心をついた取り組みに注目が集まっている状況が、悔しくて仕方がない。
これが、第二の仮説です。
要するに、粗探しをしないと気が済まない人が一定数いるという考え方です。
当たり前だとツッコまれる取り組みが、それすなわち核心をついた取り組みです。
悔しいからこそ、「そんなの〇〇では当たり前」だと言いたくなってしまいす。
「昔から〇〇さんが言っている」と、知識でマウントをとるしか手がないのです。
いずれの仮説も、あながち間違いではないような気がしています。
そもそもを言えば、当たり前で何が悪いのだという話です。
核心をついたものほど、当たり前に見えます。
当たり前に見えすぎて、誰からも気づかれないまであります。
おそらく、そんな当たり前の更新でこの世界は回っています。
ここまでつらつらと書いてきたことも、至って当たり前なことばかりです。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。