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柿の種

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#学校

この紙に目標を書きなさい

2024年5月28日(火)朝の6:00になりました。 計画のない目標は、ただの願いごとにすぎない。 どうも、高倉大希です。 友だちと仲良くすることを、がんばります。 大きな声であいさつすることを、がんばります。 小学校の教室に入ると、子どもたちの目標がずらりと掲示されています。 今月の目標とか今週の目標とか、学校は目標だらけです。 なぜなら、先生が書きなさいと言うからです。 先生に言われるものだから、子どもたちは渋々書きます。 子どものころから、学校で書かさ

鏡を責めて何になろう

2024年5月23日(木)朝の6:00になりました。 家を出る前に鏡を見て、身につけているアクセサリーを1つ外して。 どうも、高倉大希です。 自分の面が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう。 ロシアの文学者、ニコライ・ゴーゴリの『検察官』という戯曲の一節です。 あまりにも鋭くて、目にしたときからずっと頭に残っています。 きっと、自分の面が曲がっているという自覚があったのだと思います。 たしかに、そんなときほど鏡を責めたくなるものです。 鏡を責めたところで、何

学ぶ贅沢

2023年4月29日(月)朝の6:00になりました。 穏やかな日に学ぶ方がよいこともあれば、嵐の中で学ぶ方がよいこともある。 どうも、高倉大希です。 学生の本分は、学業にあり。 これがいかに贅沢なことかを知ったのは、学生を終えてからのことでした。 随分と、皮肉なものです。 学生のころは学業なんて、嫌で仕方がありませんでした。 もちろん、大人になってからでも学ぶことは可能です。 しかしあれほどまでに幅広く学問に触れられるのは、やはり学生時代くらいです。 大人に

退く勇気をもった老人を目指す

2024年4月27日(土)朝の6:00になりました。 パラダイムシフトとは、世代交代である。 どうも、高倉大希です。 自分がやった方が、間違いなく早い。 チームで動いていると、こう思うことがよくあります。 べつに自慢しているわけでも、自惚れているわけでもありません。 むしろ、そう思わない方がまずいくらいです。 経験を積めば積むほど、できることは増えていきます。 そりゃあ、自分がやった方が早いと思うことも多くなって当然です。 じゃあ、すべてを自分がやればよいの

広告はいつだって嫌われる

2024年4月17日(水)朝の6:00になりました。 自由とは、他者から嫌われることである。 どうも、高倉大希です。 広告は邪魔者だから、誰も見てくれない。 相手への敬意がないと、聞いてすらもらえない。 先日、とあるコピーライターの方からこんな話を聞きました。 嫌われていることを前提に、広告づくりは始まるそうです。 たしかにわたしたちは、広告を嫌います。 広告がないことを強みにしたサービスも、最近は増えたような気がします。 数年前まで、公立小学校の学級担任を

想定外を歓迎する

2024年4月12日(金)朝の6:00になりました。 もう誰の言うことでも予想つくくらい、長いあいだ悩んだんだもんね。 どうも、高倉大希です。 学校の先生は、トラブルを嫌います。 子どもの喧嘩がはじまれば、すぐに仲裁に入ります。 自分のクラスで喧嘩が多いと、指導力が足りていないと思われてしまうからです。 対応に時間を取られて、当初の予定が狂ってしまうこともよくあります。 先生からしてみれば、トラブルなんて起こらないに越したことはありません。 出てこようとしてい

「トラブルはチャンスだ」はただの精神論だと思っていた

2024年3月27日(水)朝の6:00になりました。 幸福は安定せず、暫定的なり。 どうも、高倉大希です。 トラブルは、チャンスだ。 このような言葉を聞くたびに、うんざりとした気持ちになっていました。 ポジティブ教の信者たちが、都合よく解釈しようとしている。 ずっと、こう思っていたのです。 たしかにそのような人も、一定数は存在します。 考えることを放棄して、耳触わりのよい言葉に簡単に食いついてしまいます。 トラブルは、チャンスだ。 この考え方も、あながち間

運に任せる

2024年3月17日(日)朝の6:00になりました。 運ってやつは、たえず変わる。 どうも、高倉大希です。 人との出会い、組織との出会い、本との出会い。 わたしたちの暮らしにとって、運は大切な要素です。 運がなければ出会わなかったであろう人たちが、本当にたくさんいます。 言ってしまえば、運のおかげで今の状況があるわけです。 要因が複雑すぎて、運と呼ぶしかない。 もしかすると、こう考えることもできるのかもしれません。 「あの先生の授業がわかりづらいせいで、自分

意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。

2024年3月13日(水)朝の6:00になりました。 完全を求めるよりも、ワクワクする永遠の青さを。 どうも、高倉大希です。 意味なく群れるよりも、意志のある孤立を。 数年前にテレビで聞いてから、いまでもずっと頭に残っている言葉です。 検索をかけると、ちゃんと当時の映像がみつかりました。 Salesforceという会社の「次の世界へ。 宣言篇」というテレビCMです。 外国語の中に日本語が混ざっているので、印象的だったのかもしれません。 いま見ても、とてもいいC

学校の先生は大人の一例でしかない

2024年2月3日(土)朝の6:00になりました。 その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。 どうも、高倉大希です。 学校の先生は、子どもたちの模範でなければならない。 そんな思い込みが、妙な人間関係を生み出しているような気がします。 学校の先生は、人間です。 所詮は、大人の一例でしかありません。 たまたま出会った先生を、ロールモデルにする必要なんてありません。 そもそも、クラス全員にとっての模範になんてなれるわけがないのです。 学校

理想は「いなくなってもいい」なんだろうな

2024年2月2日(金)朝の6:00になりました。 自分はいま幸福かと自分に問うてみれば、とたんに幸福ではなくなってしまう。 どうも、高倉大希です。 理想は「いなくなってもいい」なんだろうな。 子どもたちと過ごしていると、いつもこう思います。 「この人がいなければできない」では、あまりにも不安定です。 「いなくてもできる」を、目指さなければなりません。 だからこそ、通過点として機能する必要があります。 いつまでも一緒にいるなんて、生物である限り不可能です。

「友だち」に対する期待値が高すぎる

2024年1月28日(日)朝の6:00になりました。 友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。 どうも、高倉大希です。 とあるテレビ番組で、宇宙飛行士の野口聡一さんがこんなことを話していました。 宇宙に行くとなると、もちろんお互いに信頼していなければならない。 だからといってそんな相手と、一生の友だちにならなきゃいけないわけではない。 地球に帰ってくるまでの3年間だけ、うまくやっていけると思えたらそれでいい。 友だちと言わなくても、人間関係として

教えたがり

2024年1月19日(金)朝の6:00になりました。 かつての我々とは、違ったものになるがゆえに自由なのである。 どうも、高倉大希です。 誰かの役に立ちたい。 誰かに必要とされたい。 わたしたちは、このような願望を抱いています。 なぜなら、そこに自分の存在意義を見出すことができるからです。 何かを与えているようで、実は与えてもらっています。 ここにいてもよいのだと、承認してほしいのです。 だから、質問をする後輩は先輩に好かれます。 頼りにされているという実

お調子者を悪者にしない

2023年12月20日(水)朝の6:00になりました。 毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど354日が経過しました。 どうも、高倉大希です。 おにごっこをしていると、わざと鬼につかまろうとするお調子者が出てきます。 椅子取りゲームをしていると、わざと椅子に座らないお調子者が出てきます。 小学校の学級担任を務めていたころ、このような事例が多々ありました。 はじめはみんなも、そんなお調子者を見てげらげらと笑っています。 ところが、時間が経つにつれてだんだんとしらけてき