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【雨と屋久島】 白いベール事件

屋久島は雨が多いことで有名だ。

ある小説家は「月に35日、雨が降る」と書いた。

もちろん、これは例えだ。1ヶ月は35日もない。けどそれ位、雨が多く感じられる場所だった。

僕は10年ほど前に、屋久島に5年間住んでいたんやけど、梅雨時は本当にきつかった。これまでの人生で体験したことがないほどに雨が降った。

屋久島は本当に雨が多い。気象庁の年降水量の平年値の記録(データは気象庁の過去の気象データ検索のページから取得)では、鹿児島県屋久島が4477mmで全国の上位に入っていた。ちなみに日本の年平均降水量は1718mmである。

とにかくよく降る。

ひどい年は、6月の1ヶ月間に青空を見たのはほんの数回だけだった。

「洗濯物が全然乾かない」と妻はぶつぶつとよく文句を言っていた。時々、生乾きの嫌な匂いがすることもあった。

また雨の日は、することの選択肢が限られる。

屋久島での娯楽は少ない。「自然があっていいですね」とよく言われたが、仕事でしょっちゅう山に入るので、休日までわざわざトレッキングしようと思わないし、雨が激しいと川が増水して下山が困難になるリスクが多々ある(屋久島では毎年20〜30人が遭難し、内数名が死亡か行方不明になる)。

仲間うちで多かったのが釣り、ゴルフ(打ちっぱなし)、パチンコだった。しかし雨だとさらに選択肢が狭まる。

僕は釣りもゴルフもパチンコにも興味がなかったので、大抵は家でゴロゴロしながら、本や漫画を読んでいた。この頃は実にたくさんの書物を読んだ。
あとは妻と気分転換に、車で1時間くらいのところにある大きなスーパーへ買い物に行ったり、温泉へ行ったりしていた。ちなみに屋久島には映画館もショッピングモールもスターバックスもマクドナルドもコンビニすらなかった(かろうじてモスバーガーは存在した)。

しかし僕が生まれ育った大阪のような都会では味わうことができない、自然の恩恵と試練はたっぷりとあった。

屋久島の雨は本当に凄まじい。文字通りバケツをひっくり返したような雨がしょっちゅう降る。傘など役に立たないので、防水がしっかりしたレインウェアと靴がマストアイテムだ。僕は長くノースフェイスのゴアテックスを愛用していた。これが実に信頼性のおけるアイテムで、雨が中まで染み込んで、体が冷えることはなかった。


さて、この時期、気をつけなければいかないのが「カビ」である。油断すると、アッいう間にやられてしまう。食パンとかケーキ類は特に餌食になった。真っ白かった食パンが、真っ黒になっている光景は「朝ごはんが・・・」とむせび泣いた。

また下駄箱の奥にしまっていた、お気に入りのレッドウイングのワークブーツ(アメリカで買った)がカビだらけになったことがあり、僕はかなりショックを受け、またまた泣いた。

とにかく、まめに掃除をしていないと、いたる所でカビが繁殖するので要注意なのであった。

梅雨時のある日、妻が大阪に帰省している最中、仕事で宿泊当番の日があった。当時は月に10泊ほど職場に泊まる夜勤業務あり、しばしば家を空けていた。

色々トラブルがあって、疲労困憊の状態で2日ぶりに帰宅すると、何やら部屋の光景に違和感を覚えた。

「なんやろ・・・?」

寝室にしている和室が違和感の正体だった。

6畳の部屋の畳がうっすらと白いベールのようなものに覆われていた。

「え、ほこり・・・?」

いや、よく見ると「白カビ」だった。

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その時の僕の気持ちをどう表現すればいいのだろう。

僕の頭の中も、真っ白いベールに覆われたように思考停止してしまった。

頭の中をふわふわした白いものが無数に浮いていた。

絶望感のあまり、僕はしばらくそこに立ち尽くした。

大沢誉志幸が耳元で「そしてぼくは途方にくれる」と歌ってくれたような気すらした。

もちろん僕はその後、疲れた身体に鞭打って、畳を掃除した。

妻が不在のため、しばらく部屋の掃除を怠ったのがいけなかったのだろう。

それ以降、僕は梅雨時はマメにそうじするようになった。また年季の入った同僚からは「家を開ける時はエアコンの除湿をつけっぱなしにしたほうがいいよ」と助言もいただいた。その通りだった。

皆さまにおかれましても、お気をつけください。


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