見出し画像

サキの日記(LALの旧原稿から)


 私は『妙子、再び』という番宣のあり得ない文字に呆れ、母には『悪いけどもう見ません』というメールを送った。
 でも、リオが遊びに来たから見ちゃった。盛り上がりすぎて笑い転げたリオがソファーから転落。転げ落ちたあともしばらく笑いながらのたうち回っていた。
 でも、なんで火口に落ちた人が復活すんの?
 話のネタが尽きた?
 炎の中から怪獣のように浮かび上がる不気味な目つきの妙子を見ていたら、ばかばかしいを通り越して悲しくなってきた。


『弱い人間というものはひとりで持ちこたえられないものなんだ。弱い人間にすべてのものを与えてみるがいい。すぐに自分のほうからやって来て、なにもかも返してしまうから』

 ドストエフスキーの言葉……という本。
 学校辞めたのに、また行っちゃう私。
 はあ。

 Twitterで引用しやすいからか、自己啓発の本によく引用文があるからなのか、単に短くて読みやすいからか、名言を集めた本やブログはたくさんある。名言だけをつぶやくアカウントも、どのSNSにもあるんじゃないかな。

 でもそれ、昔のある人の言葉であって、
 あなたの考えじゃないよね?

 自分の考えに近いから引用するんだろうけど、私もやるから人のこと言えないけど、
 偉い人、別な人の言葉を出して、
『ほら、こんな偉い人だって俺と同じ意見なんだぞ』
 という文脈で『いいね』してる。

 悪いとは言わないけど、どうなのかな。

 どんな文脈でそのセンテンスが出てきたかわからないから、物語を『抜き書き』するのは危険だと思いつつ、いい言葉はメモしたりスマホに撮ったりしてしまう。いつのまにか人々は名言ハンターとなり、それが教えるところの教訓を人生に生かして実行する気はないように見える……のは気のせいか。

 短い引用って手軽なんだよね。
 でも、長い文じゃないとディテールが伝わらないものもあると思う。特に心理は。
 探偵ものだって『殺人事件が起きた。名探偵が推理した。犯人は嫉妬した元恋人だった』って話なら何百もありそう。それを個性的な『この人にしか書けない描写』で書いたとき初めて、一つの名作ができるのだと思う。

 でも、ドストエフスキーは文章が本当に長い。
 今の出版社だったら『もっと短くまとめて読みやすくしないとだめですよ』とか言われるかも。
 でもそれじゃ、作品が台無しだ。


 昔、読んだな。僕に似た人が出てくるって言われて。でも、読んだあと何日も怖い思いをしたから、そのあとは一冊も読んでない。


 所長は何を読んでどんな目にあったのか?
 聞いても教えてくれなかった。真っ先に思い出した題名も、なんとなく言い出せない。


 サキ君。


 私の考えが予想できたんだろう。所長は真剣な声で言った。


 僕はサキ君が思っているほど純粋でもいい人でもない。
 かなり病んでる。
 でも、秋倉町に来て、街の人のうわさを聞いても信じないでね。
 僕は冬の間、ほとんど研究所のまわりから離れないで生活してた。
 僕を見かけたって人の話は信じないでね。


 私だってかわいい女子高生じゃないですから期待しないでくださいと返事しておいた。
 でも、なんか様子が変だ。
 何があったんだろう?
 やっぱりあかねの同人誌見ちゃった……のかと思ったら、
 来た。


 百合の読者は実は女性も多いって知ってる?
 うちのクラスにも百合がいるのよ。
 さっき見ちゃったの。
 町長の娘が、伝説の図書委員長に熱烈な視線を注いでいるのを。
 二人で本棚の奥に行ったから……わかるでしょ?
 ウフフフフ。
 4月が楽しみじゃない?


『血と権力は人を酔わすものである。粗暴な傾向と淫蕩が増大する結果、ついには、最も変態的な現象さえも、知性と感情が認めるところとなり、やがてそれが甘美なものにさえ思えてくるのである』
 死の家の記憶。


 二人は本を探しに行っただけだと思う。
 そうだよね。
 違ったらどうしよう。



(今日見つけちゃった感想)
 妙子は、女優である母親が演じている危ない女性キャラです。リオは友人で、遊び人だとみんなに思われている子ですが、かなり真面目です。
 町長の娘はスマコン、伝説の図書委員長は伊藤百合。
 平岸あかねは危険人物です。逮捕されます。間違いないです。ネタにされた人から訴えられまくる上に相手には手ひどい傷を与えています。
 なのに、こういう人が珍しくないと思うくらい、世の中にこういう表現をする人が多い。私も感覚がマヒしていたことに気づいたのはつい最近です。なんてことでしょう。昭和生まれの大人なのに。

 昔無邪気に書いていた性的?な暴言を思い出すとぞっとします。若気の至りでは済まない年になっても『この表現は日本では普通』と感じている人の多さ。自分もあやうく犯罪に手を染めるところだった、いや、もうやってしまっていたかもしれない。だってそういうの若いころに読んだことあるし。
最近ちょっと読んだらもう気味が悪くて仕方がないんです。

 サキちゃんがドストエフスキーの話をしていますが、若いころと、この文章を書いていたころには本当にいいと思っていたからだと思います。今でも名作なんだろうなと思いますが、なぜかもう読み返す気がしない。なぜと言われてもわからない。女性が出てこないせいか、長々しい文章が誰かを連想させて嫌悪感を招くのか。あまり言うと怒られそうなのでここでやめておきます。

 でも、この文章、当時より今のほうがタイムリーに思えてしまったので、断片ですが載せてみることにしました。サキちゃんは本当に理想形の自分です。こんなに頭が良いと友達ができないに違いないと思ってしまったのか、まわりの友達が変態や変人だらけになっています。なんせ秋倉町は変人の町ですから。
 まさかドストエフスキーが死の家で日本の未来を予言していたとは。
 これも引用、抜き書きなのでどういう文面かはわからないのですが、彼が今の日本の本屋に迷い込んだらショック死するのではないか。そう感じて怖くなることもあるのです。

 所長とサキの関係は非常に危うく見えるもので、それこそ援助交際と間違われても仕方がなく、マネして変な男や女に引っかかる人がいないか心配でもありました。だから所長も周りの人も頻繁に『危ない』『そいつ大丈夫?』と口にしている。それが大人の感覚なんです。

 読者はそんなにいないブログだったと思いますが、何人かはいたんです。たぶん、アクセスで。途中で体調不良などで途切れてしまった話なので、申し訳ないと思ってはいました。 

 でも、あのままリアルタイムで今載せることはできないんです。まとめる力も今はあるかどうか。いちおう通院して薬飲んでる病人に近いのです、私。集中力が低下していて、ドストエフスキーどころか普通の本も読みにくいくらい。

 なのに文章はいくらでも打てるから誤解されるのです。ほかのことが全くできないから働くところがないんです。なかなかそれが伝わらないのです。


 

お読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは、学習・創作のための資料、趣味、生活費などに使わせていただきます。