映画『よだかの片想い』:理系人の悲喜

私は、アイコを愛さずにはいられない。
もどかしく感じずにもいられない。
近しい境遇から、痛切なシンパシーを覚える者として。

映画『よだかの片想い』は、工学系の大学院生であるアイコが、生まれつき顔にあるアザについての本を出版したことをきっかけに、映画監督の飛坂と出会い、恋に落ち、そして失恋する物語だ。

子どもの頃にからかわれたことでアイコの人生をネガティブな方向に変える契機となったアザが、飛坂という1人の男性との出会いを通して人生をポジティブな方向に変えていく。
そして、飛坂はいなくなる。
でも、アイコは前に進んで行ける。
そんなアイコの姿を通して、少しの、でも確かでしとやかな勇気をもらえる映画になっている。

それは一般的な印象だとして…少し私の話をさせて頂くと、私は下にあるプロフィールの通り、アイコと同じく工学系の大学院に所属している。
工学、いや、理系の大学院と聞いて、どのようなイメージを持たれるだろうか?
聞かなくても分かる。
そして、そのイメージは、おおよそ正解だ。

作中で、アイコは恋愛や人付き合いに消極的で、自分の研究に没頭するキャラクターとして描かれる。
居酒屋で突然熱っぽく研究内容を語ったり、夜の研究室で黙々と仕事をしたり…。
アイコのキャラクター設定として、「理系の研究」というのは、飛坂との恋愛とコントラストをなす、アイコの負の側面を象徴する要素として使われていると言って良いだろう。
理系のステレオタイプそのままではあるが、事実無根とは全く言えないのが事実である。
本当に、そういうものだ。
恋愛に対して積極的になれず、自分がそういう「一般的な若者が楽しむこと」に正面から立ち向かえないことを原動力として、その対極にあると言っても良い研究に走る、というのは全くもってフィクションではない。
統計も何もないが、一般的だと言っても、否定する理系人はほぼいないのではないかと思う。

一方で、ここで「原動力」と言ったのには少し裏がある。
本当に恋愛に無関心なら、恋愛を楽しめないことがエネルギーにはならないはずで…。
つまり、エネルギーになるということは、恋愛に無関心とは言えない、ということだ。
研究だ研究だと言いながら、どこか恋愛に対する心残りや後悔を拭い切れずにもいるのだ。
決して恋愛に積極的ではなかった私はそうだったし、周りにそういう仲間も見てきた。
アイコ、きっと君もそうだろう。
だから私はアイコを愛さずにはいられない。
消極的だった頃の自分を思い返して。
アイコ、よく頑張った。
でも、もどかしく感じずにもいられない。
もっといけただろう、アイコ!
そして、ちょっと積極的になれた頃の自分を思い返して応援する。
これにめげずにまた頑張ろう、アイコ!

この物語で一つ間違いないのは、アイコがそれまで知らなかった世界を知った、ということだ。
この経験は間違いなく、アイコが恋愛にも、研究にも、更に積極的に向き合っていくエネルギーをくれるに違いない。
アイコはまだまだ進んで行けるに違いない。
頑張れ、アイコ。

山下 港(やました みなと) YAMASHITA Minato


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