映画『エゴイスト』:いつかの未来に繋がる層として

(以下には、作品の内容に関する記載が含まれます。鑑賞がまだの方はご注意下さい。)

人の生き様は層のように積み重なる。
嬉しかったことも悲しかったことも、忘れたくないことも忘れたいことも、全ては重なり、連なり、その人の人生をなしていく。今目に見えることの裏側にも、いつかのどこかの時が刻まれた層があり、それは確かに今へと繋がっている。
まるで、数多の線が引かれ、幾重にも塗り重ねられた絵画のように。

映画『エゴイスト』(23、松永大司監督)は、主人公の斉藤浩輔(鈴木亮平)が、パーソナルトレーナーを務める中村龍太(宮沢氷魚)との愛を深めていきながら、自身が過去から引きずり続ける想いに触れていく様を描く。浩輔は、ファッション業界で活躍し、きらびやかな生活を送る一方で、14歳の時に失くした母に対する後悔や、ゲイであることをからかわれた記憶に苦しみながら生きる繊細な面を持っている。龍太が独り身の母親を支えながら暮らしていることを知った浩輔は、ゲイ同士である龍太との愛を通して彼の母親を支えることで、柔く弱い心の深奥に、彼なりの救いを与えていく。一方で、浩輔の龍太と母への愛、そして龍太の浩輔と母への愛…そのどれもが純粋ながら、「愛はエゴ」でもあることも描き出し、観る者に「愛することとは?」と強く問いかける作品になっている。

浩輔が暮らす瀟洒な部屋のリビングには、一枚の大きな絵が掛けられている。作中では特別その絵についての話題が出ることはないものの、そのサイズと複雑に絡み合うような画面の様相は、ひとかたならぬ存在感を放っている。
実はその作品は、現代美術家の高山夏希さんの作品だ。高山さんは、注射器で少しずつ絵の具を絞り出して引いた線を無数に積層させたり、絵の具を塗り重ねた面を削り取って層を露出させたりして画面を作り上げる独自の作風で著名な作家だ。そこには、見える層も見えない層も含めて、高山さんが少しずつ絵の具を重ねることを繰り返し続けた時間や呼吸が、確かに積み重なっている。そうして生まれた作品は、その絵の具の層がもう高山さんの人生の一部であり、その作品の「人生」そのものであることを、生々しく、肉感的に物語る。
そんな1枚の作品の画面の中で、近寄って微視的に見れば、それぞれの線や層は単調なリズムの繰り返しだ。一方で、引いて巨視的に見れば、ある線が別の線と思わぬ出会い方をしたり、層同士が混ざり合って新たな色を生み出したりしながら、壮大な物語を作り上げていっていることが分かる。
そう、正に人生のように。

浩輔がどうしてあの作品を飾っていたのかは推測するしかないが、雄大で迫力がありながら、龍太がそうしたように近付けば見えてくる、繊細な線が重なる様は、間違いなく浩輔という人間を美しく表している。浩輔はあの作品に自分を重ねていたのではないだろうかと思えてならない。そしてさらに、作品の中で層同士が偶然の出会いを見せるように、浩輔のつらい過去は、ゆくりなく龍太との今へと繋がっていく。
繰り返しの日々はいつかのどこかへと繋がり、過去は思いがけぬ未来へと至る。それはきっと誰にでも訪れ得る奇跡であり、希望だ。私たちが、たとえつらく苦しいことであっても、私たちの生の層を一つ一つ積み重ねていく限り。あの作品と共に暮らし、龍太と出会った浩輔の姿を見ていると、そう信じられる。

この映画にどう呼応するか。それは、その人がこれまで積み重ねてきた時間をはっきりと反映しているはずだ。今、この映画に強く揺さぶられる人もいれば、受け取った体験をまだ上手く消化し切れない人もいることだろう。しかし、いずれにせよ、鑑賞者の中に『エゴイスト』という新たな層が生まれたことは確かだ。その層はきっと、いつかの未来の自分へと繋がっていく。
『エゴイスト』は、私たちの人生をなす、かけがえのない一層となるに違いない。

山下 港(やました みなと) YAMASHITA Minato

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