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文章を書く行為は、魂を注ぎ込んでいる行為と同じなのではないか

私は文章を書く時、感情の整理をあまり行わない。
今その場で浮かんだ思いを、なるべくいじらないように、そのままを書き留めようとの思いが強い。
その書き方が良いのか悪いのかはわからない。

しかし私はその書き方が性に合っている。
確かに書き終えた翌日辺りに読むと、なんじゃこりゃ?と思うこともしばしばあるのだが、感情が乗った状態で書いたものの方が、結局は自分でもしっくりと来るからだ。

自分でしっくりと来ないものを、読者の方に読んで頂いても、多分、しっくりと来て頂けることはないのではないかと思う。
私が記事を書く時、自分が何かを納得する為に書いているのが前提ではあるが、読者の方と何かしらの思いを共有したいとの気持ちもある。

だから、私が記事を書く時、読んで下さっている誰かへ向けての無意識のメッセージが込められていることもあるかもしれない。
それだけ、私にとって書くという行為は、私という人間をありのままに近く見せる行為なのだろう。

それは魂を注ぎ込んでいる行為とも言えるように感じられる。
ちょっと大げさであったろうか?
少なくとも今の私にとっての書くという行為は、そんな感覚なんである。

だから、心身に余裕がなくなると、途端にまともな記事が書けなくなってしまうのかもしれない。
きっと、相当なエネルギーを要してしまうからだ。

パソコンから離れれば、書くことから離れれば、お気楽が大好きな、ただのおばちゃんなんである。
記事で書いてるような、悩んでばかりの性格はしていない。
懐メロが大好きで、老犬の柴犬2匹を溺愛しながら、ドラマ見て泣いている、そんな、ごく普通の暮らしを愛する、おばちゃんなんだ。

余談だが、今日(既に昨日だが)のドラマ「VIVANT」は良すぎた。
良すぎて、途中、歓喜したり、泣いたり、色々と感情が忙しかったよ。(笑)
昨日(既におとといだが)の「最高の教師」も良かったな、現実はドラマのようには行かないけど、でも現実がドラマ以上になることもあるし、人生っていつからでもやり直せるのではないかと思わせてくれる、感傷的な私にはピッタリのドラマだと感じている。

かなり横道にそれてしまったが、生きるってのは、ホント、大変だと思えば、どこまでも大変になってしまう。
大変にしすぎてしまわないように、生きる為のコツを、死ぬまで学び続けることになるのだろうな、私なんかは特に。(苦笑)





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