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noteをやって良かったこと、それは視野の狭さに気付けたこと、被害者意識を減らすことができたこと

私は3月の終わりの方からnoteを始めた。
あれから早くも半年以上経つんだなと思うと感慨深い。
書き始めてしばらくは、ガチガチに固まった文章を書いていた気がする。
今読むとちょっと恥ずかしい(〃ノωノ)

まあ、仕方ないよね、まだnoteで色々な方と話す機会にも恵まれていなかったのだから。
当初、私は闘病仲間が欲しくて、投稿をしていた。
かといって病気のことばかり書くのも気が重くなるので、他の話題もいいかなと毒親気質の親のことも書くようにした。
結局、内容的に暗いことに変わりはないのだが、2本柱で書くことで、頭の中を1つの問題に懲り固めてしまうことを防ぐことができたような気がしている。

1~2ヶ月ぐらいは、闘病記より毒親気質の親の記事の方が反響が良かった。
これにはちょっと困惑した。
病気の話は興味を持たれないのだなと感じたからだ。
でも、めげずに書き続けていたら、同じ病気の仲間ができたり、闘病記に興味を持って下さる方も出てきた。
ありがたかった、本当にありがたかった。
孤独な闘いから救われたような気がした。

毒親気質の親の記事を通して、似た境遇の方々と話すことも増えてきた。
あれこれと愚痴を言っていると、とても救われた。
現状が解決しなくても、自分の思いを誰かが知ってくれている、理解してくれている、そう思えることは、大きな安らぎを自分に与えてくれた。

これらのことを通して、私はまず、自分の視野の狭さに気付いた。
闘病も毒親気質の親の悩みも、色々な形で多くの方が抱えていることを、noteの交流を通して学んだ。
個々の葛藤内容は違うけれど、不遇だとぼやくだけでなく、ちゃんと前を向いて自分らしく生きていこうとしている皆さんの姿勢に、私は勇気をもらえた。

それと同時に、被害者意識も気付けば少しずつではあるが、減ってきたような気がする。
正確に言えば、被害者意識は残っているのかもしれないが、被害者意識にだけ気持ちが留まらなくなってきたということかもしれない。
自分の意識が外にも向くようになってきた証とも言えるのかもしれない。

少し余裕が出てきた私は、大好きな懐メロ記事を書くようになった。
ここで、また新たな仲間と出逢い、エンタメ好きな方との交流も増えてきた。
随分と、noteが楽しくなってきてしまった。
noteが楽しくなってくると、闘病や毒親気質の親のことで悩んでも、そうだ、皆さんに聞いてもらっちゃおうと、皆さんに甘えることを覚えてしまった。

おかげ様で今の私がある。
自分の中からだいぶ毒素が消えてきたように感じている。
これは、とっても幸せなことだ。
心から、ありがとう、幸せは周りの方の支えあってなのだということを、noteを通して、実感として学ぶことができた。

noteには魅力に溢れた方がたくさんいらして、困っている。
記事を読み切れない。
なんて贅沢な悩みなのだろうと感じている、今日この頃の私なのである。





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