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多分、父との最後の旅行 (あるいは見えるコラージュと見えないコラージュ)

父が認知症だと気づいたのは、いつだったでしょうか。
退職して、それほど時間が経っていない頃だと思います。

もともと耳が悪く、ひとの声が聞こえないからイライラして、でもイライラを周囲にぶつけては悪いな…という気持ちもあり、我慢するけれどやはり聞こえないとストレスが溜まってしまうのでひとと話すのを避ける……
そんな傾向がありました。
何度か補聴器も試しましたが、相性が悪くて不採用。

一人でテレビを見ることが多くなり、それと同時に物忘れが多くなりました。
文字を読むのは好きだというので手紙を書いたりしましたが、返事を書くのが億劫だということで父娘文通は自然消滅(父はメールが苦手)。
あれよあれよという間に様々なことを忘れるようになり、散歩しても帰り道が分からなくなることもありました。

本人が忘れること自体にはイラつかず
「思い出せないならしょうがないや…」
という穏やかな姿勢でいてくれたので助かりましたが、
「大事なことはメモをとってね」
と言ってもメモをとること自体忘れるので電話番も頼めず(たまにできることもありますが)、付き添わなくてはいけないことが多くて母もかなり疲れるようでした。

当時から私と夫が「台湾旅行が面白い」という話をしていたのですが、ある時母が
「お父さんは海外が好きだったから最後に海外に連れて行ってあげたいけど、もうヨーロッパへの長旅は無理だと思う。
台湾は近いし、行ったことが無いし、連れて行けないかしら?」
と相談されました。
「きっと最後の海外だから」
と。
2019年のことです。

今なら父は自力で歩ける、乗り物は好き、そして母の気分転換にもなる…。
夫が
「まかせて下さいっっ!!」
と綿密に計画を立てて飛行機やホテルを手配してくれ、
母は「何年ぶりかしら…」とパスポートを取りに行き、
その数か月後に4人で出かけました。

いつもあちこち動き回る、というか走り回る私達ですが、この時は台北のみ。いつもの安宿ではなく、台湾在住の方におすすめされた大安の「ホームホテル」という、豪華なホテル。

ホテルからレストランに歩いていた時、父が
「寧子、ここは、名古屋かな?」
と言ったときは、そこにいる全員がズッコケましたが(道が広かったから名古屋市内だと思ったそうです)、台湾の方は年長者に優しくて本当に親切で、両親はどこに行ってもご機嫌でした。

ホテル、松山文創園区、
愛犬を乗せたタクシー(運転手さんが犬を膝にのせて運転している)
鰻屋さん…
故宮、圓山大飯店(ご飯を食べに行きました)

故宮博物館はタクシーで開館前に到着、開いてすぐはほとんど人影もなく、白菜も角煮も至近距離でじっくり鑑賞できました。
書道の資格を持つ母は書のコーナーを楽しみにしていましたが、どこに行ってもすぐに帰りたがる父が「もういい、満足」と言い出してほとんど見ることが出来ず…これはかわいそうでした(母は「私はもう一度来る!」と言っていましたが)。

余談ですが私の出不精な性質は完全に父からの遺伝です。
どういう塩基配列なのか分かりませんが(笑)、そういえば父の父もすごい出不精で本ばかり読んでいて、祖母がものすごいストレスをためていました。

私が小学生の頃に母が
「今日は絶対に夕飯を作りたくない。外食する!!」
と宣言して、朝は父も了承していたのに、父は仕事を終えて帰宅すると
「うーん、出かけたくない」
という顔をして(娘には分かる…)
そそくさとだらしない寝巻に着替えてしまうという荒業で 外出を阻止して、母の逆鱗に触れたことがありました。
母がギャンギャン怒っているのに
「さんざん外で気を遣ってやっと帰宅したのに、なんでまた出かけないといけないのか…うちが一番」
という顔をしていて(娘にはなんとなく分かる…)
しぶしぶホットプレートを出し、みんなで具材のほとんど無いお好み焼きを作ったことを思い出します。

そんな父の最後の海外旅行に「ホームホテル」を使うのも、なんだか面白いな…と思いました。
ちなみにこのホテルは従業員さんが本当に親切で、朝食も美味しく、父も母もとても気に入っていました。フロントは日本語OKです。

あちこちみんなで巡って、父と母が疲れたときは私達だけで出かけたりもして、楽しい旅でした。

十分瀑布。私達だけで行きました

帰国してすぐに夫がコラージュを作ってくれ、両親のうちに届けました。
父は早速いろいろと忘れていましたが、写真がまとまっていると記憶が活性化されるようで、
「ここは故宮よ」
というと
「……(写真を指差して)暑かった」
と言ったり、確かに故宮を訪ねたときは蒸し暑い日でしたし、刺激になるようでした。

今でも時折コラージュを眺めては、
「ここに行ったの?」
というので
「みんなで行ったよ。楽しかったね。父上は鰻を食べ過ぎてお腹を壊したって言ってたね…」
と話のきっかけになっています。

コラージュっていいな、すごいな、と思った私は
「お父さんの子供の頃からの写真を集めてコラージュにする?
まとめたらいろいろ思い出すかも?」
と母に提案したことがあります。
なんでもかんでも夫に頼むのも申し訳ないし、これは私がやるけど…と。

母は少し考えてから
「うーん、それは(しなくて)いいんじゃない?」

というわけで、これは着手していません。
確かに、認知症とはいえ父大事に保存している(死蔵しているようにも見えますが)昔の写真を無断で使うのは良くないかも…。
また父は片付けが苦手でいろいろと未整理のものが多く、父の部屋から写真を出してくるのは面倒かも…。
とにかく強引にすすめることではありません。
(母の名誉のために書いておきますが、母は片付け上手でセンスが良く、ものを貯めこまない人です。父の不要なものを捨てたいのはやまやまですが、本人の意向を尊重して我慢しているのです)

それに…
人生のいろいろなシーンのコラージュは、父が今現在、心の中でせっせとしているのかもしれません。
自分でやった方が良い作品が出来るでしょう。
父の発言は過去や未来を飛び回り(未来にも行けます!)、亡くなった祖父母があたかも隣の部屋にいるかのように話したり、私が幼稚園に行っていたり、孫が大学生になっていたりと驚くことが多いのですが、
脳内コラージュ中
と思うといろいろ納得できるのです。

今日は2019年の旅行をちょっと振り返ってみました。
すっとこどっこいな家族旅行にお付き合い下さり(笑)、どうもありがとうございました。


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