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本当の自分に出会う物語

今回は、刀根健(とね たけし)さんの著書、「さとりをひらいた犬
~ほんとうの自分に出会う物語~」という本の内容を紹介します。

著者の刀根さんは、若い頃はエリート証券マンとして活躍していましたが、
50歳の時に肺がんステージ4と診断されます。
翌年には脳転移が見つかり入院し、そこでさらに眼内腫瘍やリンパ節転移、
肝臓、腎臓、脾臓など全身の骨転移が見つかり、医者からは「いつ呼吸が
止まってもおかしくない」と言われてしまいます。
そんな、絶望的な状況の中で神秘体験を経験し、奇跡的に病から
回復することができました。

この本は、神秘体験を通して著者が気付いた本当の自分を、ジョンという
一匹の猟犬として描いています。
旅の途中でジョンは様々な困難を乗り越え、本当の自分に目覚めます。

私たちは何のために生まれて、どう生きるべきか?
そんな悩みを抱える皆さんが、本当の自分を見つけるための
ヒントになるお話です。




誰にも従わない「本当の自由」とは

ジョンは、ある主人に飼われている猟犬でした。
彼は7匹いる犬たちのリーダーで、一番足が速く、一番賢く、
そして何よりも一番勇敢でした。
そんなジョンを主人は気に入り、狩りが成功すると、美味しい干し肉や
ご褒美をあげました。
ジョンは、主人の笑顔を見て「僕はどんな強敵にだって
立ち向かっていける」と思っていましたが、ある日ジョンの心に
変化が訪れる出来事があったのです。

その日、ジョンはいつもと同じように主人と一緒に狩りに出かけます。
主人が獲物を見つけ銃を構えると、同時にジョンも身構え、
銃声と同時に獲物に向かって走り出しました。
森の中に少し入ったところでジョンは立ち止まり、銃弾に倒れて
血を流す大きなオオカミを発見しました。



オオカミは苦しそうに息をしながら、うっすらと目を開けて、不思議な
温かさに満ちた声で言いました。

「おぉ、お仲間さんか・・・」

ジョンは、何と返事をしたらいいか分かりません。
・・・・、「お前は獲物だ、僕はお前を殺しに来たんだぞ!」
なぜオオカミが、こんなに温かい声で話しかけてくるのか、
ジョンには理解できませんでした。

オオカミは続けて言います。
「誰にでも死は訪れるものだ、今日は俺が死ぬ日だったというだけだ。
俺の最期を看取ってくれるのが、仲間のお前さんでよかったよ」

オオカミはダルシャと名乗りました。
そしてダルシャは、ジョンに不思議な問いを投げかけます。

「ジョン・・・、お前はなんだ?」

ジョンは、すぐには質問の意図を理解できませんでしたが、何度か聞き返し
「僕は猟犬だ」と答えます。
するとダルシャは言いました、

「ジョン、お前は人間に飼われているんだろ?」

この「飼われている」という言葉が、ジョンの心の奥底に
刺さりました。

それに追い打ちをかけるようにダルシャが言います。
「俺たちは誰かに飼われるために生まれてきたんじゃない」
「俺たちの本質は自由だ」



ジョンは、主人が撃った獲物にトドメを刺し、それをくわえて
持ち帰るのが仕事でした。
主人の銃声に無条件で反応して走り出し、何の疑念もなく、
ただ無慈悲に命を奪いますが、ジョンはそれ以外の
生き方を知りません。

しかし、果たしてジョンは猟犬になりたくて
生まれてきたのでしょうか?

・・・・・・

・・・

ジョンは、たまたま生まれた環境に従い、自分の頭では
何も考えず、ごくごく小さな世界の中で生存している
だけだったのです。
ジョンは一見、与えられた小さな世界に満足して生きて
いるようですが、その世界はジョン自らの意思で
選んだものではありません。
ジョンはただ、その事に気づかないよう心に重い蓋をして、
自分を騙しながら生きてきただけなのです。



ここで描かれているジョンは、まさに現代を生きる私たちそのものです。

私たちは自分で選んだ訳ではない土地に生まれ、何の迷いもなく
小学校、中学校と進んでいき、当たり前のように就職をして、
ある程度の満足で暮らしています。
しかし、その人生はあなたが願ったものでしたか?
与えられた環境がそうだっただけではありませんか?

他にやりたいと思っていたことがあっても、その気持ちに蓋をして
自分自身を騙し、自分で選んでもいない人生に満足しているふりを
しているだけではないでしょうか?

オオカミのダルシャは言っていました、「俺たちの本質は自由だ」と。
「俺たちが生まれたのは、誰かに飼われるためでも、
仕えるためでもなく、ましてや誰かに利用されるためでもない」

ジョンも私たちも、自分以外の誰かにご褒美をもらって生きて
いるだけの、そんなちっぽけな存在ではない筈です。
しかし、私たちは自分を騙し、自分を過小評価して
ちっぽけな存在に閉じ込めてしまっているのです。

あなたは人生の中で、本当の意味で自分の選択を
したことがありますか?
自分自身の意思を、真っ向から見つめた事はあるでしょうか?



いつも決まったレールの上だけを歩き、自分の選択であると
思い込んでいたものは、他人によって敷かれたレールの分岐に
過ぎず、本当の選択をしたことは一度も無いのでは
ないでしょうか?
与えられた役割をこなしているだけ、親や先生、上司などの
期待に応えているだけ、そんな生き方が果たして
本当の自分なのでしょうか。

ダルシャは、ジョンに本当の自分を見つけるための
道しるべを与えます。
ジョンにハイランドと呼ばれる北の大地を目指すよう
促したのです。
そこはあらゆる生き物が本当の自分を探しにやってくる
場所であり、本当の自由に目覚めた者だけが辿り着くことが
できる場所でした。
ダルシャはジョンにそのことを伝えると、天に感謝しながら
静かに息を引き取りました。

ジョンはその後、すぐにハイランドの旅へ出発したわけでは
ありませんでした。
ダルシャの言葉には引っ掛かりながらも、相変わらず主人と
狩りをする毎日を過ごしていたのです。
ただ、ダルシャに出会ったあの日から、ジョンの心境は
少しづつ変化していました。
あれだけ熱中していた狩りも面白くなくなり、大好きだった主人の
笑顔も、ご褒美も、あまり嬉しくなくなってしまったのです。

こうして、ジョンの働きは日に日に悪くなり、それを見かねた
猟犬の副リーダーであるハリーが心配して話しかけます。

「どうしたんだジョン、最近おかしいぞ」
「あのオオカミの日からずっとだ」
「何かあったのか?」

ジョンはハリーに、ダルシャの話や自らの心境の変化を
打ち明けました。
するとハリーは、「やめておけ、人に飼われている猟犬が
外の世界で生きていける筈がない」
と言いました。
猟犬はチームで狩りをするものであり、一人では何も
できやしないと言うのです。



ハリーは続けます、「俺たちはしょせん飼い犬なんだ、毎日決まった
時間に決まった場所で美味しいご飯にありつける。
それのどこに不満があるんだ。
自分の仕事を全うしてさえいれば、何の苦労もなく
ご飯が食べられるんだぜ。
こんないい暮らし、外に出たら出来ないんだぞ」

しかしジョンは、ここには本当の自由が無いと言います。
それに対してハリーは、「与えられた役割をこなして、その合間に
好きなことをする自由はあるだろう」
と言いますが、
ダルシャの「真実の言葉」を聞いてしまったジョンは、
ハリーの反対を押しのけて走り出します。

本当の自由、本当の自分を探すために、北の大地にあるという
ハイランドに向かって駆け出したのです。
ハリーを含め、仲間たちはジョンを呼び戻そうと吠え立てますが、
ジョンはその声を背に、風のように走りました。

こうしてジョンの旅は始まります。





恐怖や不安の克服

本当の自分を見つける旅に出た主人公の猟犬・ジョンは、
まず北のベレン山を目指すことにしました。
旅立ちのきっかけとなったオオカミのダルシャが、
まずはそこに行けと教えてくれたのです。

ベレン山には、赤い魔獣と呼ばれる恐ろしい魔物が
棲んでいることが分かりました。
赤い魔獣とは、人間を含めたあらゆる動物を恐怖に陥れた
ベレン山に棲む巨大なクマのことです。

赤い魔獣のせいで、これまで多くの動物が犠牲になり、
ベレン山に登ろうとするジョンの先に待ち受けているものは、
他ならぬ赤い魔獣への恐怖でした。

このまま進めば赤い魔獣に殺されるかもしれませんが、ベレン山に
行かないことには、そこから先に進むことはできません。

ジョンは、心の声に耳を澄ませました。
このまま引き返すという選択をすれば、命を長らえることが
できるでしょう。
しかし、それが本当に自分らしい生き方なのでしょうか・・・
それが本当の自分なのでしょうか・・・

確かに、赤い魔獣に殺されてしまう可能性はあります。
しかし、たとえ殺されてしまったとしても、自分で納得して
選択したのであれば、それでいいのではないでしょうか?

覚悟を決めたジョンはベレン山に向かいますが、その途中で
目を閉じて眠る赤い魔獣を目撃することになります。
そしてジョンは、赤い魔獣を前にして恐怖に屈し、
ベレン山の麓まで逃げ帰ってしまいました。



恐怖で逃げ出したジョンは、ベレン山の麓を何日も彷徨う
こととなりましたが、北の大地に辿り着くためには、
赤い魔獣を避けつつ、ベレン山に登るしか方法は無さそうです。

怖い・・・

死にたくない・・・

そんなエゴの声が大きすぎて、ジョンにはその奥から聞こえる
本当の自分の声が聞こえなくなっていました。

ある夜に、疲れ果てて朦朧とした意識の中で、ジョンは突然
懐かしい声を聞きました。
その温かみのある声は、ダルシャの声でした。

ダルシャが言います、
「なぜベレン山に行かないんだ、ジョン」

ジョンは、「あそこには赤い魔獣がいる、行ったら殺される、
どうしたらいいかわからない」と言いました。



するとダルシャは言いました、
「お前さんは今、恐怖と不安に囚われている」
「その状態がお前さんが願う本当の自分なら、
そのままそれを抱えて生きろ」
「しかし、それが本当の自分じゃないと思うなら、
その本当じゃない自分と向き合うんだ」

恐怖や不安から逃げれば逃げるほど、より強く恐怖や不安に
囚われてしまいます。
そして、いずれ恐怖や不安に捕まって、本当じゃない自分が
本当の自分と入れ替わってしまうのです。

・・・・つまり、恐怖や不安を克服するには、そこから
逃げずに立ち向かう以外ありません。
自分自身を克服できた者だけが、ベレン山の先へと
進むことができるのです。

ダルシャの声を聞いたジョンは、翌朝目を覚ますと、
再びベレン山へ向かって歩き始め、赤い魔獣と遭遇した
場所まで戻ってきました。
これは赤い魔獣との戦いではなく、恐怖と不安、そして
本当じゃない自分との戦いです。

ジョンは赤い魔獣の姿を目撃しました。
そこで一瞬立ち止まりましたが、気を取り直して正面から
堂々と向かっていきました。



心の中は恐怖と不安で張り裂けそうでしたが、ここで逃げるわけには
いきません・・・、もう逃げ回らないと決めたのです。

そんな生き方はしたくない!
それは本当の自分じゃない!



その時、赤い魔獣が目を覚まし、ジョンに話しかけます。
「お前にとって一番大切なものはなんだ?」

ジョンは、今の自分にとって大切なものは、本当の自分と
本当の自由だと答えました。

すると魔獣は言いました。
「私に出会った多くの者が取る道は二つ、恐怖に駆られても
挑んでくるか、恐怖に駆られて逃げだすか、そのどちらかだ」

著者は、魔獣の口を借りて「自分が感じた恐怖は
自分自身である」と言います。
つまり、私たちが感じる恐怖は、私たち自身が
創り出したものに他ならないのです。

ジョンが一度目にベレン山に登り、赤い魔獣を見て
逃げ出した時に魔獣は何をしたでしょうか?
魔獣は何もせず、ただ眠っていただけだった筈です。
にもかかわらず、ジョンは恐怖に駆られて走り出しました。
ジョンはあの時、なぜ走って逃げたのでしょうか?

・・・・・・・

・・・・

それは、自分自身が創り出した恐怖という幻想に囚われて
しまったからです。
眠っていた赤い魔獣は鏡に過ぎず、ジョンはその鏡に映った
自分を見て逃げ出してしまったのです。



そして、魔獣から逃げ出した数日の間、山の麓を彷徨っていました。
それは、ジョンの魂の声が恐怖にかき消され、ジョンを支配して
怯えさせ、骨抜きにしてしまったことを意味します。
ジョンは数日の間、恐怖に支配されて、恐怖の奴隷として
生きていたのです。

私たちは、恐怖と危険は違うという重要な事実を
忘れてしまいがちです。

危険というのは、今この瞬間に対処すればいいものです。
一方恐怖とは、そんな危険を恐れて未来を憂い、
未来を不安視するあまり心の中に生まれる影のことです。
影である限り恐怖は実在せず、それは幻想でしかありません。
現実に存在するのは危険だけです。

それなのに、私たちは自らが創り出した恐怖という影に怯えて
生きています。
恐怖の中で生きるということは、幻想の中で生きることと
同じです。

ベレン山で赤い魔獣に遭遇して逃げ出した時、ジョンが屈したのは
自分で創り出した恐怖という幻想でした。
そして、二度目に赤い魔獣に対峙したジョンは、恐怖に屈する
本当じゃない自分と対決し、自分自身を克服することができました。



こうしてジョンはベレン山を越えることに成功し、
ハイランドを目指して先に進みます。






三位一体

ハイランドへの旅の途中、主人公の猟犬・ジョンは
「コウザ」というイノシシに出会います。

コウザは北の大地にあるハイランドへの旅を促したダルシャの
友人で、若いイノシシたちを束ねる長老のような存在でした。
本当の自分を見つけ、僕は必ずハイランドへ行きますと宣言する
ジョンに対し、コウザはこれからの旅にきっと役立つだろうと
三位一体について話し始めます。

コウザによれば、私たち生命は三つの存在が一つに合わさって
いると言います。
その三つとは、「身体(からだ)」、「エゴ」、「魂」です。



・身体(からだ)

私たちがこの世界を生きるための乗り物であり、私たちは
身体があることで、この世界に存在しています。

それゆえに、この世界に居る限り自分の身体を養って
いかなければなりません。
食事をし、睡眠などで疲れをとって、身体が快適に動くよう
メンテナンスする必要があるのです。

身体を粗末に扱えば故障します、これが病気です。

病気が進めば私たちの存在自体も滅びます、これが死です。


・エゴ

身体が快適に動くようメンテナンスするだけでは
生きてはいけません。

そこで、私たちはエゴの声を聞く必要があります。
例えば、お腹が減った時に、どこに行けば食べ物があるか?
どうすれば食べ物を確保できるか?
などの行動を、順序だてて行うための機能がエゴです。

それ以外にも、どうやって仲間といい関係を作っていくか?
どうやって社会で生きていくか?
といったこともエゴの領域で、エゴはこの世界で
生き残るための機能全般を指します。


・魂

三位一体を構成する最後の一つが魂です。

魂とは、私たちが忘れてしまいがちで、理解しづらいものです。
私たちは身体とエゴだけでも存在していくことは可能で、
むしろ多くの人はこれら二つだけで存在していると言っても
過言ではありません。
身体とエゴだけで生きている人は、目の前の事と自分の事しか
見えていませんので、全体の中の自分が分からず、
本当に生きているとは言えないのです。

魂が存在していない人の生き方には、以下のような特徴があります。

・どうすれば得をするか
・どうすれば他人を出し抜けるか
・どうすれば優位に立てるか
・どうすれば楽して望みを叶えられるか
・どうすれば嫌なことから逃れられるか

自分の事だけを考えて生きているのが、身体とエゴだけで
生きている人です。

一方、魂の声を聞くことは、時に目の前の欲求に反することが
あるため、理解するのは簡単なことではありません。
しかし、困難であるからこそ魂の声を聞くことは
尊いと言えるでしょう。
どんな場面においても誇り高く、愛に満ちた自分自身で
いることが魂の存在がある人の行動です。






本当の自分を知る

ウルム山の長い道のりの末、ジョンは遂に年老いたオオカミの
レドルクに出会い、目指すべきハイランドへの道を尋ねました。
しかし、レドルクは「ハイランドという場所など無い!」
と言うのです。

ジョンは驚き、戸惑いました・・・・



レドルクは、「君が本当にハイランドのことを知りたいので
あれば、もうしばらくはここに居たほうがいいね」
と続けました。
ジョンはその言葉に従い、レドルクのもとに
留まることにしました。

ある日、ジョンは「こうして座っていることに意味を
見出すことができない」と訴えます。
するとレドルクは、その苦しみを見つめるよう
ジョンに言いました。

ジョンは、初めて自分自身の内側にある苦しみを探し始めました。
ジョンの心は、ハイランドへ行きたいけど行けないという
不平不満を叫び続けていることに気づき、そのように叫んでいる
自分を、もう一人の自分が見つめているのを発見しました。
ジョンは初めて自分自身を俯瞰することができたのです。

こうして自分自身を見つける日々を続けたジョンは、ある日、
自分自身を苦しめているものが、ハイランドへ行きたいという
エゴであることを知ります。
ハイランドは、執着せず、求めずして見つけ出すものだったのです。
執着すればするほど、ハイランドは逃げてしまいますので、
エゴによるハイランドへの執着を手放さない限り、
ハイランドに辿り着くことは不可能だったのです。



その後1年に渡り、ジョンはレドルクのもとで瞑想を続けました。
そしてある日、ジョンは気づきました・・・


僕がハイランドだったんだ!


ハイランドとは、到達ではなく発見だったのです。
ジョンは最初からハイランドに居たのに、
気づいていませんでした。

本当の自由とは、身体やエゴの声から自由になることです。
自分自身から自由になった時に、初めて魂の声が
聞こえてきます。

魂の声は、「概念も、理論も、恐怖も、全ては幻想であり、
全てはエゴの思考が創り出すフィクションだ」

教えてくれました。

こうして悟りを開くことに成功したジョンは、
次のように話してくれました。

本当の自分は、本当の自由を

獲得した時に初めて現れる


本当の自分になった時

自分は居なくなり、消えてなくなる


そのとき、自分はこの世界全てであり

自分が世界そのものだと感じる



著者は、これまでの物語をを通じて、悟りとは、身体、エゴ、魂の
3つのレベルで「私は存在していないと知る」ことだと言います。

悟りを開くことによって、私とは宇宙そのものであるということを
理解することができるでしょう。



終わり











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