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 自転車で小夜風を浴びると、悶えた心が和み、深い傷口が少しだけ、癒えたような気がした。ひたすらに痛みを耐えながら自転車で漕ぐ。戦乱によって、生き別れた恋人を探す旅人のように異国に向かう星への旅路、凍えた足先は震えていた。見上げると満天の星が、孤独を包み込んでくれた。

 血で指が汚れ、塞ぎ込んだように手を離す。僕は星を継いだ頭文字を投げると、得も言われぬ沈黙が走った。道端に良心を弔う、悲愁は転がり、鈍い動きは瀰漫に止まる。

 星はたとえ、地球が何回自転しても、誰かが銃で撃たれて死んでも、独りで本を読んでいても、いつか、この身が灰塵になっても何の変わりもなく輝き続けている。
 とうとう、蛇淵まで来てしまったようだった。自転車を止めると僕は前屈みになって、淵の方向に身体を持って行った。ガードレールを越え、突き山に足を踏み入れると、小夜風が身体を包んだ。

 僕はガードレールを越え、自転車に跨り、無音の路上からある場所に向かった。君に会いたい。 いや、言葉を改めよう。口を一瞬合わせるだけでいい。彼女の純潔を奪いたいなんて。どうかしている。とにかく、顔を合わせ、蜜を奪い、吸い寄せたい。腕の血が薄情な時代の濁流のように溢れ出てくる。

 白旗を上げようとしても、戻る場所なんてなかった。もっと、冷静になれ。お前、それくらいも分からなくなったのか? 違う、分かろうと努力しても、結果がついてこなかっただけ。
 星は静寂を打ち、川は嗚咽するのに、ちっとも世界は変化しない。小夜風は優しく、木々を癒し、遠くの森の動物たちは安らかにに眠っているのに、この世界は少しも変わらない。血がアスファルトに落ちていく。意識が朦朧とする中でも、手に取るように信じられる。額に大量の汗が滴りながら、僕は夜の終点へと向かった。

 こんな夜更けならば、君は呪詛をかけられ、永遠に醒めない眠り姫となって、僕の目前に横たわるかもしれない。――ねえ、僕の故郷にはこの世界は破壊した星の神話が今宵も静かに語り継がれているのに。
 星と眠る家に灯りが細々と点いていた。僕は自転車をなぎ倒し、残った力を振り絞って、その戸を叩いた。硝子の切ない音ともに、か弱い声で君の名前を呼び続けた。

 こんな夜分に迷惑だ、とは熟知していた。血が一向に止まらない。それでも、生きたいと願う血が、僕の心に染みだした赤い水滴が、名前を知らない先祖たちの幾時代の道標の証である血が、僕の宿命を裏付ける血が、銀河系を巡らせる赤い彗星の残留物質が、僕は耐え抜こうと息を吸って、君の名前を呼び続けた。

「どうしたの?」

 家の奥から、甲高い声が聞こえた この気配を機敏に察したのだろう。戸が開かれると君はパジャマ姿のまま、眠いはずの両目を大きく開け、その場で立ちすくんでいた。

「辰一君、その腕」

星神楽 51 春の星、少女の祈り|詩歩子 複雑性PTSD・解離性障害・発達障害 トラウマ治療のEMDRを受けています (note.com)

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