うつ病からの這い上がり記録

よく言われるんですよ、

「うつ病にはみえない!」
「メンタル弱そうには見えない!」

ってさ。

あんたら、そんな見た目で判断できるの?なんなの?エスパーなの?もしかして医師免許持ってんの?ならごめんね。

でもまあ、わかる。うつ酷い時の顔は酷い。顔筋がみんな育児放棄したみたいな顔になる。もう筋力の面倒見れませんって。

そんな顔で外でれるか?いいえ、出れません。そんな顔の時人と話そうと思う?

なので、普段あなた方が見てる私は多少元気もしくは「こいつやべえヤツ」と思われない為に取り繕ってる私なのですよ。

それを「わ〜!鬱っぽ〜い!」とか言わんだろ。

てかさ、まず「鬱っぽくないね?」って褒め言葉とかプラス要素与えてるとか勘違いしてる?いる?そんな人?いた?ビンタしていい?


「鬱に見えない」と7文字で繰り出された攻撃に対し、

こちとら
「いやいやいや一応いい大人なんでどこでもかしこでも鬱っぽさ撒き散らさないですよ??てか鬱の状態の時にあんたに会う余力なんてねえし薬色々試して日常生活過ごせるように色々やってましてね、家帰ったら反動で起き上がれないとかありますけど見ます?ビデオ撮っときます?」ってぐらい言い返したい。

ビデオを撮る、と言う単語が出てくるのに昭和の女だなぁと感じる。ほぼ平成!ほぼ平成!ってよく言ってたけど、もう令和来ちゃったからどうしようもない。

んで、まあそんなやり返す気力もないけど一応生きてる私の闘病記録を残す。闘病記録って何、カッコイイ。

23歳ぐらい、職場の陰湿なインキンないじめにあい「適応障害」診断。

そっからメンクリ通い。途中「不安障害」とも言われる。

30歳、結婚で引越しand同居予定、1回しか行ったことない知り合いZEROの土地に住む。

ちなみにこれまで仕事は普通にしてた。むしろできる女だった。お薬は飲んでたけど。

知り合い居ないand旦那激務andなれない職場and慣れない土地andその他もろもろ

流石に元々もろかったメンタル、「うつ病」の診断。

でも田舎の長男の嫁(今思えばほんとクソみたいな考えだよね)だから、子供産むの頑張らなきゃ、ってなってた。なので先生と相談しながら妊活に励む。

33歳、この世に彼女を超えることは出来ないであろう、生涯天使として君臨し続けるであろう女神スーパーラブリームッスメ爆誕。


サァ!ここからだぜ!

産後即敷地内同居▶元々いずれする予定だったが、子供産まれるなら早い方がいいだろってなって、旦那がなんもしなくて、ハヨセヨ(絶賛つわり中)からの、出産、速攻ぎっくり腰、介護(私のね)ために仕事休む羽目になった義母、この時色々言われてちょっと無理になった

そして2ヶ月ぐらい治らないぎっくり腰!誰も面倒見れないからベビーシッターみたいなのお願いして何とか子育て!知らない人怖い!

育児!育児!乳!育児!乳!

そう、問題は乳だった。もうこの頃からうつ病が悪化してた。ちゃんと病院行った。

「薬を始めたら母乳があげられない」

それがネックだった。うちは一人っ子だと決めていたし、人生で乳をあげられるのはこの時だけ。そしてよく飲むんだコイツゥ

薬or乳?の選択で、私は無理をして乳してた。でも確か飲めるやつは飲んでたんだな。でも良くならないから違う薬を…みたいな感じだった。薬に関しても狂ったように調べてた。

まあ全然おかしかった。その頃の私。自傷行為ってやつをしようとするも、「ちゃんとした母親じゃなきゃ」って気持ちが薄〜い傷跡を残してた。今全然分からないレベルのやつ。

しかし、家から出たらあかん?なのか、美容室に行くのも我慢しなきゃ?なのか、今はもうわからんが気が付いたら旦那のバリカンで頭坊主にしてた。旦那が整えてくれた。そう、最近ご結婚されたあの方のようでした。

なんかその辺からの記憶あんま無いんだよね、でもムッスメはすくすく育ってた。ムッスメと同じ月生まれのママ友に、「検診に旦那さんに連れられて死んだ目で来てる人がいた」って言われたけどそれは間違いなく私です。

そんである日、そこは覚えてる、自分ちの玄関で、驚いた顔の義母にムッスメを渡して(多分、電話で呼び出したのかな?不明)、
鍵をかけた。そこまでは覚えてる。

真夜中、うっすら起きた。旦那が脇に立ってた気がする。

次目を覚ましたら救急車だった。
今日何日ですかー?と聞かれ、答えると丸一日たった後だった。

一日ぶっ飛ぶぐらいのオーデーをした。
オーデーってなに?って方は知らないことがいいこともある。

そっからの朧気な記憶は、いつもニコニコしてたメンクリの先生がめっちゃキレて「あーもう!これは無理!入院させて!」って言われたこと、旦那に「あの日メンクリで1番ヤバいやつは間違いなくお前だった」という称号を与えられたこと、そこから1回復活かまして家族でお買い物とか行ったこと(この間3日ぐらい)

…からの、泣きじゃくりが止まらない朝を迎えた。旦那が入院できる所を必死に探して、連行された。

車を出すとき、義母に抱っこされたキョトン顔のムッスメの手を握って、離した。そっからムッスメに会えない日々が始まった。

やっとの思いで入院できた私が入った部屋は、独房みたいな、いや、独房より酷いんじゃない?という、保護室と言われるところだった。


長くなったんで続きはまた気が向いた時に


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