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トマス・ハーディ著『リール舞曲を弾くフィドル弾き』を民俗音楽の観点から読み解く

トマス・ハーディは19世紀のイギリスの文豪です。イギリスの社会が大きく変化したヴィクトリア時代に生きた市井の人々の物語をたくさん書きました。小説『ダーバヴィル家のテス』はたびたび映画化され、ご存知の方も多いことでしょう。けれども、彼がフィドラーであったことはあまり知られてないように思います。今回は、民俗音楽を題材にした彼のいくつかの作品のうち、フィドルとダンスの描写が特に詳しい『リール舞曲を弾くフィドル弾き』を取り上げてみたいと思います!


ハーディ家の音楽的背景

トマス・ハーディの父と叔父はフィドラーで、祖父はチェロ弾きでした。代々ハーディ家は日曜日に地元の教会で聖歌を演奏し、週日にはイングランド南西部ダービシャーの郷土的なダンス音楽を村人たちのために演奏していました。

(教会の聖歌隊については、『イングランドの民俗音楽の歴史』をご覧ください!)

教会の聖歌隊は、オルガンに取って代わられ、トマス・ハーディの時代にはすでにその役割を終えていましたが、彼は父たちの音楽を聴いて少年時代を過ごしました。そして自身もフィドルを弾き、郷土の音楽に対する豊富な知識を文学作品の中に生かしました。

祖父の代からハーディ家に伝わる手書きの
キャロルとダンスの曲集。
イングランド南西部で演奏されていた曲のレパートリーを知る貴重な資料となっています。
Dorset Museum 所蔵)


物語の時代背景

物語は1893年を起点にしています。語り手が地元の紳士たちと思い出話に花を咲かせるうちに、1851年にロンドンで開催された世界万国博覧会について話が及び、それに前後してこの村で起こった奇怪な出来事について語りあうことになります。主な登場人物は、地元の娘と青年、そして放浪のフィドラーの3人です。

ロンドン万博は、ヴィクトリア女王の夫アルバート公が推進し、ガラス張りのクリスタルパレス(水晶宮)が会場になったことで知られています。産業革命をいち早く成し遂げた工業立国としてのイギリスを世界に広く知らしめ、これを機に国内では鉄道網が発達し、人口の半分以上が都市部に住むようになるなど、市民生活においての近代化も大きく進みました。

この物語では、ロンドン万博を境目にして、ダンス音楽が田舎の人々の間で生きていた時代とそれが失われた時代との対比が効果的に描かれています。

30万枚ものガラス板が使われ、見る人を驚かせた万博会場の水晶宮。
入場者は当時のロンドンの人口の3倍にものぼり、その大盛況ぶりがうかがえます。


放浪のフィドラーの登場

さて物語にはフィドラーが登場します。彼はどこからともなく現れて、またどこかへ去っていく旅楽師です。彼はトラベラーズ(ロマファミリー)の単独者かもしれないし、土地を離れ放浪人になった人かもしれません。とにかく、イギリス人離れした風貌と「オラムーア」という変わった苗字から、遠くから来た人であることを強く読者に印象付けます。

このような巡回芸人は、かつてはイギリスやヨーロッパの娯楽の音楽の中心にいて、音楽の需要は大いにありました。彼らは演奏することを生業とするプロの音楽家で、音楽の先生であることもしばしばでした。

オラムーアは女性の好む外見をしており、かつ、幻惑的なフィドルの名手だったことから、ある娘をとりこにします。

初出本の挿絵から。
奥に見えるのが村にやって来た放浪のフィドラー。
娘は踊りだしたい衝動を押さえながら橋の欄干で、彼のフィドル演奏に耳を澄ませているところ。


地元の音楽家による音楽批評

フィドラーは定期市の客引き興行のフィドル弾きとして村にやってきます。譜面は使わず、田舎の人が聴いたことのないような憂いのある音色を奏で、聴く人を感動で泣かせます。こうした音楽の描写から、民衆の間のフィドルがどのような音楽であったのかが伺えて、とても興味深いところです。

きっちりと修行をすれば第二のパガニーニになっていただろうと思われるほどの演奏の腕前に、地元の音楽家たちは面白くありません。地元の音楽家とは、その時代にはすでに役を解かれてしまっていましたが、以前は、日曜日に教会で聖歌を演奏していた名誉ある村人たちのことです。

教会の元バンドメンバーたちは、新参者のスタイルについて、ボウイングはいい加減で演奏は薄っぺら、人心を惑わす悪魔の曲ばかりやって、聖なる音楽は弾いたことがないだろうとこきおろします。ここは、誇り高い郷土音楽の専門家としてのプライドが表れていて面白いです。


ダンスの様子が詳細に描かれる

さて、放浪のフィドラーは、近隣の村々で開催されるダンスの会に呼ばれます。その10年ほど前から、ヨーロッパから新しいポルカを含むカドリールやギャロップが入ってきており、放浪のフィドラーはそうした新しいタイプのダンスを演奏する際にも、ジグやリール、ダンスマスターが伝えたクイックステップダンスといった昔ながらの曲を盛り込み、それらを昔風に弾くのでした。

こうした音楽の細かな事は、ダンス音楽について相当詳しい人でないと分からないだろうと、ここで語り手として、ハーディ自身が顔をのぞかせます。

さて、いよいよ物語のクライマックスで、放浪のフィドラーの呼びかけで娘が村人たちとイン(宿泊施設のあるパブ)でリールを踊るシーンが出て来ます。彼らが踊るのは、19世紀初頭にロンドンのダンスマスターが考案し、当時とてもよく知られていた5人組リールです。

5人組リールの十字形のフォーメーション。
丸が女性、四角が男性の立ち位置ですが、5人そろえば性別関係なく楽しめました。
Thomas Wilson "The Complete System of English Country Dancing"(London, 1815)

 
リールはエネルギーを要するたいへん激しい踊りで、最初5人で始まるのですが、踊り手が次々とへばって脱落していきます。そして、3人になったとき、小節数が通常のリールの半分のリール 「The Fairy Dance」 が演奏されます。この辺りのダンスの描写は臨場感にあふれていて、当時の共通の娯楽であったダンスに対する人々の熱狂ぶりが伝わってくるようです。

さて、村娘、青年、放浪のフィドラーの結末やいかに・・・・。


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『リール曲を弾くフィドル弾き(原題:The Fiddler of the Reels)』が収められている短編集。日本語訳をヴァイオリンではなくフィドルとしたのは素晴らしいと思います。そうしたことで、フィドラーの謎めいた人物像やダンス音楽が人を惑わす感じがとてもよく伝わってきます。最後の結末をぜひお確かめ下さい。



参考動画
: 

「5人組リール」を踊るイングリッシュカントリーダンス愛好者たち。踊り手たちは上流階級の装いでおすましして踊っていますが、物語の描写通りに十字形のフォーメーションで、8の字のフィガーを描いて移動していきます。このようなダンスはダンスマスターが考案し、出版物などで広まり、イギリスでは1850年頃まで多くの人が踊ることができました。この動画中の踊り手に次の動作を指示する掛け声はコール(call)と呼ばれ、フォークリバイバルの際にアメリカのスクエアダンスから逆輸入されたものです。



この作品の中に登場する教会バンド名と同名の「メルストックバンド(The Mellstock Band)」による作品中の曲「The Fairy Dance」の演奏をお聴きください。この曲は18世紀にスコットランドの作曲家によって作曲され、アイルランドとイギリス諸島で広く知られている曲です。



トマス・ハーディの代表作品である『ダーバヴィル家のテス』。2023年に4Kデジタルリマイスター版が作られました。”エンジェル”との出会いのシーンでもあり、村娘たちが白い衣装で踊る野外での五月踊り(May Dance)のシーンをお見逃しなく!



トマス・ハーディの生家を訪れたときの写真をいくつか

2010年5月 生家の前で 著者

ハーディの生家は村の小さな通りの突き当りの開けたところにあります。前庭は今ではイングリッシュガーデンになっていますが、トマスの子供の頃はこの庭に野菜を植え、豚や鶏も育てほとんど自給自足の暮らしをしていたそうです。この可愛らしいコッテージで、一家はフィドルやチェロを演奏し、音楽が流れていたことに思いをはせました。徒歩圏内にトマスの父や祖父たちが聖歌を演奏した教会があります。楽隊が座っていた桟敷席は今ではパイプオルガンが設置されています。トマスはこの教会の墓地に眠っています。

パイプオルガンが設置されているかつての楽隊用の桟敷席(ウエストギャラリー)
村人たちが手作りしたのでしょうか、
伝統的なイギリスの毛糸刺繍が施された色とりどりのクッションが並ぶ教会の信徒の座席

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